指揮:アンドレア・バッティストーニ
演出:ピエル・ルイジ・サマリターニ、エリザベッタ・ブルーサ
美術・衣装:ピエル・ルイジ・サマリターニ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団(佐藤宏指揮)
リゴレット:上江隼人
マントヴァ公爵:古橋郷平
ジルダ:佐藤裕子
スパラフチレ:ジョン・ハオ
マッダレーナ:谷口睦美
ジョヴァンナ:与田朝子
モンテローネ伯爵:長谷川寛
マルッロ:加藤史幸
ボルサ:今尾滋
チェプラーノ伯爵:原田勇雄
チェプラーノ夫人:杣友恵子、小姓:小倉牧子
強烈な印象を残す公演でした。
その印象とは、「バッティストーニの《リゴレット》」だったということ。彼が指揮するヴェルディのオペラ公演を私が聴くのは2012年の二期会《ナブッコ》、2013年のヴェローナ《ラ・トラヴィアータ》に続き3回目となりますが、いつも感じるのは、見た目の若さあふれるダイナミックな指揮ぶりとは裏腹に紡ぎだされる音楽が緻密で老練といってもいいクールな美しさを持っていることです。
今回は特に、ソリスト陣も健闘はしていたもののやや小粒であったせいもあって、アンサンブルや合唱、オケとのバランスといったトータル・パフォーマンスとしての演奏を楽しむ公演となりました。
首席客演指揮者として関係を築いてきた東京フィルとの息もぴったり合っていて、隅々に若きマエストロの意志が浸透していることを感じるとともに、何度もこのオペラを聴いてきた者にとっても新鮮に感じるところが随所にみられました。
例えば、第二幕のリゴレットのアリア<Cortigiani, vil razza dannata,…(廷臣たちよ、卑怯者で罰当たりな輩よ…)」の前半部で弦が刻む六連符の凄まじい速さ。こんなに速いテンポは聴いたことがないような気がします。昔の声を聴かすタイプの大歌手の時代の録音がゆっくりめであったのは当然として、歌手の専横を許さないムーティの指揮でもここまで速くはありません。
しかしながら、こうして超高速の<Cortigiani,…>を聴いてみると、歌詞の上ではユーゴーの原作におけるこのトゥリブレ(リゴレット)が悪態つく場面が持つ「鋭い毒」の要素を検閲対策で緩和せざるを得なかったヴェルディが、音楽の上でそれを表現しようとした、ということがよくわかるような気がします。
なにしろ原作のトゥリブレはこの場面でフランスの貴族の名家の名前を次々に挙げたあとに「貴様らの母親はみんな召使に淫売していたのだ。そこから生まれた貴様らはみんな卑しい庶子(バタール)だ。」と言い放つのです。このセリフが問題となって『王は楽しむ(Le roi sÕamuse)』は一日で上演禁止になったのでした。
バッティストーニが、おそらくこうしたことまで意識して曲作りをしていたことが、前週にイタリア文化会館で行われた講演会からもうかがえます。
それにしてもこのテンポを一糸乱れずに演奏してのけた東フィルのヴィルトゥオージティもなかなかのものと言えましょう。また、このアリアでは前半の疾走する「怒り」に対して後半では「哀願」と悲痛な「嘆き」が歌われますが、ここにおけるテンポの絶妙なルバートでもバリトンの歌とコール・アングレの絡みあい、そしてそれを支えるチェロの六連符がぴたりと息が合って見事でした。指揮者の力量を見せつけた場面だったと思います。
そのほか、第3幕の有名な四重唱でも各声部のバランスとそれをサポートするオケの旋律の際立たせ方などが実に見事だったことなど、印象に残ったところは枚挙にいとまがありません。
一方、ソリストの方は、上述したとおり、好演ではあったもののやや小粒と言わざるを得ません。
題名役の上江隼人は歌唱も演技もうまいのですが、いかんせんヴェルディ・バリトンとしては声が軽すぎます。歌舞伎でいえば「ニン」にはまらない、というのでしょうか、こればかりはどうしようもありません。
私がこのオペラの生演奏で一番聴いているのがレオ・ヌッチであるということも点が辛くなる原因かもしれませんが、例えば同じ二期会の公演で大昔の栗林義信が歌ったリゴレットなどは、演技などは上江より数段下手でしたが、ヴェルディのバリトンロールにふさわしい声の響きで納得感がありました。第一幕と第三幕の終わりでフルオーケストラをバックに「la maledizione!(あの呪い!)」と絶叫するときに、悲痛な絶望感に満ちた暗さと重さを持った声でないとこのドラマは完結しないのです。
その意味では、これと呼応し、このオペラの主要なテーマとなっている「呪い」を歌うモンテローネ伯爵は非常に重要な役です。残念ながらこの役を歌った長谷川寛も全くのパワー不足でした。
マントヴァ公爵を歌ったテノールの古橋郷平は、美声でイタリア語のディクションも板についており、すらりとした体型もあって貴公子役にはぴったりのはずなのですが、どう見てもいわゆるヤンキーのアンちゃんにしか見えません。二期会デビュー2作目ということでまだ堅さがあるのか、表情に余裕がなく、歌も伸びやかさが足りないように感じました。しかしながら、プログラムにもあるように「注目される大器」であることは確かで、将来を期待できる若手だと思います。
ジルダの佐藤優子はアジリタ歌唱も高音も卒なくこなし手堅い印象でしたが、それ以上でもそれ以下でもないというところ。清純な乙女が一途な女になっていく過程が演技でも歌でもあまり見えてこない感じがしました。
第一幕においてはピュアな乙女らしさが足りず、逆に第3幕での思いつめた強さが足りない、といってしまっては厳しすぎるでしょうか。
ジョン・ハオのスパラフチレと谷口睦美のマッダレーナは声の力があり、アンサンブルを引き締めていました。特に、第3幕の四重唱はメッゾの声がきちんと響かないと面白くないのですが、谷口は演技とともに不足感のない役割を果たしていたと思います。
プロダクションは、パルマ王立歌劇場から持ってきたもので、故サマリターニの演出・美術・衣装によるものをエリザベッタ・ブルーサが再現しています。
同歌劇場の1987年公演(ヌッチ、クラウス、セッラ主演)のDVDがありますから、ずいぶん古いものですが、バッティストーニが講演会で「昔ながらのイタリアの歌劇場の伝統的な、まさにメイド・イン・イタリーの最高の舞台」と言っていたように、オーソドックスで美しいもの。廷臣たちの衣装も豪華で時代絵巻を見る思いがするのですが、これがどうも日本人が身に着けるとちょっと「イタイ」感じがしないでもありません。
特に我々「ヒラタイカオ族」にとってルネサンス期のヨーロッパ貴族の帽子というのは似合わないものです。どうせ時代劇にするなら、歌舞伎の衣装にでもする方がいいのかもしれない、と思いました。