2004年以来のグレアム・ヴィック演出、ポール・ブラウン装置・衣裳による《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》である。再演演出と記載されているマルコ・ガンディーニのアイデアなのかどうか、パパラッチが多数登場するなど、細部が一部改変されているものの、相変わらずインパクトが強い舞台だ。
今年のヴィオレッタはシングル・キャストで、アルバニア出身のソプラノ、インヴァ・ムーラ。すでにここ数年、アレーナの常連となっており、声、テクニックともに安定感のある歌唱だった。広い会場でも怖れずに高音の弱声を引き伸ばすなど、手馴れたものだ。逆にいうと、少しレガートを強調しすぎて鼻につくきらいが無きにしも非ず、である。
アルフレードは、ロベルト・アロニカ。芯があってよく通るリリコの美声。第一幕後の幕間に「突然喉が不調となったものの、本人がなんとか歌いとおすと言っているので、暖かい配慮を」との場内アナウンスがあり、若干はらはらしながら聴いたものの、大きな破綻はなく、第2幕冒頭のアリアでもカヴァレッタまで歌いきり、しかも締めくくりの音を短いながらハイCにあげて出してみせた。あのアナウンスは失敗したときのための言い訳か、と勘ぐりたくもなるが、まあ、テノールというのは大変な商売だから、よしとしよう。
ジェルモンは、フランコ・ヴァッサーロ。1969年ミラノ生まれ、とあるからバリトンとしてそろそろ脂がのる中堅どころ。手堅い歌唱をみせた。
指揮者は、ユリアン・コバチェフ。東欧系の名前だが、本拠はドイツらしい。ヴェルディのカンタービレの美しさを十分に引き出していたが、やや淡白で、もう少しテンポを揺らして、煽ったり盛り上げたりしてみせてくれてもよい、と思った。ブンチャッチャという単純な音型の部分にこそ、指揮者の音楽スタイルに対する感性と実力が現れるのだ。
今年のヴェローナの休日もあっという間に終わってしまった。 前述したように、オペラを別にしてヴェローナを訪れる一般の観光客の数が以前よりも増えている、という気がする。ブラ広場やマッツィーニ通りの周辺には、昔から人通りが絶えなかったが、エルベ広場から聖アナスタジア教会に向かう通りなどは、殆ど人気がなかったものである。ところが今や、ぞろぞろと人通りが絶えることがない。市当局が特に観光に力を入れ始めたのか、あるいは「ロミオとジュリエット」物語のリメイク版映画かTVドラマあたりが最近欧州でヒットしたのであろうか。ヴェローナを贔屓にする私としては、嬉しいような、残念なような、複雑な気持である。
少なくとも、アレーナ・オペラは当分の間、財政問題を抱えずにいけそうであり、これは嬉しい部分。気懸りなのは、高級レストランは閑古鳥が鳴き、安いお店ばかりが流行っているように見えること。オペラというのは豪奢な夢を見る異空間であってほしいもの。劇場内ばかりでなく、その周辺にもリッチな気分を味わえる場所があり、その夕べを夢のひと時のままに過ごせる方がいい。美味しい食事とワインは、オペラにつきものの文化の片割れなのだ。
田中さんによると、同じ時期、ペーザロのロッシーニ音楽祭には、日本人が大勢いたそうだ。それに比べると、ヴェローナの観客の中に日本人らしき人々を見る比率は以前に比べて減っているような気がする。おきまりの《アイーダ》と《ナブッコ》ばかり、という演目が、通好みの日本の音楽好きには受けないのであろうか? 私たち夫婦のような、ヴェルディ一本槍のファンにはこれが堪らない魅力なのであるが…。そして、あの広大なアレーナを満たし、大編成のオケを突き抜けて響く力強い声が、私たちの好みである、ということもある。
これは、絵画でいえば、印象派よりもルネッサンスのイタリア絵画を好むというところにもつながるのだが、どうも、日本のインテリの多くは、むしろ印象派を好む傾向にあるらしい。ペーザロに人気が集まるのもそうした傾向と関係があるのではないか、と思ってしまう(別に、だからどうだ、と文句を言っているわけではない)。
帰りは、ミラノからドバイへ飛び、ここで二泊してみた。オイル・マネーによる急成長で活気にあふれた都市である。空港に着いたのは深夜一時近かったが、ロビーは人々でごった返している。幸い、ホテルに出迎えを頼んであったので、イミグレや税関はFast Trackを通してくれて早めに済んだ。何事も金次第の世界であるようだ。
空港もホテルも施設は立派だがオペレーションはそれについていっていない、という感じはする。特に空港は設計思想からして利用者中心に考えられていないようだ。やたらに長い距離を歩かされるし、コンコースは人であふれ、床に寝て仮眠をとっている人も多い。急激な旅客数の膨張に対応しきれていないのかも知れない。
ホテルは有名な海の中に立つ「7つ星」ホテル「アル・バージュ」と同じジュメイラ・グループの「ダル・アル・マシャーフ・マディナット」という舌を噛みそうな名前の所に泊まる。敷地内を人口の川がめぐり、ヤシの林の中にアラビア風のコテージが点在する。かなりの規模のスーク(市場)やレストラン群、スパなども内部に備わり、ホテル自体がテーマパークのような趣である。 外気温45℃の炎天下を歩く気はしないので、本館から自分のコテージまでの移動は、電動カートか船を使う。これが時間によってはなかなか来なかったりする。ここでもハードの立派さにソフトが十分ついていっていない所が露呈するわけだ。しかし、ともかくもアラビアン・ナイトのような夢の時間を味わうことができたような気がする。
それにしても、アラビア半島の夏の暑さは半端でない。最高気温33℃のジャカルタなど涼しいものだ。一神教はこういう厳しい風土の中で生まれたものだ、とあらためて実感した。