感覚で分かるものには徹底してアプローチする
エコノミスト
田代秀敏氏
田代 日本語が話せる中国の人がふだん冷静に日本語で話しているときは普通の日本語ですけれど、興奮してくると、「わたしあなたに言った、あなたわたしにこう言った。わたしあなたにこうした・・・」って言うじゃないですか。
運営者 そうですね。それは彼らにとっては普通なんだ。
田代 中国語を直訳しているだけになっているのです。日本人も興奮すると、英語で話していてるときに興奮すると、明らかに日本語の単語を英語に置き換えただけになってるじゃないですか。
運営者 "We Japanese"って言っちゃいますからね。それはよくわかります。
そういう世界認識、世界の中での自分の位置が、中国人にはまずあるわけですね。
田代 まず「我」が中心です。その周りにあなたがいて、その周りに第三者がいると。
運営者 現実主義であり、言い方は悪いけれど自己中心主義であると。
田代 現実主義というよりも、徹底して形而下のことにしか関心がないんです。それが善いか悪いは、別の問題ですよ。
運営者 もちろんです。文化の差異についての話ですから。
田代 だから漢字の体系も、形而下のことに注目する文明の産物です。漢字はよほど字の形を、きちんと見なければいけないようにできています。
例えば「犬」と「太」と「大」の違いなんて、字の中に点「、」のあるなしと位置の違いだけですよね。アルファベットしか用いない人々は、なかなか覚えられません。
運営者 なんか白川静先生の世界になってきたな。
なるほど、アルファベットしか使わない連中は字の形におおざっぱですからね。そういえば漢字圏でない外国で漢字の本を読んでいると、えらく感心されて「これをお前も書けるのか」と聞かれますよね。
田代 漢字の精密なシステムは、いかに中国人が、感覚的なものに対しては、執念を持って見ているかを、よく表しているんです。
運営者 なるほど、そうですね。感覚で分かるものについては徹底してアプローチするということですね。
田代 その点で日本人は甘いんです。たとえば、中国の書法家の作品とくらべると、日本の書道家の書はどこか甘いところがあります。なぜかと言うと、われわれは漢字が書けなくても、ひらがなやカタカナでごまかせるじゃないですか。でも、中国人は漢字が書けなければ何も伝えられない。漢字が読めなければ何も読めない。◯音(ピンイン)という中国語のローマ字書きのシステムはありますが、それを使って読み書きするのは幼稚園の年少組までで。幼稚園でも年長組になると漢字で絵本を読みます。幼稚園を出た段階で、「東京文化学園」を、ちゃんと「トンチンウェンファシュエエン」と読めます。そうした漢字だけの国の書法は、ひらがなもカタカナもある日本の書道と厳しさが違うのは当然です。
運営者 ということは、唐代に顔真卿なんかが確立した書法は、そういうスタイルを徹底したたものだったんですねえ。