この日の昼間は、ツアーで日本から来ている田中さんをマチェラータでピックアップし、アッシジまで出かける。途中の給油に手間取ったりして、田中さんをだいぶ待たせることになってしまったが、彼女が道端に立っていると、車が何台か止まったそうである。さすがイタリアだ。 アッシジでも運良く、聖フランチェスコ大聖堂のすぐ近くにある駐車場に車をとめることができた。最近、イタリアでも拝観料を取る聖堂が増えたが、さすがにここはそんなことはしていない。あくまでも礼拝のための施設であり、万人に開かれている、という考え方によるものであろう。
その代わりに、お布施の受付所があり、神父さんが座っていて、喜捨をした善男善女には聖水を振りかけて祝福してくれる。聖フランチェスコ大聖堂は上下2重の構造になっているが、下の聖堂の受付所にいた神父は、日本人だろうか、きりりと賢そうな顔をした東洋系の若者であった。そのほか、聖キアーラ教会、ふもとの町にある聖マリア・デッリ・アンジェリ教会も見て回る。
夕刻、マチェラータに戻ると、田中さんに予約してもらったリストランテ「ダ・セコンド」で食事。前日、ツアーの講師、加藤浩子女史に連れて行ってもらったお店とのこと。私は、仔牛の薄切り肉トリュフとポルチーニのソース添えをメインにする。ウェイターに地元マルケの赤ワインロッソ・ディ・ピチェーノのお薦め品を選んでもらう。近くの席で、どこかで見たことがあるような白い顎鬚をはやした老紳士がウェイター達に「マエストロ」と呼ばれている。オペラが終わるとその紳士が舞台にあがり、ホスト役といった風情でソリストや指揮者と握手をし、観客に挨拶した。昨年からこの音楽祭の芸術監督をしているピエル・ルイジ・ピッツィであった。
そのピッツィの演出・装置・衣裳による《マクベス》。舞台のベースは《ノルマ》と共用で、横に長いスフェリステリオの壁に沿って、奥に右さがりの斜面、その手前に左さがり斜面がある。幅3mほどの互い違いの斜面は中央出入口の前で交差しており、左右の舞台袖にあたる部分にも出入り口がある。中央出入口を2階とすると、奥の斜面の下手(左)側と手前の斜面の上手(右)側の出入口が3階、奥の斜面の上手側と手前の斜面下手側の出入口が1階の高さとなる。
奥の斜面上手寄りの下り坂は、手前の斜面上り坂が遮っているので観客からは見えない。このふたつの交差する斜面のさらに手前(客席寄り)に幅5mほどの平らな舞台があり、マクベスの舞台では、中央の斜面の交差点より少し上手寄りの2階の高さに玉座を象徴する赤い椅子が置いてあり、そこから下の平面舞台に降りる放射状の階段がついている。
第2幕の宴会シーンでは平面舞台下手よりにいくつかのベンチと長テーブルがおかれる。大道具らしいものはこのテーブルと玉座くらいのいたってシンプルな装置だが、横長いっぱいの舞台あちこちにある出入口を駆使し、スモークを使ったり、ダンサーやマイムの人々が黒衣(くろこ)のような機能で人物に布をかぶせたり、取ったりして、幕も奈落もない舞台でうまく人物の出入りや場面の転換を実現している。
コーラスの女声だけでなくダンサーやマイムにも魔女の恰好をさせて黒衣のような働きをさせるのは、最近の《マクベス》演出で流行のやり方ではあるが、さすがピッツィ、さらに一歩すすめて、宴会のシーンでの廷臣たちなどの群集と魔女の集団の境目も曖昧にしてしまい、「いいは悪いで、悪いはいい」というこの劇の「混沌の世界」をうまく表していた。
《マクベス》の第3幕で演奏されるダンス音楽は、ヴェルディが書いた全てのバレー音楽の中でも屈指のものである。今回のゲオルゲ・イアンクによる振付けは、その音楽を活かしきった実にユニークで楽しいもので、私が今までナマで観た舞台の中でも一、ニに入るバレーシ-ンといってよい。
正確にいうと単なるバレーではなく、体操の床運動のようなアクロバットをとりいれたダンスである。魔女と同じ扮装をしたダンサーたちは、長い斜面の上で、倒立前転などを繰り返す。平らな床面であれば、バレリーナでも訓練によりできる動きかもしれないが、幅3メートルほどの斜面で2列になって踊るとなると、体操選手でなければ無理ではないか、と思われる。そうした、バレーにしては奇抜でアクロバティックな動きではあるのだが、形は美しい。
また、マクベス夫人と同じ赤いドレスを着たプリマは、男性舞踏手たちによって次々と投げ渡されるようなアクロバティックなリフトの中で、実に優雅で美しい姿を保ってみせた。プログラム冊子の《マクベス》配役表には、プリマ・バレリーナの名前の記載がないが、7月27日に行われたバレー・ガラ公演の写真をみると、彼女はどうみても、今年6月に44歳でABT(アメリカン・バレー・シアター)を引退したばかりのアレッサンドラ・フェッリであるように見える。
7月27日のガラ公演が、スカラのプリマとしても君臨した彼女のイタリアにおける最終公演だ、と別の冊子「Sferisterio Magazine」には書いてある。よく似た顔つきの別人なのかもしれない(同冊子によると「エカテ」の役はアンベタ・トロマーニとなっている)が、バリシニコフやヌレエフとも共演し、1980年以降を代表するプリマのひとりといわれる彼女が特別出演していたのだとすると、これはずいぶん得をしたことになる。とにかく、空中で保つ姿勢の美しさは、並のバレリーナではないことを感じさせる演技であった。
マクベスを歌ったのは、ヴィットリオ・ヴィッテッリ。アスコリ・ピチェーノ出身の若手バリトン。マチェラータは06年のアモナズロに続く出演。それほど声量がある方ではないが、バリトンらしい胸声の響きをもち、そこそこ健闘していた。
マクベス夫人を歌ったウクライナ出身のソプラノ、オルハ・ズラベル(Olha Zhuravel)もまだ若手。2005年韓国のソウルでトゥーランドットを歌ってオペラ・デビュー。マチェラータには06年から出演しているとのこと。マクベス夫人の「邪悪」さを強調する表情と演技で熱演していたものの、特に低音部は声の力がやや弱いので、意図するほどの凄みは感じられない。
バンコのパヴェル・クディノフ(Dimitorovgrad出身)、マクダフのルーベンス・ペリッツァーリ(Rubens Pelizzari)(Salo出身)も含め主役級は全て若手。
これらの若い歌手をまとめあげた、指揮のダニエレ・カッレガーリの手腕はさすがである。熱気のこもった音楽を作っていた。前述のバレーシーンのほか、第1幕、第2幕のフィナーレのコンチェルタートなど、この作品のもつ面白さを十分に引き出していたと思う。