この日は「聖母被昇天」の祭日で、飲食店とみやげ物屋以外はお休み。目抜き通りのマッツィーニ通りでは「キウーゾ(閉店)」の掛札がかかったウィンドウを所在なげに眺めながら観光客がぞろぞろとむなしく歩いている。
聖アナスタジア教会に行くと、ちょうどミサを行っていた。翌日聖ゼノ教会に行ったときには入場料をとられた(聖アナスタジアやドゥオモなど市内五聖堂共通券もあるらしい)が、この日はミサが終わるまで入り口近くでおとなしく待っていると、そのまま入場することができた。
夕刻、この日コモから到着した木戸氏夫妻とともに、予約しておいた「イル・デスコ」に行く。今年のミシュランでも2つ星を維持している店だ。最近は、ルバノ(パドヴァ近郊)にある「ル・カランドル」が3つ星をとっているので、ヴェネト州随一とまではいかないが、イタリアでも有数のレストランには違いない。
イタリア全土で3つ星は5つ、2つ星でも28しかないのだ。ところがヴェローナ県には市内のイル・デスコを含めて全部で3つ、2つ星レストランがある。さすが銘醸ワイン「アマローネ」の産地、食文化の水準が高い地域なのだろう。ところが、日本やアメリカなら予約が殺到しそうなこの店のダイニングで食事をしていたのは我々を含めて3組だけ。半数以上のテーブルが空いていた。
市内を歩いてみると、明らかに観光客の数は増えているのに、である。ブラ広場に軒を連ねるカフェでも、夕刻になると殆どの店が満席状態だが、単価が高い本格的レストラン「トレ・コローネ」だけは空席が目立つ。以前は食料品の市場だったエルベ広場はみやげ物屋ばかりになってしまった。マッツィーニ通りにあった「リコルディ」は姿を消してしまった。この町の「大衆化」「一般観光地化」がどんどん進んでいるような気がしてならない。
そういえば、アレーナの聴衆の服装も、3年前に比べて、ブラック・タイやイヴニングで正装している人の数はめっきり減り、普通のネクタイをしている人も少なくなった。ジャケットは羽織っているものの、ノーネクタイ派が圧倒的である。今年の熱波の影響や、省エネ思想の普及も大きいのだろう。外国人観光客ばかりでなく、地元のイタリア人のファッションもカジュアル化が進んでいるようだ。
「イル・デスコ」では、私は、前菜に生ガンベリ(海老)のトマト入り冷製スープ仕立てという創作料理、メインとしては牛頬肉煮込みにフェーガト(レバー)を添えたヴェネト伝統の料理をとってみた。ワインはアッレグリーニの「ラ・ポイア」2001年をあわせる。地元品種コルヴィナ・ヴェロネーゼを陰干しする伝統的アマローネに近い製法とバリック熟成を組み合わせたモダンなワインで、我々夫婦が大好きなものだ。香りは高く深みもあるが苦味は穏やかなので、本格的アマローネよりも料理に合わせやすい。90エウロはレストランとしては良心的な価格だが、円安の昨今、日本円ベースでは高くなってしまう。
さて、《アイーダ》である。いつものことながら、ダニエル・オーレンの指揮はすばらしい。左手最前列の席だったので、彼の飛んだり、跳ねたり、唸ったりの指揮ぶりがよく見える。
ヴェローナのオケの並び方は、左手一番手前はチェロ、第一ヴァイオリンがその奥、右手奥が第二ヴァイオリン、右手手前にヴィオラが居並ぶ。チェロの後ろがコントラバス、ヴィオラの後ろが金管と打楽器、正面奥が木管、その左手にハープとキーボード。目の前にチェロがあるため、普段ハーモニーの中に溶け込んでしまっているチェロパートの動きがよくわかり、ちょっと新鮮だった。
特に、第3幕の冒頭。神殿の奥から聞こえる神官たちの男声合唱にバックに流れるナイル河畔の夜の静けさを表す弦の高音がチェロのハーモニクス(弦に軽く指をあてて倍音による高音を出す技法)によって出されていることを初めて知ったりした。
演出ジャンピエロ・ソラーリ、装置・衣裳セルジョ・トラモンティによる舞台は、ヴェローナの《アイーダ》としては非常に珍しい簡素でシンプルなもので、巨大なピラミッドやオベリスクなどの建造物は一切置かれていない。
左右後方石段の上の方に一対のエジプト風の大きな神像が背を向け合うように置かれているが、これもどういう意味か、布をかぶせて縄でぐるぐる巻きにされており、何の像なのかはっきりしない。エキストラの登場人物も比較的少ないうえ、民衆が身にまとう衣裳も地味な色の衣、兵士たちが掲げる旗指物の類も百姓一揆のムシロ旗めいてちょっとみすぼらしい。
ゼッフィレッリ演出の時の豊かに繁栄するエジプトが、度重なる飢饉や戦争で疲弊して貧しくなってしまったかのような印象を受ける。ラダメスが最初から最後まで鎧を身につけた姿をしているところなどをみると、この時代のエジプトをスパルタ式の簡素な軍事国家とみたてているのかも知れないが、これまでのヴェローナ式の派手なスペクタクルに対するアンチ・テーゼなのかというとそうでもなく、第2幕の凱旋の場は中途半端に派手なのだ。
しかし、軍事国家というのはそういうものかも知れない。パレードにだけは力を入れる。まずは、王とアムネリスが高さ5mはあろうかという山車か移動式玉座のようなものに乗って登場し、上手に居並ぶ。ついてランフィスも同じような乗り物に乗って登場、下手に並ぶ。それぞれの台座にはメタリックな光沢をもった豪華なレリーフが施されている。最後にラダメスが同様の台座に乗って登場すると頭上からキラキラと光る花吹雪が舞う。
兵士の凱旋パレードの変わりに、舞台後方では、例の得体が知れない一対の神像の間にワイヤロープがわたされ、つくり物の象がつぎつぎと四体ほど、ロープウエイのように空中を渡ってゆく。この珍妙な仕掛けが現れた時、客席からは思わず失笑が漏れる。しかし、もしこれが、北朝鮮や昔のソ連あたりの軍事パレードをおちょくったパロディなのであれば、笑いをさそったのは成功といえるのだろう。
ただし、舞台後方のすり鉢状の石段に照明をうまく当ててピラミッドの影を映し出したり、さまざまな波状の模様を浮き上がらせるなど、パオロ・マッソンによる照明はなかなかうまいものだった。また、石段の各所におかれたバーナーから要所要所でホンモノの炎が噴出するのも効果的であった。
アイーダを歌ったミカエラ・カロージは、若手のヴェルディ・ソプラノとして既に各地で活躍中であり、特にヴェローナのアイーダは既に常連といっていい。リリコの役もできる柔軟な美声だが、力強さも十分にあり、フレージングや弱声の使いかたなども巧みで、十分満足できる歌唱をきかせてくれた。
アムネリスは、ベテランのドローラ・ザジック。ボロディナやジャチコーワと並ぶドラマティック系メッゾの大物だが、以前よりさらに体重が増えたようで、動きが少ししんどそう。もともとメッゾにしてはコッソット同様やや明るめの美声だが、低音のドスが効くのでこの役には向いているはず。しかし、今回は勿論悪くはないものの、期待したほどの迫力が感じられなかった。やはり太りすぎが影響しているのかもしれない。
ラダメスのマルコ・ベルティもカロージ同様、最近ヴェローナでは常連のリリコ・スピント。力強いが輝かしく響く明るい美声なので、特にラダメスの役はよく映える。
ランフィスを歌ったのも、ヴェローナでは既に実績のある若手バス、マルコ・スポッティ。国王のドゥッチョ・ダルモンテもなかなか深みがありよく響く声をしていた。
今回特に私の印象に残ったのは、初めて聴くバリトン、アモナズロ役のマルコ・ヴラトーニャ(Vratogna)だ。2000年にオペラ・デビューというからまだ若い。ヴェローナも今年初登場とのこと。ヴェネチア、フィレンツェなどではヴェルディの主役を歌っているもののスカラ座にはまだ登場していない。ヴェルディ・バリトンの諸役を歌うのにふさわしい力強く輝かしい声を持っていると思うので、注目していきたい。