8月7日夕刻にアリタリア直行便でミラノ・マルペンサ空港に着きました。まずレンタカーを借ります。イタリアのHertzではオートマ車指定をするとメルセデスやオペルなどのドイツ車になることが多いのですが、今回は初めての日本車、Lexus IS Hybridでした。
ミラノ市内に入ると、昔はよくカーナビ無しでこんな所を走れたものだ、とつくづく思います。同じような外観の建物と石畳の街路が迷路のように入り組んでいて、おまけに一方通行が多い。街路名表示は建物の外壁につけられた小さなプレートでよく見えないし、交差点には地名表示がありません。自分がどこを走っているのかわからなくなってきますが、カーナビに導かれるままに過たずGrand Hotel et de Milanの前に到着できました。
ジュゼッペ・ヴェルディの定宿で、1901年1月27日に彼が亡くなったのもこのホテルの一室でした。その旨を記したプレートがホテルの外壁に設置されています。
本来夏はオペラハウスのシーズンオフなのですが、今年はミラノ万博があるため、スカラ座でも特別公演を行っています。このため、8月8日に実に18年ぶりにミラノ・スカラ座でオペラを観ることができました。
チケットは2週間ほど前にネットで購入。「郵送」となっていましたが、案の定出発日までに届きません。ボックスオフィスに電子メールで問い合わせ、その返信メールのハードコピーを当日劇場窓口に持参してチケットを再発行してもらいます。同じような人がたくさん来ていましたから窓口では手慣れたもの。名前が書かれた封筒にチケットを入れたものが予め用意されていて黙って手渡してくれました。
演目はロッシーニの《セヴィリアの理髪師》。特別公演の一環でソリストの大部分とオーケストラと合唱はスカラ座アカデミーのメンバーによるものです。研修生主体の公演とはいえ、主役のひとりロジーナに日本人メッゾ・ソプラノ脇園彩が抜擢されたのは特筆すべきことでしょう。脇園は昨年のペーザロ音楽祭研修生公演《ランスへの旅》でも主役のひとりに選ばれているので、若手ロッシーニ歌いのホープといえます。
指揮:マッシモ・ザネッティ
演出・装置・衣装:ジャン・ピエール・ポンネル(再演演出:ロレンツァ・カンティーニ)
合唱指揮:マルコ・デ・ガスパーリ、
スカラ座アカデミー管弦楽団・合唱団
(以下、*印:スカラ座オペラ歌手養成アカデミー研修生)
アルマヴィーヴァ伯爵:エドアルド・ミレッティ*
バルトロ:ジョヴァンニ・ロメオ*
ロジーナ:脇園彩*
フィガロ:マッシモ・カヴァレッティ
バジリオ:ルッジェーロ・ライモンディ
ベルタ:ソフィア・ムチェデシヴィリ*
フィオレッロ:クワンユン・キム*
アンブロージョ:ミケーレ・ナーニ
士官:ペトロ・オスタペンコ*
なんといっても感慨深かったのは、1981年の第1回スカラ座来日公演の時と同じジャン・ピエール・ポンネルのプロダクションを再びナマで観ることができたことです。プログラムに掲載されているスカラ座上演記録によると、このプロダクションは1969年12月以来、実に46年間にわたって使われていることになります。その間に1シーズンだけ(1999年6月~7月)アルフレード・アリアス演出、ロベルト・プラーテ装置の新演出がフローレス、ガナッシ、フロンターリら豪華歌手陣で上演されていますが、評判が悪かったのでしょうか、2002年のシーズンからはポンネル演出に戻っています。
回り舞台による巧みな場面転換、フィガロの颯爽たる登場シーンでの消防士さながらポールを使っての階下への滑り降り、バジリオのアリア<かげ口はそよ風のように>で人物の正面下から光をあて背景に大きな影を映し出す手法、バルトロ髭剃りの場面で長いエプロンを使ってのドタバタなど、才気あふれる印象的なシーンに事欠きませんが、なんといっても秀逸なのは第一幕フィナーレにおける人物の動かし方。ソリストと合唱による長大なアンサンブルの間、劇の進行は止まってしまっているわけですが、静止した人物たちが一斉に同じ角度でゆっくり体を傾け、また戻します。全く意味のない動きなのですが、どういうわけかこれが溌剌たる音楽によく合っていて、単なる棒立ちでは表現できない可笑しみが伝わってくるのです。
天才ポンネルの面目躍如。以降のオペラ演出に大きな影響を与えた記念碑的な舞台といえましょう。ポンネル自身は、1988年に不幸な舞台上の事故で亡くなってしまいましたが、こうして舞台が生き続けていることは素晴らしいことだと思います。
ザネッティの指揮は、細部にまで神経の行き届いたメリハリを効かせたものでしたが、それだけに若手のオケは棒についてゆくのが精一杯という感じで、肝心のロッシーニらしい生気にあふれた軽やかさを出すには至らない部分もありました。それでも全体としてはとても楽しめる演奏であったと思います。
キーロールのフィガロとバジリオは、歌舞伎でいえば「上置き」にあたる研修生以外のベテランが出演。初日のフィガロはレオ・ヌッチが登板して大喝采を浴びたそうですが、この日のカヴァレッティも若手歌手たちとは格が違う歌と演技を見せてくれました。かなり重みのあるバリトンらしい声ながらアジリタも軽快にこなし、中音域から高音まで同じ響きで安定感のある余裕の歌唱でした。
バジリオは、大ベテラン、73歳のルッジェーロ・ライモンディ。さすがに声と身体能力の衰えは隠せませんが、持ち前の悪魔的な声と風貌を生かした怪演ぶりには、喜劇に彩りを添える独特の味わいがありました。
さて、わがアヤ・ワキゾノは、と言いますと、メッゾとしては軽めの美声だけに正確でキレの良いアジリタ歌唱を軽々とこなし、演技力も十分で、コケティッシュな若いヒロインを十分魅力的に演じていたと思います。舞台度胸もあるのでしょう、大役に臆することもなく堂々たるプリマ・ドンナぶりでした。
伯爵役のミレッティは美声ではあるものの、歌唱技術的にはまずまずといったところ。バルトロ役のロメオも見せ場のアリアで肝心の早口言葉に鮮やかさを欠きました。このように他の研修生ソリストがいまだ未完成な部分が見えていたのに比べると、脇園の落ち着きぶりは際立っていたと思います。
このまま歌唱技術の敏捷性は失わずにもう少し声に深みが出てくると、素晴らしいロッシーニ歌手になることでしょう。楽しみです。
なお、脇園とダブルキャストで6日までの公演でヌッチの相手役としてロジーナをつとめたノルウェイ人歌手リリー・ヨルスタッドも大成功をおさめたそうですが、なぜか彼女の出番が終わった翌日(7日)、スカラ座アカデミー学長から2年目の勉学を続けるのは「不適切」だとする(つまり退学処分の)通知を受けたそうです。
学校側のプレス発表では教授陣全員一致で「歌手としての能力不足」とされたのだとか。実公演で大喝采を浴び、共演者からの評価も高かったのに、能力不足とはどういうことだ、とネットで話題になっていました。
2.シルミオーネ
8月9日にミラノを出て高速道路A4を東へ走り、ヴェローナの少し手前、シルミオーネに寄って2泊しました。ガルダ湖の南岸から突き出た半島にある街で、先端部分には古代ローマの別荘の遺跡(Grotta di Catullo)や13世紀の城塞(Rocca Scaligera)があります。そのスカラ家(当時のヴェローナ領主)の城塞の門から先は一般の車は進入禁止で、地元関係者と宿泊客の車だけが入れます。
狭い石畳の街路は徒歩の観光客であふれているので、短い距離を進むのにも時間がかかります。ハイブリッド車は低速走行ではエンジン音がしませんから、歩行者になかなか気づいてもらえず、困ります。
城塞から岬の先端にある遺跡へ向かう途の中間地点くらいに、マリア・カラスの別荘だったヴィラがあります。現在は集合住宅として使われており、中に入ることはできません。
ご存知のとおり、マリア・カラスは1947年の夏、ヴェローナ音楽祭でイタリア・デビューを果たし、そこで出会った地元の実業家メネギーニと結婚。ヴェローナ近郊のゼーヴィオにある屋敷に住んでいたそうです。その後、歌手として成功したカラスとメネギーニは1952年にこのヴィラを購入し、59年にオナシスのもとに走ってメネギーニと別れるまで、夏のヴァカンスをここで過ごしていたようです。
この建物の正面にあるヴィラ・コルティーネ・パラスというホテルに泊まりました。鋳鉄製の正門を入って、200mほどアプローチの坂道を上った丘の上にある豪華なリゾートホテルで、ローマ時代の別荘をイメージした石像や噴水が立ち並ぶ広大な庭園があり、糸杉と松を中心にした木立の間から美しいガルダ湖の景色が見渡せる別世界のような場所でした。