毎年8月3日に小淵沢の身曽岐神社で行われる八ヶ岳薪能に行って来ました。
(写真左は私が撮った今年の映像。開演中の撮影は禁止されているので、演能中の雰囲気を知っていただくために右に身曽岐神社HPに掲載された昨年の舞台<金剛流「井筒」>の写真を添えました。)
八ヶ岳山麓の森の中、神社の境内にある能楽堂は、「神池」に浮かぶように建てられたもので、本舞台、橋掛り、鏡の間、貴人席を完備した本格的なもの。奉納薪能もそれに見合ったもので、毎年五流の宗家クラスを含む一流の演者が招かれています。今年は、金春流の「橋弁慶」と「紅葉狩」。狂言は、和泉流にのみ伝わるという「樋の酒」でした。
私がこの薪能を観るのは2012年に続き2回目。緑の森の中、蝉や鳥の声も混じる屋外での観能は特別な雰囲気で、特に日が暮れ薪に火入れされた後の後半の舞台は、時折鯉がはねる暗い池の水面に明るい舞台や美しい能衣装が映えて非常に幻想的、まさに「夢幻能」(本日の演目は厳密にいうと「現在能」であり「夢幻能」ではありません)の世界を体感できるのです。
その後半の「紅葉狩」。歌舞伎にもなっているポピュラーな曲ですが、今回は特に金春の先代宗家が薪能用に創始した鬼が沢山出る華やかなバージョン(観世流の「鬼揃い」とはまた違うそうです)でした。シテは80世宗家の金春安明。3人出るシテツレとは格が違う存在感があります。
前半はシテとシテツレ合計4人の美女が登場しますが、小面系の女面はよく見るとひとりひとりが少しずつ違っています。この前シテには、流派によって「万媚」とか「増女」など妖艶系の面が使われることもあるようですが、私には見分けがつきません。しかしながら、シテの面が特に素晴らしい表情であったように思われました。
「歌舞伎」の「紅葉狩」の前半の主人公「更科姫」は、明治の名優九代目團十郎が創始したという「二枚扇」を使ったアクロバティックな踊りが見どころになっていますが、能の前シテはもちろんそんなことはしません。シテツレが3人もいるので、きらびやかな紅葉を思わせる赤系の唐織をまとった美女が4人も舞台に立っているだけで華やかで美しい絵となるといころが見どころといえるかもしれません。
後シテの鬼神が凄まじい迫力でした。シテツレ達は、赤毛に般若の通常よくある鬼女の扮装でしたが、シテのみは白髪のカシラに角がない男性的な顰(しかみ)に女性的な般若の様相を加えたような面(上のポスター写真左側)で、不気味な金泥の眼光鋭く耳まで裂けた口は今にも毒気を吐き出しそうでした。舞台中央に据えられた造りものの山の幕が外れて後シテが姿を現した瞬間の迫力はこの世のものとは思われず、そこにじっと蹲っているだけで、邪悪な意志と強烈な怨念が発散されているように感じます。
歌舞伎の「紅葉狩」では、戸隠山へ平維茂が「紅葉狩り」にやってきて「更科姫」という美女に出会うという設定になっていますが、能の「紅葉狩」では、「この辺りに住む」(名乗らない)美女が紅葉狩りにやって来て宴を張っているところに、維茂が「鹿狩り」にやって来る(実は勅命により鬼退治に来たのだということが後で判明する)という構造になっています。
また、歌舞伎は女方(または兼ねる役者)が主役を演じ、前半の美女が後半は「鬼女」になる、つまり本質は「女」であるという性格を持たせているように見えますが、能の方はあくまでも「鬼神」が維茂を返り討ちにするための計略として美女に化けているという構造をとっています。もちろん能においてもこの「鬼神」を般若の面を使って女性的な鬼と表現するやり方もあるようです(元になった信州の伝説も紅葉という女の物語)が、この日の金春安明は明らかに男性的(あるいは中性的)な「鬼神」を表現していました。このあたりも、面を使い分ける能楽の面白いところ(たとえば「砧」の後シテは「痩女」の面を使うか「泥眼」の面を使うかで全く性格が違う演出となるそうです)だと思いました。
細かいことですが印象的だったのは、金春流は足の運びにあまり厳格なルールがないのでしょうか、上体を動かさずに滑らかに進む点は変わらないものの、ひとりひとりの摺り足のやり方がかなり違っていました。通常見慣れている能の摺り足は、足を床に滑らせて進めたあとに爪先をはっきり上げてぱたりと降ろす動作を繰り返すところが特徴的だと思っていました。ところが今回は、シテの宗家は自然に爪先を上げていましたが、他の人はあまりはっきり爪先を上げない人が多く、特にシテヅレ筆頭の人などは全く爪先を上げることなく、むしろ足指を舞台面に食い込ませるようにしたままで足を前に滑らせて進んでいました。
ちょっと気になったので、家に帰ってから昔読んだ「能面入門」という本をひっくり返してみると、先代宗家の金春信高が能楽における摺り足の重要性を述べている文章が見つかりました。そこでは昭和の名人野口兼資(宝生流)の足の運びについて以下のように描写しています:「故野口兼資は直立不動の姿勢であった。すっと、無造作に足を出す。爪先がピンとがる。次には、その出した足の踵から爪先へと、ゆっくり体重を移すのであった。」ここでも爪先をあげる型が描かれています。重要なのは滑らかな体重移動であって足先の動きはあまり関係ないのかもしれませんが、私には様式美は細部に宿るという思いもあるので、爪先がピンと上がる摺り足を見たいという気がします。
また、「橋弁慶」、「紅葉狩り」の両シテとも、登場・退場のシーンでの歩行は、右足を出すとそれに左足をそろえる形でいったん止まり、今度は左足を出して右足をそろえてまた止まるという一歩ずつ静と動を繰り返しながら進んでいくやり方が特徴的でした。これも金春流の流儀なのか、たまたま演目によるのか、能楽に詳しいひとに聞いてみたいところです。
それはそれとして、ドイツ文学者であると同時に大文化人だった故高橋義孝の随筆集「能のすがた」の中にこんな一文があります:大坪(十喜雄)さんのシテは実に切れ味がよく、冴えていた。ところで、切れ味がいい、冴えているとうことはどんなことかと云うと、動きというものをぎりぎりのところまで追いつめて、もう一歩でこれを抹殺しかねないということである。シテはある型をとり、そして次の型に移るのであるが、西洋の芸術では、肝腎なのはその型と型との間にある動きなのに、能は型をつぎつぎと見せて、そして型と型の間に入り込んでくる動きを能うかぎり抹殺してしまおうと努める。型と型の間の動きが目立つようでは、型が型として生きてこないのである。
一歩一歩静止しながら進むやり方は、コマ撮りの連続写真のように型を連続して見せるひとつの工夫なのかもしれません。しかしながら、上半身は微動だにさせずにあたかも動く歩道に乗って平行移動しているように見える通常の滑らかな摺り足と、一歩ずつ歩を進める連続写真型の移動法の、どちらが「動きを抹殺している」ように見えるのかはなんとも言えないところがあるように思われました。
歌舞伎の「紅葉狩」では、平維茂と鬼女の戦闘は決着がつかないうちに幕となりますが、幕がない能の場合、鬼が退治されるところまできちんと見せます。今回の演出では、まず手下の三匹の鬼たちが一匹ずつ切り伏せられて上手の切戸口(地謡や後見が出入する小さい出入口)から退場し、そのあとで、シテが仕留められ、地謡も囃子も止んで静寂に包まれた橋掛りをゆっくりと退場して行くのでした。
そこには、討たれた後にまだ人物(この場合は鬼)が動いているという不自然さは全くなく、一曲舞い終えた後の演者が静かに退場する余韻だけが感じられ、そのシテが揚幕に消える直前に客席からは自然に拍手が湧きあがります。ここに歌舞伎の花道の引っ込みや、オペラのカーテンコールとはまた違う能の「橋掛り」の持つ魅力があるといえましょう。「演劇的空間」あるいは「祝祭的空間」である本舞台と現実世界である「鏡の間」を結ぶ空間としての「橋掛り」。そこを演者たち、最後に囃子方が渡って退場し、永遠に緑が繁る老松が描かれた空っぽの舞台が残されます。池の上に建てられたこの身曽岐神社の能楽殿の場合、その余韻の味わいは格別に深いものがあるように感じました。