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東京フィル定期演奏会《トゥーランドット》を聴いて
(2015年5月17日 オーチャードホール)
指揮:アンドレア・バッティストーニ

武田雅人

指揮:アンドレア・バッティストーニ
管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団
合唱:新国立劇場合唱団、東京少年少女合唱隊
トゥーランドット:ティツィアーナ・カルーソー
カラフ:カルロ・ヴェントレ
リュー:浜田理恵
ティムール:青木健詞
アルトゥム:伊達英二
ピン:荻原潤
パン:大川信之
ポン:児玉和弘
官吏:久保和範

色つきの照明を多用する、官吏や皇帝をバルコニー席から歌わせる、一部の登場人物が客席通路を通って入退場する、衣裳を着けたペルシアの王子と首切り役人を登場させる、などの演出もありましたが、基本的には演奏会形式の上演であり、ステージ上のオーケストラと合唱の前で、イブニングドレスや燕尾服姿のソリスト達が多少身振りの演技を伴いながら歌唱を行うというものでした。
それにもかかわらず、まるであのゼッフィレッリの絢爛豪華な舞台を目の前に観るかのようなスペクタクル性を感じさせる雄弁な演奏会でした。
さらにいうと、このオペラの舞台を何度も観ている者にとっては、装置や人物の動きに気をとられない分、音楽そのものが持つ劇的な要素に集中でき、自分自身の中に舞台のイメージを膨らますことができる公演であったということもいえましょう。

オペラ・エクスプレスというウェブサイトに掲載されたバッティストーニのインタビュー(聴き手:井内美香)の中で、この若きマエストロが興味深いことを述べています。

「もともと、コンサート形式でオペラを演奏するというのは、とてもデリケートな面があります。全てのオペラがそれに向いているわけではありません。~中略~
《トゥーランドット》は音楽だけで演奏しても大丈夫な作品です。大変洗練されているし、オーケストラ部分が非常によく書かれていてシンフォニー的です。~中略~
そして物語の筋が現実的でないんです。このオペラを、プッチーニの他の作品と同じように解消しようとすると間違ってしまうと僕は思います。
《トゥーランドット》は大きな革命を起こしているんです。象徴的な作品で、ヴェリズモ的要素は皆無です。おそらくプッチーニは自分自身を窮地に追い詰めてしまったんです。プッチーニが《トゥーランドット》を書き終えられなかったのは病気で死んでしまったからではありません。このオペラを書き終えるのに必要な時間は彼にはたっぷりあったのです。

彼がこのオペラを書き終えられなかったのは、不可能なことをやろうとしたからです。トゥーランドットの人物像を人間的にしようとしたのです。しかしトゥーランドットは人間的にするべきではない。~中略~
これは「おとぎ話」なのです。トゥーランドットが求婚者を次々と殺してしまうというのは現実的な世界ではない。プッチーニは、トゥーランドットがカラフの情熱ゆえにわれを見失う恋をする、という少々ワグネリアン的世界を目指したようですが、それは正しい選択ではなかった。だから彼はオペラを完成させることができなかったのです。
つまりプッチーニは自分自身のセンチメンタルな世界に戻ろうとしてしまったんです。~中略~

アルファーノが書いたフィナーレの第二版は、今でも僕が一番好むものです。~中略~
ルチャーノ・ベリオが書いた版もありますが、ベリオ版の問題は、プッチーニがやりたかったであろうことをやってしまったことです。つまり登場人物を人間として写実的に描こうとした、ということです。これ以上の間違いはないと思う。こんなにシンボリックで、こんなに反現実主義な物語の結末に、急に人間的になる理由が見つかりません。
トスカニーニが(第一版を)カットしたアルファーノの第二版は納得できます。プッチーニのスケッチに一番近いし、物語の進行の裏に深層心理を探そうとしていないところが評価できる。ハッピーエンドを強調しているところも。~中略~
おそらくプッチーニはリューに同情を感じ始めてしまったのでしょう。」

この日の演奏は、まさに上記のマエストロの解釈を小気味よいほどに具現化したものでした。そして「壮大なおとぎ話」であるということを視覚的に具現化したのがゼッフィレッリの舞台であるとすると、それが眼前に現れたように私が感じたのは当然だったのかもしれません。
バッティストーニの棒から生み出される音楽は、色彩豊かで目くるめくようなファンタジーの世界に溌剌としたエネルギーが充満した強い力でぐいぐいと引っ張りこむような迫力がありました。
リューというのはいわゆる儲け役で非常に美しい曲を歌ううえ、プッチーニの妻に不貞の嫌疑で責め立てられたために自殺してしまった若い女中ドーリアがモデルであるという有名な逸話も加わって、この役柄を重要視する聴き手もたくさんいます。
しかしながら、女性の自己犠牲によって男性が救済されるというワグネリアン的「妄想」が好きになれない私にとっては、このオペラの主役はあくまでもカラフとトゥーランドットであって、リューはピン、パン、ポンと同じレベルのコンプリマリオ(準主役)に過ぎないと考えてきました。
しかし、それにしてはこのオペラの中でリューの存在は切ないほどに際立っているところもあるのは確かであり(事実、この日の浜田理恵による直進性がある見事な弱声を駆使した歌唱も非常に感動的で不覚にも涙が滲んでしまいました)、物語全体の中での立ち位置が非常に不安定な感じがします。
そうしたこのオペラに内在する不安定な感じを上述のバッティストーニの解釈は見事に説明しており、今までもやもやしていた胸のつかえが下りたような気になります。

一昨年にバッティストーニの生まれ故郷でもあるヴェローナを訪れた時、同地の博物館で他のヴェルディやプッチーニのオペラ自筆譜が展示されている部屋でこの《トゥーランドット》の自筆譜も観ました。
ひときわ大きい版型の五線紙に鉛筆書きで音符が書き込まれていました。傍ら解説には「ペンでなく鉛筆で書かれた自筆譜はとても珍しいものだが、体力・気力の衰えを自覚したプッチーニがいつでも書き換えられるように鉛筆を使ったのではないか」と書かれていました。
この自筆譜が作曲当時のプッチーニの悩みを語っているように思われます。勉強家のバッティストーニもこれを見て前記のような解釈に自信を深めたのかもしれません。

題名役のティツィアーナ・カルーソーはこの役にふさわしい力強い声。アリア<この宮殿の中で>の最高音が少しぶら下がり気味で切れを欠いたのが惜しかったものの総じて不足感のない歌唱、容姿と演技も説得力のあるものでした。
カラフのヴェントレは絶好調。今までにも何度も来日し、ポリオーネやラダメスを歌っていますが、聴くたびに声に力強さと輝かしさを増し、よくなっているように感じます。今回のカラフは特に彼の声に合う役柄で、久しぶりに力強い<誰も寝てはならぬ>を堪能できました。
日本人ソリスト陣も、前述の浜田理恵をはじめとしてそれぞれが不足感のない出来であったうえ、新国立劇場合唱団が人数のわりに厚みのある声で雄弁な指揮に見事に応えて白熱の音楽作りに貢献していました。テノールパートに少し粗っぽい発声がみられたものの、女声パートの美しさと力強さは特筆すべきものがあったと思います。
そして本日の主役、東京フィルハーモニー管弦楽団。日本というよりも世界有数のオペラ・オーケストラであることを改めて示してくれた見事な演奏だったと思います。



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