●制度間競争がないので、椅子を蹴って出ていけない
そうした旧来のシステムが崩れ去ってしまったために、人材の流動化が必要とされているし、個人には自分の能力を高めて、会社の外でも通用するようなプロフェッショナルになることが求められるようになってきました。
重要なメッセージは、それが「当然である」ということなのです。いままではラッキーなことに「奇跡の経済」の中にいただけなのです。その幸せな状態から普通の経済、通常の状態に戻ったと考えて、歯を食いしばって耐えなければなりません。
政治家の皆さんの中には、「有権者の中には政治家に依存する人が多い」と思われている方も少なくないでしょうが、そこは時間の問題で、遅かれ早かれすべての日本人が自分で自活の道を考えなければならない日がくるはずです。前回の総選挙では、特に都市圏において、経験のある議員が落選するという意外な結果が出ています。選挙民が自主的にそのような選択をしたわけですが、そのような選挙区では予算を中央から取ってきたからといって、有権者が評価してくれるという望みは少なくなっているのです。有権者は今までとは違う価値観を身につけつつあるということを知らなくてはなりません。
時間はかかるのですが、ある時点で雪崩を打ったように状況が変化する可能性が高まりつつあるということ認識すべきです。
まさにそれがビッグバンです。金融ビッグバンでも、その結果大きな変化が引き起こされました。制度の補完性が強いが故に、日本においては、ビッグバン方式というのは変化のメカニズムとして、なかなかに効果的なのではないでしょうか。
社会を変化させるためにはどうすればよいのか。
市場における競争では「ボイスとイグジット」という言い方をがあります。国民が声をそろえて、「今の政策は間違っている」と声を上げるということが一つ、もう一つは椅子を蹴って出ていって二度と戻ってこないということです。これでいくと日本の場合イグジット(出口)が今のところありません。アメリカの場合は50の州ごとに商法が違っていて、デラウエア州では経営者が非常に経営しやすい商法を作っているので多くの大企業が登記上の本社を置いています。これに対して、カリフォルニア州では株主の権利を重視した商法を作るという具合いで、制度自体で競争しているのです。国民はそうした制度を見ていて便利な制度を選択することにより、制度が競争を通して改善されていくのです。
しかし日本は中央政府の地方に対する支配力が強くて、しかもどんな施策でも「全国一律」でなければならないことになっているようです。だからこそ「特区方式」によって変化の突破口を切り開かなければならないと私は思います。慶應義塾大学では、湘南藤沢キャンパスがまさにこの特区の役割を果たしました。生徒へのパソコンやインターネットの導入も、生徒が先生を評価する授業評価の仕組みも、湘南藤沢に導入されたのを他の学部の生徒が聞いて、「われわれにもやらせてほしい」と要望したわけです。このようにして、大学も改革ができるわけです。ここからも、特区方式の有用性がご理解いただけるのではないでしょうか。