●政治的な「パワーのパラドックス」
もうひとつの変化の阻害要因は、ハーシュ・ライファーの言う「パワーのパラドックス」という考え方で、例えば農業を例にとると、「農家は経済的な弱者であり、保護しなければならない」ということには、みんな納得しています。ところが経済的弱者が保護されると、時間の自由ができるわけです。政治活動というのは、選挙のお手伝いなどずいぶん時間を必要とする活動ですので、忙しければ政治活動はできないわけです。東京の都心でデモしている人たちは、農業や建設業など規制産業の人たちばかりで、外資系証券会社でデリバティブをやっているという人がデモに参加しているという話は聞いたことがありません。そうすると、経済的弱者であるはずの農家は、政治的な強者になるわけです。それが、すなわちパワーのパラドックスです。
これは一般論としては世界のどこでもあることなのですが、日本の場合は、それが一票の格差により決定的な強みにまで拡大されています。人口比で数%しかいない農業があれだけ大きな政治的なパワーをもつということになるわけです。彼らは受益者なので、従って改革が進まないことになります。
こうしたことが改革が進まない大きな要因なのですが、さらに都市に住んでいる負担者の方は、大体において広く薄く負担をしています。「米が高い」といっても、せいぜい数千円なわけですから、1人当たりの負担額は耐えきれない程ではありません。ところが、都市住民8000万人がそれを負担している一方で、受益する農家の方は狭く厚く受益していることになります。とするならば、受益者は、薄く負担している人とは比べものにならないほど、改革反対に熱心になるでしょう。
ただし、サイレント・マジョリティは現実的に非常に大きな存在なので、都市住民がその気になれば、たとえ一票の格差が大きかったとしても、断固として改革を進めることはできないことはないはずなのです。