●「経済学の社会教育」の欠落
改革にはいろいろな側面がありますが、経済学者が、「少しでも改革を進めてほしい」と思うのは、現状では、ものすごく高い「機会費用」を支払わされているということがあるからです。構造改革や不良債権処理が進まないことにより、本来ならば2%はできるはずの経済成長が1%成長になっているということは、年間5兆円の機会費用を払ったことになるわけです。なんとこれは、消費税の2.5%分に相当します。あまりに勿体ない話ではないでしょうか。
しかし、こうした基本的な「機会費用」の概念を理解している人は余りにも少ないようです。
大学進学率は高くても、本当の意味で、高度な論理的な思考訓練を受けた日本人の数というのは驚くほど少ないと思います。
しかし、われわれが政策を議論するときに、ものすごく高度な微分方程式を解いたりする必要は全くないわけです。むしろ非常に重要なのは、機会費用という概念とか、需要と供給に関する原則とか、リスクに対する認識といった概念です。これらを身につけさせるための、「経済学の社会教育」が教育の中で恐ろしく欠落していると思います。
教育では「金儲け」を取り上げることも避けられる傾向がありますが、「働いて価値を社会に提供するから報酬が得られるのである」というのが経済学的な解釈なのです。また「市場」というのはわれわれがよって立つ共同体であるがゆえに重要なのです。経済学は共同体のあり方に対する考察わする学問なのです。わが国では、共同体に対する教育が欠落しているということが指摘できると思います。イギリスには経済学の社会教育の専門家がいるぐらいで、より多くの日本人が経済的なセンスを身につける必要があるのではないかと思われます。
本来はハイリターンを得ようと思ったら、ハイリスクを負わなければなりません。ところが、「奇跡の経済」の中ではローリスクをとっただけでも、そこそこのリターンを得ることができたのでした。このような恵まれた状態が続いたために、ベンチャーを起業しようという日本人の数はなかなか増えませんでした。最近のベンチャー企業で成功している若い人は、たいていアメリカでMBA(経営学修士号)を取得して帰ってきた人たちか多いように見受けられます。それは、アメリカで実際に身近なベンチャー企業の成功例を目の当たりにしてくるからなのでしょう。日本の社会では今までは習熟が尊ばれてきたので、雑巾掛けができない人間はろくなものではないと思われてきました。結果的にはそこで政治的に去勢されていたと言っても過言ではないでしょう。