●「奇跡の経済」から「普通の経済」に戻ったことを認識していない
民間の側にも、自己改革すべき点はいっぱい指摘することができます。
まず日本はこれまで「奇跡の経済」の中にいたことを認識しなくてはなりません。今までは、経営者が必ずしもリーダーシップを発揮しなくても会社は大きくなることができました。これは日本経済が持っている人的資源の元来のポテンシャルに根ざした成長力だと私は思います。
「産業化」というのは、人間の持つ能力の中でも非常に特殊なものを必要とするプロセスなのです。海外の新しい文献を読んで新しい技術を導入し、みんなが製造技術に習熟して一生懸命ものを作る、これが日本の一番優れた点で、他の国にはなかなかマネできることではありません。後追いする人たちは先行者の失敗の経験を反映した一番良い技術を手にすることができるので有利です。また技術を消化して吸収する能力が求められますが、他の国の場合はこの吸収する力がないわけです。
日本的雇用慣行のルーツをお話ししますと、長期雇用の制度はそもそも1920年代にできたもので、定着したのは戦後のことです。長期雇用には経済合理性がありました。会社側から見ると、日本の社会全体に成長のポテンシャルが高かった時代には、とにかく人手を確保しさえすれば会社は拡大したのです。しかし当時はちゃんとした教育機関が少なかったので、最初から製造や販売のスキルを持った人はいません。そうすると可能性のある若者を雇って自分の会社で教育するのが一番妥当な労働力確保の手段です。教育投資をする以上はすぐ辞められては困るので、長くいればいるほど居心地の良いシステムを作ったわけです。いればいるほど出世する年功序列の仕組みは長期雇用の制度と表裏一体なのです。
長期雇用の制度は、人材が供給過剰の時代には、労働者にとっては不況になっても首が切られないし、教育はしてもらえる、仕事も覚えさせてくれるという、ありがたい制度だったわけです。
ところが会社から見ると困ったことがあります。本来は「変動費」であるはずの人件費が「固定費」になってしまうことです。つまり会社はかなり大きなコストである人件費について財務的なリスクを負うことになります。そのため会社はビジネスリスクを少しでも小さくする必要がありました。そこで日本企業は、販売店を系列化し、仕入れ先と長期契約を結んで、売上と仕入れを固定化させることに成功したのです。そのためゴルフや酒の上の付き合いが重要な機能を果たし続けました。私生活にまで踏み込んだ。そうした企業間の付き合いを究極まで推し進めたのが「株式の持ち合い」でした。株式の持ち合いが本格化したのは、実はつい最近の、1970年代のことです。経済全体が大きくなっていく時には、こうした仕組みは非常に有意義な環境を提供したことは間違いがないでしょう。
しかし、そうした構造は今や崩れ去ってしまったということを認識しなければなりません。年功序列、終身雇用の仕組みを維持する前提である人口構成のバランスが崩れてしまい、1975年以降人口は確実に減少しつつあるのです。すべての会社が従来の人口ピラミッドを維持し続けるということは不可能なので、毎年、組織が大きくなり続けるということは望むべくもありません。従って年功序列制度も維持できません。