3.8月21日(土)《リゴレット》
この日は、午前中と夕方に雨が降り、急に秋めいた涼しさになりました。前日までは、最高気温が29度、最低気温が19度とのことでしたが、日中石畳の街を歩くとかなり汗ばむ蒸し暑さがありましたが、この日は陽射しの中でも風が爽やかです。オペラがはねる深夜にはおそらく15度以下になっていたでしょう。コートをはおる人達も見受けられました。
《リゴレット》の配役は、リゴレット:レオ・ヌッチ、マントヴァ公爵:アキレス・マカド、ジルダ:エレーナ・モズッチ、スパラフチレ:フランコ・デ・グランディス、マッダレーナ:ロッサーナ・リナルディ、モンテローネ伯爵:リッカルド・フェッラーリなど。
指揮は、ヴィエコスラフ・ステーイ。演出:イーヴォ・グエッラ、装置:ラッファエーレ・デル・サーヴィオ、衣裳:カルラ・ガッレーリ。
なんと言っても、主役のレオ・ヌッチが圧巻。彼のリゴレットはもはや至芸といっていいものですが、特にこの夜は調子が良かったのでしょう、本人も乗りに乗っていました。第2幕フィナーレのジルダとの2重唱後半を観衆の求めに応じてアンコール、勿論最後のAs(ラのフラット)の音は1オクターブ上げて(バリトンにとってはテノールのハイCにあたる超高音になります)胸声で長く伸ばしまくり、さらには直後のカーテンコール(アレーナにはカーテンはありませんが)で上手と下手の石のスタンドを駈けのぼって観客席に手を伸ばすというサービスぶりです。
その様子は、まるで試合に勝ったスポーツ選手が観客席に飛びこむような感じでした。本人としても自分の出来に満足していたのでしょう。私は、ヌッチのリゴレットを91年のヴェローナで聴いて以来、ボローニャの来日公演、98年のヴェローナと聴いてきていますが、どんどん良くなっているような感じがします。声にも演技にも、老け役らしい渋みとある種の弱々しさ、哀しさが漂っているのですが、怒りの表現においては充分に力強く爆発し、広いアレーナに朗々と響きわたります。その緩急自在であること、まさに声の名優を観る思いでした。
リゴレットという役は、「ヴェルディ・バリトンの十字路」のようなものだ、と私は思っています。
カンタンテな美声でスタイリッシュに歌う恋敵や友人(ルーナ伯爵、レナート、運命の力のドン・カルロ、ロドリーゴなど)を得意とする「バスティアニーニ系」のバリトンと、ドラマティックな表現力と力強さの必要な王者や父親、悪役(ナブッコ、シモン・ボッカネグラ、アモナズロ、イアーゴなど)を得意とする「ゴッビ系」のバリトンの、両系統とも、名バリトンといわれた人々はリゴレットを得意とし、名演奏の録音を残しています。ヌッチは、どちらかというと「ゴッビ系」の歌手でしょうが、ゴッビほど性格表現におけるアクの強さを持たず、カップッチッリほどの強靭な声の輝きをもってはいません。しかしながら、何故かこのせむしの道化(とマクベス)に関しては、ヌッチは過去のどの名バリトンと比べても遜色がないばかりか、おそらく最高のひとりであろう、と私は考えています。
他のソリストも、初めて聴く人ばかりでしたが、それぞれ声、テクニックともしっかりした立派な歌唱を聴かせてくれました。テノール、ソプラノとも非常によいリリコの美声をもっていますが、姿はイマイチ。特に、マカドは、将来はパヴァロッティ並みになることが予想される大柄の肥満体。モズッチ(Elena Mosuc)の<慕わしい君の名は>は、アジリタの切れ、高音でのピアニッシモの美しさやピッチの安定感など、すばらしい演奏だったと思います。
このアリアの最中、隣席の若いイタリア人女性が、肝心の美しいアリアに耳を澄ませるよりも、暗い中でリブレットを読もうとしてばかりいるのが気になって(イタリア人のクセしてなんだ、聴いてりゃわかるだろ)、完全に音楽に集中できなかったのが少し残念でした。隣の彼氏はオペラ好きのようでしたが、もっと事前にカイダンスしておくべきでありましょう。オペラというのは何を歌っているのかを気にしだすと楽しめるものではありません。どうしても筋が気になるのであれば明るい幕間の間に台本を読んでおき、演奏中は音楽に集中しましょう、と。途中から彼女の隣に座った妻も、「若い彼氏にしてみれば、とっても高価な特等席を奮発してデートに誘ったのに、彼女をオペラ好きにすることには、失敗したようね。」と、隣のカップルの行く末について、余計なお世話の心配をしていました。
スパラフチレのデ・グランディスの低音が魅力的だったのと、モンテローネのフェッラーリの声がよく響いていたのでオペラ全体が締まりました。特にモンテローネは、ある意味でこのオペラのキーロールといってよく、彼が恐ろしい声で呪ってくれないとこの物語のテーマが始動しません。脇役ながら声のある人を持ってくる必要がありますが、往々にして等閑視されがち。特に低音歌手の層が薄い日本では満足な演奏を聴いたことがありません。その点、ここヴェローナでいつも感心するのは、脇を固める低音歌手が立派なことです。そういえば、合唱団の低音の響きも(男女とも)日本とは全然違います。これはもう人種の違い、声帯の違いといって諦めるほかないのでしょうか。しかしながら、例えばニューヨークのMETの合唱を聴いたときには、同じ西洋人であっても、これほど低音部の彼我の差が気になりませんので、体格差だけの問題ではないような気もします。イタリア人の話し言葉が、低音でもよく響く発声を育んでいるのかもしれません。
昨年新演出として登場した今回の舞台は、背景として、後方のすり鉢状の石段いっぱいに、マントヴァのドゥカーレ宮殿の城壁をリアルに模した巨大なセットが張り巡らされています。マントヴァは、ヴェローナから車で南に30分くらいで行ける隣町ですから、地元の人にとっては、このセットを見ただけでその雰囲気が実感できるしかけです。
98年に観たリゴレットでも、今回ほど巨大ではありませんが、同じようなリアルなマントヴァ風景が遠景として使われていました。いわばこの作品は、「ご当地オペラ」なんですね。本来、ユーゴーの原作はフランス宮廷が舞台で、マントヴァは検閲逃れのために便宜的に設定された場所ですから、こんなリアルなセットをせっせと作らなくてもいいようなものですが、隣町もセットで観光してきたお客にとっては、なかなか雰囲気のあるものです。
今回のプロダクションは、こうした舞台装置にかなり凝っていて、リゴレット親子がスパラフチレの家に向かうのに、小船に乗って湖面を行く風景もあり、これも三方を湖水に囲まれたマントヴァの地形を生かした演出です。回り舞台などを機能的に使う工夫もなく、いちいちセットを解体してまた組み立てる方式のため、舞台転換のための大道裏方の作業は大変そうでした。
昔は、カーテンの無いアレーナでは、幕間にステージから観客席に向かって眩しいライトが点灯され、その目くらましの陰で裏方が作業していたものですが、最近はこれがありません。そのため、大童で作業している裏方の仕事が全部見えてしまいます。吊り具も奈落も舞台袖もない舞台で劇場並みの大道具をこしらえるのはちょっとどうかな、と疑問が残るとともに、さすがにゼッフィレッリなどの一流の演出・装置家は場所と空間をうまく考えたプロダクションを作るものだ、と改めて感じました。
指揮のステーイも、初めて聴く人。東欧系の名前ですが、ヴェルディの音楽を聴くのに何の違和感もなく、「座長」のヌッチが乗っていることもあって、白熱の演奏を聴かせてくれたと思います。
4.8月22日(日)《アイーダ》
この日は、アテネ・オリンピックの女子マラソンのスタートが現地時間午後5時からあるので、バールでパニーニ(サンドイッチ)を買ってきて、ヴァルポリチェラワインを飲みながら、ホテルの部屋でテレビ観戦。はらはらドキドキの末に野口選手が金メダルを獲得するのを見届け、気分よくオペラに出かけました。
《アイーダ》
配役
アイーダ:ミカエラ・カロージ
アムネリス:ティチーナ・ヴォーン
ラダメス:ピエロ・ジュリアッチ
ランフィス:ジョルジョ・スーリアン
アモナズロ:アンブロージョ・マエストリ
国王:マルコ・スポッティ
使者:エンツォ・ペローニ
巫女:アントネッラ・トレヴィザン
プリマ・バレリーナ:ミルナ・カマーラ
指揮
ダニエル・オーレン
演出・装置:フランコ・ゼッフィレッリ
衣裳:アンナ・アンニ
振付:ウラジーミル・ワシリエフ
《トロヴァトーレ》と同様、《アイーダ》は2年前と同じゼッフィレッリの豪華プロダクションです。金色に輝くピラミッドとスフィンクスや神像の群れ、兵士達が掲げる旗さし物や衣裳のきらびやかさ、凱旋シーンのトランペットの輝かしい響きと重厚な合唱など、まさに石作りのアレーナの広大なスペースを生かした絢爛たる大スペクラクルは、やはり、この音楽祭の華といっていいでしょう。
2年前に同じプロダクションを観た時には、第1幕第2場の戦勝祈願の場で通常舞台裏から祈りの声だけが聞こえる女祭司長をバレリーナによって視覚化し、アクメンという名前までつけてその後の各場面にも登場させ、往年の名プリマ、カルラ・フラッチらを起用して、重要な役割を与えていました。今回も、この巫女役のバレリーナは登場するのですが、プログラムにアクメンの名はなく、バレリーナの名前も記載されていませんでした。位置付けが少し軽くなっているようです。バレー・シーンの主役を踊ったミルナ・カマーラは、2年前と同じで、ちゃんとプリマ・バレリーナとしてプログラムに記載されていました。
指揮のダニエル・オーレンは、もうアレーナで、すっかりお馴染みとなりました。これまで3夜の演奏も悪くなかったのですが、やはり、オーレンが飛んだり跳ねたり唸ったりしながら指揮をすると音楽の盛り上がりが違います。
ラダメスを歌ったピエロ・ジュリアッチは、2年前の《トロヴァトーレ》でマンリーコを聴いて非常に良いリリコ・スピントだったので、今回も期待していました。しかしながら、コレッリやジャコミーニに近いロブストな重い声なので、「当たり」が悪いと十分に輝かしく響かないところがあり、今回はちょっと声のヌケが悪く、期待したほどの興奮はありません。おそらく《トロヴァトーレ》のベルティが良かったので、相対的に少し点が辛くなっているところもあるのでしょう。そんなに悪い出来ではなかった、とは思いますが。
アムネリス役のヴォーンは、強い声を生かして、なかなかの好演でしたが、黒人であるため見た目がアイーダと逆ではないか、という印象を持ってしまうので損をしているところがあります。前述したとおり、硬質で華やかさには欠ける声なので、声質的にも、アズチェーナの方がはまっていたような気がします。
Aida第2幕フィナーレの舞台
バリトンのマエストリは、一昨日のジェルモンも良かったものの、このアモナズロは本当にはまり役。第3幕でアイーダを<お前はファラオの女奴隷だ>といって叱るシーンが私は大好きなのですが、強大な声のパワーを生かしてたっぷり咆哮してくれ、スカッとしました。
ランフィス役のスーリアンは、実績あるベテラン・バスでそれなりに良かったのですが、国王を演じた若手、スポッティがよく響く重厚な美声なので、少し喰われてしまいました。マルコ・スポッティというバス歌手は、これから注目してみたいと思います。
さて、ソリスト陣は上記のとおりそれぞれ充実していたのですが、その中でも、タイトル・ロールにふさわしい演奏を聴かせたのが、ミカエラ・カロージだったと思います。彼女は、開幕当初の3公演で主役をつとめたあと、いったんアンドレア・グルーバーと交替し、8月の後半からまた登場している、いわば「表キャスト」に抜擢されている新人。それだけの力があるソプラノだと認められているのでしょう。少し暗めの音色で強い芯のある美声で、張るところは豊かに響くとともに、絞るところは細く絞ることもできます。カーテン・コールでも、観客の拍手を最も受けていました。