思想運動としてのIR
運営者 ところで、本来の純粋な資本主義制度に今の日本企業を適応させるために、IRは有効な手段なのでしょうか。
三ツ谷 企業の側としては、「われわれはこのようなことをやっています」という情報を出しますよね。投資家はそれに対する評価を下して株価という形で跳ね返ってくることになるわけですが、企業が描いたビジョンが正しいものとして評価されるならばプレミアムがついた株価が形成されるでしょう。
企業が描いたビジョンを銀行が受け止めて融資するということであればそれは一銀行の判断によることになります。しかし、市場参加者は複数なので、提示されたビジョンを良しとする人もいれば否定的な人もいるでしょう。多様性があるフィードバックがそこに出てきます。問題は、企業の側がそうしたフィードバックを真摯に受け止め、企業のビジョンの決定権者の意思を変えていかなければならないことにあります。IRはそこに至る回路にはなるだろうと思います。
アメリカでは、「市場がおかしいと考えている」という情報が伝わると、すぐに問題があると思われる事業部門を売却するなど、株価を市場からのシグナルとして非常に機動的に対応する会社が増えています。
わが国でもIRという概念がそこに向けた動きをするようになるといいなと思っています。つまり経営の技術論としてのIRではなく、思想運動としてのIRです。
運営者 市場と企業をつなぐ回路として、その重要な媒介を果たすのはアナリストになるのでしょうか。
三ツ谷 私はアナリストとファンドマネージャーだと思っています。セレクティブ・ディスクロージャーの話などもあって、ここにもいろいろな議論があるのですが、アナリストは投資家革命の前衛の役割を果たすべきでしょう。
今の段階では、投資家の個がまだまだ確立されていないと思いますので、経営のチェックまで行うような、専門知識があって倫理も高いアナリストやファンドマネジャーという存在を投資家と企業の間におけば、株価がでたらめになることを防ぐことができるのではないでしょうか。
例えばIT革命の時の株価を思いだしていただければと思うのですが、リテール主導による価格は間違う可能性があるのです。光通信やソフトバンクの価格はリテール主導で投資家が決めたものです。それを扇動しているのは手数料第一主義の証券会社の営業マンではないでしょうか。今のところの投資家は、営業マンに「買いましょう、幾らで買いますから、幾らくらいまでは行くでしょう」と言われて、「わかりました」と言って買う人々なのです。しかしこの時の投資家の心理が冷静なものであるかというと、ネットバブルで火が燃えあがり始めたところで「これがもっと広がっていくだろう」という異常心理状態の中で投資家を扇動しているのではないでしょうか。
こうした投資家が、投資家革命を担うことができるかというと、私には疑問に思われます。理性的で、先方の経営に対してもモノが言えるようなアナリストやファンドマネジャーが前に出てきて、はじめて価格が適正なものになるのではないでしょうか。個人投資家がそのように成熟するのは一つの理想ではありますが、まずアナリストが先導するという姿は不合理ではないと思うのです。