8月12日の昼間は、ヴェローナから南西の方角に70~80km行ったところにあるサッビオネータという小さな城塞都市を訪れました。
前回(一昨年)もミラノへの移動の途中で立ち寄ってみたのですが、あいにく日曜日のために観光施設はすべてお休み。今回はそのリベンジです。マントーヴァの領主ゴンザーガ家の分家、ヴェスパシアーノ公爵が16世紀に作った街で、外側を取り囲む函館五稜郭のそれとよく似た五角形の城壁がよく残っています。
ここにある古典劇場(Teatro all’antica)は、ヴィチェンツァにあるオリンピコ劇場を完成させた*ヴィンチェンツォ・スカモッツィを招いて作らせたもので、現存する最古の劇場のひとつだそうです。(*注:アンドレーア・パッラーディオの設計に基づくプロジェクトを引き継いだので「完成させた」という言葉を使いました。)
客席側はローマ様式の2階テラスや木造の階段式客席がよく保存されており、スタッコ製のローマ神話の神々の塑像群など、小ぶりながらもヴィチェンツァのオリンピコ劇場とよく似た様式です。一方、舞台側の常設街路は再建されたもので、ヴィチェンツァの劇場より間口も狭く質素ですが、開放的なデザインです。
場内で手を叩いてみるととてもよく響くので、役者の声は通りがいいに違いありません。一時は映画館になっていたこともあるそうですが、現在は時々演劇が上演されるそうです。
夕刻にはヴェローナに戻り、この日のオペラは《ドン・ジョヴァンニ》。72シーズン目を迎えたアレーナ音楽祭でも、モーツァルトの作品が上演されるのは大変珍しく、《ドン・ジョヴァンニ》は2012年に続いて今回で2度目となります。ゼッフィレッリの絢爛豪華なプロダクションとモンタナーリのユニークな指揮で非常に楽しめる公演となりました。
指揮:ステファノ・モンタナーリ
演出・装置:フランコ・ゼッフィレッリ
衣裳:マウリツィオ・ミッレノッティ
振付:マリア・グラツィア・カロフォリ
照明:パオロ・マッツォン
ドン・ジョヴァンニ:ダリボール・イェニス
レポレッロ:マルコ・ヴィンコ
ドンナ・アンナ:エカテリナ・バカノーヴァ
ドン・オッターヴィオ:サイミル・ピルグ
ドンナ・エルヴィーラ:ダニエラ・スキラーチ
ツェルリーナ:ナタリア・ローマン
マゼット:クリスチャン・セン
騎士長:インスン・シム
私にとって、このオペラの原体験は、1953年のザルツブルグ音楽祭におけるフルトヴェングラー指揮、チェーザレ・シェピ主演で行われた公演の映画です。学生時代に日比谷公会堂でこれを観て、非常に感動しました。
以来、私の中ではこの演奏がスタンダード。遅めのテンポで不気味な雰囲気を奏でる序曲、メフィストーフェレやフィリッポ2世などを得意にしたバッソ・カンタンテであるシェーピの深くて重い声で歌われるエネルギッシュな歌唱など、この作品のデモーニッシュな部分を強調したものです。
そのフルトヴェングラー盤と比べると、この夜のモンタナーリの指揮はほぼ対極といってよい音楽作り。まず序曲がおそろしく速いので、最初は違和感を覚えました。しかしながら聴いているうちに、これはこれで「あり」かな、と思えてきます。
カンタービレなアリアなどは通常のゆったりしたテンポになりますが、アンサンブルなども全般的に速めのテンポで軽快に畳みかけます。オーケストラは雄弁で、歌を伴奏するというよりも並列して別の言葉を語るような感じ。ああ、モーツァルトはオケでこんなことを語っていたのか、と気づかされる部分が随所にありました。それでも全体の調和は素晴らしくとれていて、宮廷風の典雅な雰囲気に満ちています。
モンタナーリと猫足の電子ピアノ
通常チェンバロが和音を奏でるだけのレチタティーヴォ・セッコの部分もユニーク。指揮台の前に楽器を置いて指揮者自らが弾くというのはサヴァリッシュやレヴァインなどもやりますが、モンタナーリが弾いているのはキーボードに猫足の台をつけて外見はチェンバロに見せかけた電子ピアノでした。広い会場で音を響かせるためというだけではなく、チェンバロ風の音色を出すこともあればグランドピアノの音になったりもして表情を変える効果を狙っているようです。
しかもその伴奏は和音でリズムをとるだけでなく右手でさかんに細かいオブリガードをいれて、歌手の言葉に合いの手をいれたり茶化したりするような動きをするのです。つまりセッコの伴奏も雄弁で自己主張が強いものですが、それが嫌味になりません。
こんな《ドン・ジョヴァンニ》は初めて聴きました。
フルトヴェングラー盤では、題名役のシェーピのほか、レポレッロのオットー・エーデルマン、マゼットのワルター・ベリーなど低音男性陣はすべてバスやバス・バリトンの重厚な声の持ち主でしたが、この日の公演では、題名役がプログラムに記載されているイルデブランド・ダルカンジェロからダリボール・イェニスに代わったこともあって、騎士長のシム以外はすべてがバリトン系でバスよりは明るめの声で固めることになり、結果として余計にアンサンブル全体が速めのテンポによく合う明るく軽快な調子になりました。
モーツァルトの時代はバスとバリトンがまだ未分化ではありましたが初演の題名役も若いバリトンによって歌われたとのこと。まさにスコアの題名に冠されている「ドランマ・ジョコーゾ」(喜劇)とはこのことか、モーツァルトが目指したのはこんな音楽だったのかも知れないと思った次第です。少なくとも彼があこがれたイタリアの地で演奏される時には、北方系の重厚な演奏よりも、今回のような軽快な演奏が合っているという気がしました。
ソリストたちはすべて芸達者でしたが、とりわけよかったのは、ドンナ・アンナ役のバカノーヴァでした。広い会場に響きわたる強靭で直進性のある美声でありながらアジリタの技術もしっかりしていて敏捷性があります。演技力もあってドン・ジョヴァンニを拒絶しながらも惹かれる部分もあるこの女性の複雑な二面性をうまく表現していました。
レポレッロのヴィンコは、声量の面で少しもの足りない面もありましたが、速いテンポに乗って軽快に早口言葉をしゃべるところはいかにもブッフォ役者という感じで、この役の性格をよく出していたと思います。
声の面で圧巻だったのは、騎士長を歌った韓国出身のインスン・シム。ホンモノンのバッソ・プロフォンドの声で、石像となってドン・ジョヴァンニに改心をせまる場面は迫力満点でした。
インスン・シムとダリボール・イェニス(第2幕フィナーレ)
ゼッフィレッリの舞台は豪奢なバロック風の宮殿のファサードのような出入り口と石の階段を各場共通の装置として正面奥に配し、手前の巨大な円柱といろいろな位置に動かしたり、ファサード奥の背景幕を変えたりして、スムーズに場面転換ができるようになっています。彼一流の群衆の使い方も巧みで、時代の置き換えなど奇をてらうことは一切排したオーソドックスで正統派の演出ながら、まったく飽きさせることがないところが凄いと思います。