来たる10月10日はジュゼッペ・ヴェルディの誕生日。今年は200周年にあたりますので、同じ年(5月22日)生まれのワーグナーとともに世界中で記念行事が行われています。
面白いのは、ヴェルディ自身は60歳を超えるまで、自分は1814年10月9日生まれだ、と言い張っていたのだそうです。
1876年、既に功成り名を遂げていた彼は、自分の生年月日が1813年10月10日と書かれることに業を煮やし、教会と村役場に残っていた出生記録を取り寄せました。その時の彼の驚きが、友人のクララ・マッフェイ伯爵夫人にあてた手紙として残っています:
「いいですか。私は本当は1813年生まれだったのですよ。つまり数日前に私は63歳になっていたわけだ。私の母はいつも私に14年生まれだと言っていたので、私はすっかり信じ込んでいたのですよ。私は永年、歳を尋ねる人々を騙していたことになるんです。」(*1)
音楽家には食いしん坊が多く、ロッシーニ・ステーキ、シャリアピン・ステーキ、ピーチ・メルバなど、料理にその名を残している人も少なくありません。ヴェルディもその例に漏れず、自身で厨房に立ち「おもてなし料理」を作ることも珍しくなかったようです。その彼の得意料理のひとつがリゾット・アッラ・ミラネーゼであったことが、関係者たちの手紙の証言で分かっています。(*2) 牛の骨髄と米をブロスで煮込みサフランで色と香りをつけたものに、彼の故郷の特産品、パルミジャーノチーズをたっぷりかけて出したことでしょう。煮込みには白ワインを使いますが、赤ワインと合わせてもよさそうな一品です。そのほか、地元産の各種ハムなども上手に料理したとか。
ヴェルディ最後のオペラ《ファルスタッフ》が初演される前年、イタリア系イギリス人のジャーナリスト、アニー・ヴィヴァンティが、後にノーベル文学賞に輝く詩人のジョズエ・カルドゥッチ(当時58歳)とともに避寒先ジェノヴァにヴェルディ(当時79歳)を訪ねた時のことを書いています。(*3)ふたりの天才は海を眺めながら長い間黙ったままで座っていました。突然、詩人が「私は神を信じます」と呟き、老マエストロがうなずく。そしてまた突然、詩人が「これでお暇します」と言い出す。マエストロはそれを引きとめ、ヴェランダにある植木鉢を見せ始めます。そこにはわけのわからない植物が哀れな枯死寸前の状態で植えられていました。「これは私が自分で植えたのだよ。こいつを育てるにはとっても時間と忍耐が必要なんだ。」と得意気なマエストロ。彼女は思わず聞きました。「これは、何というものですか。」「もちろん、椿だよ。」
カルドゥッチも苛立たしそうに言います。「君にはこれが椿だってことがわからないのかね。」
ヴェルディは急いで室内に戻り、水差しを持ってきて、鉢に水をやり始めます。
そして、彼はひとつしかない花の蕾を摘み取りカルドゥッチに与えました。詩人が大感激をしたのは言うまでもありません。
今日は、私が最も愛する大作曲家のあまり知られていないエピソードを3つ紹介しました。
来週、都内某ホテルで開催されるヴェルディの誕生パーティーに出かける予定です。たぶん、黄金色のリゾットも登場することでしょう。
*1:Mary Jane Phillips-Matz ”VERDI a biography” (1996 Oxford University Press)
*2:George Martin “Aspects of VERDI” (1993 Limelight Editions)
*3:Marcello Conati編(Richard Stokes訳)”Encounters with Verdi” (1984 Cornell
University Press)