2.8月20日(木)
《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》
6時半頃にホテルを出て、アレーナとは反対方向に5分ほど歩いた所にある「イル・デスコ」に向かいました。イタリア版「ミシュラン」でここ数年以上「2つ星」をとり続けているヴェローナ随一のレストランです。今までは、ヴェネト州随一といってもよかったのですが、2004年版ミシュランでは、同じヴェネト州内パードヴァ近郊のルバノにある「ル・カランドル」が何と「3つ星」を獲得してしまいました。それでも、イタリア全体で3つ星は4店、2つ星は20店しかないのですから、超一流といってよいでしょう。日本なら、これだけ観光客が集まる街の便利なところにある有名店は、おそらく予約を取るのも大変でしょうが、ここではそうでもありません。オペラの前の早い時間ということもあるのでしょうが、テーブルの埋まり具合は6割程度です。長期滞在型のバカンス客が多い欧州では、食事は質素にすませる人が多いのかも知れません。
店につくと、いつもは入口を入って右手の小ぶりのダイニングに案内されるのですが、今回は左手の帳場の奥にあるメインダイニングとおぼしき部屋に通されました。そばのテーブルにドイツ語とイタリア語が飛び交う6人程のにぎやかな一団がいましたが、少なくともそのうちの一組のドイツ人カップルは、昨夜「トレ・マルケッティ」で隣のテーブルにいた人たちでした。食いしん坊のオペラ好きは、同じような行動パターンをとるようです。さすがに、この店はワイン・リストも充実しており、ピエモンテやトスカーナの有名銘柄が良心的な値段で並んでいるので、それに惹かれるところもあるのですが、ここはやはり迷わず、地元のアマローネの中から、ZenatoのAmarone di Valpolicella Riserva 1988年(200euro)を奮発することにします。ブラックベリー系のジャムにスパイスや革が混じった濃い香りと深いコク、味の底に独特の苦味を持ち、アルコール分の高い力強いワインです。4年前にこの店で、同じ88年を飲んだ(その時はリラだったので1万円ちょっとという値段でしたから、円換算では2倍以上の値段になってしまっています)時に比べると、果実香は落ち着き、濃くて力強いアマローネらしさが増しているような気がします。
私がとった前菜は、ズッキーニの花に牛肉のタルタルを詰め、スパイスと木の実で香りをつけたオレンジソースを添えたもの。メインは、香草で包んで蒸した牛肉のフィレにミニ温野菜をのせ、2種類のポタージュスープのようなソースをかけたもの。両方とも油もクリーム系の重いソースも使われていないのですが、肉の旨みに野菜、フルーツ、ハーブやスパイスの香りが複雑に絡んだ強烈な個性のある味で、熟成したアマローネに、よく拮抗していました。妻の方は、シーフード、野菜、肉など4種類の色の違うスープのとりあわせと、ウサギ肉の煮込みをとりましたが、これも個性的な逸品でした。
《ラ・トラヴィアータ》
配役
ヴィオレッタ:マリエッラ・デヴィーア
アルフレード:ジュゼッペ・サッバティーニ
ジョルジョ・ジェルモン:アンブロージョ・マエストリ
フローラ:ミレーナ・ヨジポヴィチ等
指揮
ダニエレ・カッレガーリ
演出:グレアム・ヴィック
美術・衣裳:ポール・ブラウン
振付:ロン・ハウエル
前夜と異なり、この日は、3人の主役とも既に実績のある歌手で、それぞれ持ち味を発揮していましたが、この公演でまず語る必要があるのは、今年からの新演出です。英国の演出家グレアム・ヴィックは、スカラの《マクベス》などでイタリアでも既によく知られていますが、アレーナの演出は今回が初めて、とのこと。
舞台は、客席の方に向って少し傾斜した大きな円盤で、それが花束で埋め尽くされています。「花」ではなく「花束」が置かれた状態で、おそらく墓地を暗示しており、舞台奥に立つ壁が、見方によっては墓標に見えます。前奏曲が始まると、何人かの花束を抱えた男たちがその「丘」を登っていき、祈りをささげます。主人公の死の描写から始まるデユマ・フィスの原作の「椿姫」を踏まえたものなのでしょう。その花束で埋め尽くされた墓というイメージは、死んだ女性が、男たちのアイドルであったことを示してもいます。後でプログラムの中の対談を読むと、グレアム・ヴィックは、ダイアナ妃が死んだ時に王宮の前が花束で埋め尽くされたときのイメージをベースにしているようです。ヴィックは、ヴィオレッタあるいはそのモデルであるマリー・デュプレシスを、「高級娼婦」というよりも、非業の死を遂げたアイドル的有名人の美女、エヴァ・ペロン、マリリン・モンローそしてプリンセス・ダイアナのイメージでとらえたい、と言っています。そして、ヴェルディの時代に「同時代劇」であったこのオペラを、19世紀のきらびやかな衣裳で飾るよりも、現代における「同時代性」で表現したい、とのこと。オペラ演出における時代の置き換えは、いつも論争を呼ぶものですが、私は今回のヴィックの考え方には、共感を覚えます。少なくとも4年前のジルベルト・デフロ演出、ジャンフランコ・パドヴァーニ装置による才気のかけらもない《ラ・トラヴィアータ》に比べるとずっと楽しめるものでした。
前奏曲が終わり、音楽が一転するのと同時に、上手奥から高さ10mくらいの巨大な女の子の人形があらわれます。左右ふたつに結んで垂らした金髪に青い目で、ペコチャンのような丸い幼児顔、体は裸でまっすぐ前に投げ出した足には赤い靴をはいています。肌色の質感はセルロイドの人形のイメージです。その人形の体に螺旋階段が巻きついており、そこを黒いミニスカートのドレス、ハイヒールをはき、プラチナブロンドのショートヘアを逆立てたヴィオレッタが降りてきます。パーティーの客たちも、それぞれ、ハリウッド映画に出てくる有名人パーティーのような個性的な格好で出てきます。ただし、舞台上にいるのは、ソリストの歌手たちとダンサー等の10数名程度。合唱団は、舞台外の上手と下手に男女とも燕尾服にシルクハットの姿で、舞台に向って整然と腰掛け、時折しぐさを交えながら歌います。合唱があるのは、第1幕と第2幕第2場の夜会シーンだけですから、燕尾服姿の群集として、劇に参加しているようないないような、面白い設定となっていました。「コーラス」の語源であるギリシア悲劇の「コロス」の機能を意識したのでしょう。
La Traviata第1幕の舞台
サッバティーニ扮するアルフレードは、いかにも軽薄は遊び人風。色浅黒く口ヒゲ、顎ヒゲをはやして長髪の両側を三つ編みにして横に垂らし、白いソフトジャケットにだぶだぶのパンツ。ヴィオレッタ以外の女たちは、極彩色のカクテルドレスで、全体としての色彩感覚は、アンディ・ウォーホールやロイ・リキテンシュテインのポップ・アートのようなイメージです。大きなお人形は、虚飾の世界の幼児性を象徴しているのでしょうか。あるいは、ヴィオレッタの内面のナイーヴさを表しているのかも知れません。
ミニスカートのプリマドンナというのは古典オペラではなかなかお目にかかれないものですが、デヴィーアはスラリとした足にハイヒールがよく似合い、颯爽としています。花束が敷き詰められた舞台を歩くのは大変だったでしょうが、第1幕後半の大アリアになると螺旋階段に登って歌うので、足元の不安は軽減されていたのでしょう、よく声が通り、例によって完璧なアジリタのテクニックで、素晴らしい歌唱を聴かせてくれました。8月6日に日本で聴いた《ルチア》の時よりも調子がいい、という感じがしました。さすがに第3幕になるともち前の声自体の迫力は足りませんが、演技力と歌いまわしのうまさで補い、それなりにドラマティックな効果もあげていたと思います。それにしても、7月の11、15、20日にヴェローナでヴィオレッタを歌ったあと、日本に飛んで、8月の上旬に東京で3回ルチアを歌い、また帰ってきて8月20日から3回ヴィオレッタを歌うのですから、時差を考えるとかなりハードなスケジュールです。
因みに同じラ・ヴォーチェ公演《ルチア》の指揮者は、当初ダニエル・オーレンとなっていましたが、「体調不良によりキャンセル」になりました。然しながら、ヴェローナの印刷されたプログラムを見ると、6月20日から8月31日までの間、中3日から5日のペースで17回行われる《アイーダ》の指揮は全てダニエル・オーレンとなっています。オーレンがこの時期に日本に来るのは最初から無理だったということがわかります。
第2幕第1場は、花束の円盤の上に緑の芝生が敷かれ、上にテーブル、ベッドとミニチュアの家が置かれ、おままごとのような世界を暗示します。バスローブ姿のアルフレードが、ベッドの上でいかにもお気楽そうに<僕は天国に生きている気分だ>というアリアを歌いますが、サッバティーニは、こういう軽薄タイプの人物像が妙に似合います。いつものように歌唱自体はうまいのですが、こうした演出家による人物解釈が災いしてか、あまり印象に残りません。カバレッタになって服を着替え、少しはシャキッとするのですが、最後をハイCにあげてくれないので、それもビシッとは決まりません。ヴィオレッタは黄色いワンピースに赤いサンダルという姿。そこに、ビジネス・スーツにアタッシェケースといういでたちのジョルジュジェルモンがあらわれます。いきなりベッドのうえにアタッシェケースを置いて開いてみせると、そこにはドル紙幣がぎっしりと詰まっています。声も姿も恰幅のよいマエストリがやるので、これまたよく似合っています。このあとのヴィオレッタとの2重唱、そして<プロヴァンスの海と陸>にいたるしみじみとした歌唱は、彼のような深々と安定した美声で朗々と歌われると、この人物の偽善者ぶりを際立たせて見せてくれるから不思議です。
第2幕の第2場、フローラの夜会の場面では、花束の丘に半径10m近い巨大な扇が現れます。扇の面はトランプのカードになっていて、その中の数枚の絵札は、プレイボーイ誌のピンナップのようなヌード写真。いかにも享楽的な雰囲気を醸し出します。
La Traviata第2幕第2場の舞台
裏切られたと誤解し、激昂したアルフレードが満座の前でヴィオレッタを侮辱する場面。通常は札束を投げつけるだけなのですが、この舞台では、ヴィオレッタのプラチナ・ブロンドのかつらをむしりとる、というショッキングな演出がとられます。そこに現れるのは、肺病というよりも抗ガン剤か何かで頭髪がうすくなったかのような病的な頭です。豪華な衣裳とのコントラストが悲痛さを際立たせます。以後、ヴィオレッタは第3幕までずっとこの姿で通します。第3幕では、アルフレードが帰還し、よろこんだヴィオレッタが外出の用意をはじめ、いったんはプラチナ・ブロンドのカツラを手にしようとしますが、結局かぶりません。つまりデヴィーアは2重のカツラをつけているわけですが、最後のカーテンコールの時までこの病的な頭で通しました。そのプロ根性には頭が下がります。
舞台の奇抜さに思わず注意がいってしまいますが、カッレガーリの指揮は、前日のモランディと同様、ヴェルディのスタイルをよく熟知した手堅いもので、安心して聴いていられました。前述したように、合唱は舞台の両袖にいるので、広いアレーナでは左右に40-50m離れていることになります。それをうまく統率して、第2幕フィナーレのコンチェルタートをうねるように盛り上げていくのは、なかなか見事なものでした。