8月9日(木)夜、ジャカルタを発ち、シンガポールとドバイでの乗り継ぎ時間を含めると19時間かけて10日(金)の昼過ぎにミラノ・マルペンサ空港に到着。そのまま、レンタカーをするのはいつものパターンだが、 今回はミラノ泊りではなく、A1高速を飛ばしてリミニまで休憩をいれて5時間のドライブ。ハーツで借りるオートマ車は今まで大抵オペルだったのが、今回はBMWなのでアウトストラーダの旅はとても快適。しかし、やはり少し眠気が襲ってくる。それを察知した隣席の妻が必死になって話しかけてくる。パーキングエリアで飲む濃いエスプレッソが実にありがたい。
リミニの海水浴場に面したリゾートホテルに一泊する。夜は半袖では肌寒いほど涼しい。リミニにもローマ時代のアンフィテアトロ(円形劇場)があるというので翌朝行ってみたが、大部分崩れてしまっている本当の「遺跡」に過ぎない。あらためて、ヴェローナのアレーナが奇跡的な存在なのだ、と実感する。暴君マラテスタ家が支配したことで有名なこの街には、あまり見るべきものが無さそうだ。
11日昼前にリミニを発ち、海沿いのA14を南下してアンコーナ北出口から西へ少し入ったところにあるイエージのホテル「フェデリコ2世」にチェクインする。ホテルの名前はイエージで生まれたというシチリア王にして神聖ローマ皇帝だった13世紀の名君にちなんだもの。アラビア語やギリシア語を含めた7か国語に堪能で、敵方のスルタンと意気投合した結果、十字軍史上唯一、無血でエルサレム奪還に成功した、という人物である。ブッシュ君に爪の垢を煎じて飲ませたいような君主ではないか。 なお、この名君の没後、シチリアは、フランス王の支配下に入って暗黒の時代を迎える。フェデリコ2世の侍医をしていたジョヴァンニ・ダ・プローチダがレジスタンスの闘士となり、ヴェルディがオペラにした「シチリアの晩鐘」事件を起こすわけだ。イエージはペルゴレージの故郷でもあり、市内にはペルゴレージ劇場というオペラハウスがある。
夕刻、早めにイエージを出て、車で40分ほど南にあるマチェラータへ向かう。マルケ州の丘陵地帯を縫うようにして走る快適な田舎道だ。マチェラータの城壁に囲まれた旧市街は丘の上にある。駐車場を探すのに苦労するかと思ったが、運良く市役所前の広場にとめることができた。しかし、ミシュランに市内地図が載っているような大都市ではないので、自分達の居場所がよくわからない。そもそもマチェラータの市街図が載っているガイドブックも少ないし、グーグルマップでは通りの名前はわかっても劇場の所在がよくわからない。
これまた運良く、車をとめて行き当たりばったり歩いてみた通りに本屋があり、マチェラータの市街地図が付録についている英語のガイドブックを買うことができた。それでもしばらく迷ったり人に尋ねたりした末にビリエッテリア(チケット発売所)にたどり着き、予約してあったオペラの切符を入手する。ビリエッテリアのある広場のカフェで一服休憩していると、目の前を日本人の団体がやってくる。もしやと思って目をこらすと、やはりその中に知人の田中径子さんがいた。事前のメールのやりとりで、オペラの会場で会いましょうといっていたのだが。狭い街である。
この日の演目は《ノルマ》。題名役のディミトラ・テオドッシュウとアダルジーザのダニエラ・バルチェッローナが良かったので、聴きごたえのある公演だった。
テオドッシュウのこの役は、カターニア大劇場の来日公演でも聴いているが、当代随一のノルマといってよい。声に鋭角的な力があり、怒りの表現が素晴らしいのは相変わらずだが、相手に同等以上の力強い声を持つバルチェローナを迎えて、徒に張り合おうとするのではなく、より深みのある表現を目指していたように感じられた。特に高音は無理をせず、安全運転で美しく響かせるようになっており、逆に以前ほどスリリングな興奮は呼ばないようにも思える。ただし、これまでの旅の疲れと時差ボケはピークに達しており、折角の好演であっても、眠気を押さえるのに懸命で、その真価を十分に味わえなかったのかもしれない。
1999年にペーザロでタンクレディを歌って以来、ベルカント系メッゾのスターに踊り出たダニエラ・バルチェローナの生の声を聴くのは、私にとっては初めて。メッゾにしては音色は明るいが、低音も含めて力強くよく響く声。テクニックも素晴らしい。
ポリオーネを歌ったカルロ・ヴェントレも、既にスカラ座などで実績がある若手テノール。しかし、強めではあるがリリコの声なので、この役には少し軽い、と感じられた。
パオロ・アッリヴァベーニ(Arrivabeni)指揮。97年から2000年までボローニャで副指揮者として修行を積んだ、という若手。09年に「愛の妙薬」でパリのバスティーユ・オペラ、10年に「リゴレット」でニューヨークのMETにデビューが決まっている。序曲をはじめ軽快なテンポは小気味がよいが、やや単調。折角、実力派の歌手が揃っているのだから、もっと緊張感のある音楽作りができたのではないか。眠くなった一因には、指揮の問題もあると思う。
演出・装置・衣裳はマッシモ・ガスパロン。ヴェネチア生まれ。20年間ピッツィの下で美術と演出の助手をつとめ、マチェラータでは昨年も《アイーダ》の演出を担当したとか。昨年来この音楽祭の芸術監督に就任したピッツィの「引き」があってのことであろう。あまり面白い演出ではない。
舞台中央に神殿の門のようなものがあり、その上には鷲と「卍」のマークが紋章のようにあしらわれている。そして舞台奥の壁にも「卍」と陰陽を表す白黒の巴を円形に組み合わせた「太極」の文様が左右にふたつずつかかげられている。ドルイド教の僧侶たちが仏教の僧のような衣を着ているところなどから、東洋的な「異教」の雰囲気を出そうとしているのかも知れないが、それで何が言いたいのか?ローマ人からみたガリアの宗教は、現在の西洋人からみた東洋の異教のようなもの、ということなのか。
むしろ、鷲とともに掲げられた卍のマークは西欧の聴衆にはナチスのハーケンクロイツを想起させてしまうのではないか?観客にナチスを連想させることもこの舞台の狙いだとしたら、それはどんな意図があってのことなのだろう?よくわからない。
なお、我々夫婦がマチェラータの野外オペラを訪れるのは今年が初めてだ。
19世紀の初めに球技用の施設として建造されたスフェリステリオ・アレーナで上演される。ヴェローナのようなすり鉢状のアンフィテアトロ(円形劇場)ではなく、細長い長方形に近い半円形で、長辺の片面がレンガの壁をバックにした横長のステージとなり、他の3面は立派なドーリア式の円柱を連ねた3層のパルキ(バルコニー席)が平土間席を取り囲んでいる。平土間(プラテア)の奥行きは16列しかなく、その後ろのグラディナータ(階段席)3列を加えても1階席は19列。奥行きだけなら小ぶりのオペラハウスくらいしかない。ところが、横幅の方は約80席。舞台の間口だけでおそらく40m近いだろう。この独特の空間を生かす演出はなかなか大変だろうな、と思う。
夏の野外オペラとしてのマチェラータは、日本では、ヴェローナと並び称されるようなイメージがある。ヴェローナと比較すると、全ての面でよく言えば「小ぶり」であり、そうした小じんまりとした手作り感のようなもの好む人も多いのだろう。しかし、ヴェローナ贔屓の私の目からみると「一段落ちる」感じがする。
上演水準自体は、そこそこ遜色ないものの、ソリストは今回の《ノルマ》のように超一流の歌手も出る一方、《マクベス》の方は全キャストがこれからという若手であり、層が薄い。逆に指揮者と演出家は《マクベス》の方は一流だが、《ノルマ》の方ははっきりいってかなり格下。財政的に苦しいこともあって、舞台装置やマネジメントを簡素にせざるを得ない。冬の劇場オペラとは違う開放的でダイナミックな祝祭気分が夏の野外オペラの醍醐味だと私は思うのだが、限られた予算では派手な演出はしにくかろう(それでも、今年のピッツィによる《マクベス》は、なかなかよく出来ていた)。
もぎりや案内係などの関係者の立ち居振舞いや客さばきもヴェローナの方がずっとプロフェッショナルで洗練されている。ヴェローナ公演が1回あたり2万人収容で、2007年夏だけで、オペラ5演目48回の公演をさばくのに対して、マチェラータはオペラ3演目11回(他にバレー・ガラと演奏会各1回)しか上演しないのだから、いたしかたない、とはいえるのだが。
しかし、旅行者としてオペラを楽しむのに、さらに重要なことは、周辺を支えるコミュニティとしての都市の実力である。
ヴェローナのアレーナの周りには、カフェやレストランが軒を連ね、開演前および終演後に食事や飲み物を楽しむ場所にこと欠かない。マチェラータでも付近の広場にぽつぽつとカフェがあるにはあるが、食事ができる所を探すのに初日はひと苦労した。劇場から徒歩圏にある数少ないレストランは予約で一杯だったのだ。 幸い私たちは比較的早めに会場周辺に着いたので、あるピッツェリアで食事にありつくことができた(シンプルな子羊のローストが意外に美味かった)ものの、後からやって来て席を見つけられない人々がかなりいたようだ。折角町おこしのためにやっているイヴェントなのだから、周辺のお店ももっと商売気を出してもよさそうなものだが、あまり町全体で「お祭り」を盛り上げようとするような雰囲気は感じられない。
また、交通も不便で、会場周辺にタクシーや公共交通機関の姿はなく、団体の貸切バスか、車で来るしかなさそうだ。劇場から徒歩圏内にあるホテルを確保するのも個人旅行ではなかなか大変だろう。鉄道駅も丘の上の旧市街からは少し離れた低地にあるのだが、駅前にタクシーはいないそうである。
まあ、そうした不便さをしのんで「詣でる」ところにストイックな楽しみを感じるファンもいるのかも知れない。後述するが、ヴェローナの俗化、観光地化はたしかに進行していることでもあり、「音楽祭詣で」を「聖地巡礼」のようにみなすとすれば、マチェラータの方を好む人がいても不思議はない。しかしながら、私にとってオペラはあくまでの娯楽であり、人生の楽しみである。大好きなヴェルディのグランド・オペラの祝祭気分を味わう全ての条件が整ったヴェローナの方がはるかに好ましい。