3年間のジャカルタ暮らしの間、何度かオペラを観に東京に帰ってきたことがありますが、新国立劇場の公演に行くのは本当に久しぶりのことです。この間東京にいたとしても、ノヴォラツキー時代の新国立の演目と歌手陣はイタリア・オペラ・ファンには物足りないものだったので、足が遠のいていたことに変わりはなかったかもしれません。新国立の中にはいくつかのホールがありますが、以前「オペラ劇場」と呼ばれていた一番大きいホールは、いつの間にか「オペラ・パレス」という名前になっていました。単なる看板の架け替えですが、もともと「劇場」という華やかなイメージがあまりないこの建物にどうしてこのような安っぽいネーミングをしたのか、理解に苦しみます。
それはさておき、ヴェルディ中期の傑作《リゴレット》の公演はどうであったか、といいますと、3人の主役は期待どおりだったにもかかわらず、残念ながら全体としては物足りなさが残るものでした。もしかしたら、レオ・ヌッチが歌う至芸のリゴレットをヴェローナで3回、ボローニャ歌劇場来日公演で1回の都合4回も聴いてしまっている私たち夫婦があまりにもすれっからしになってしまっているだけなのかも知れないのですがノ。
まず幕開きのオーケストラの前奏がいただけない。金管による「モンテローネの呪い」のテーマがちっとも不気味に響かない。そして、マントヴァ公爵による<この女も、あの女も、余にとっては、みな等しく>という色好み宣言バッラータは、テノールのシャルヴァ・ムケリアのすばらしい美声にもかかわらず、はずむような軽薄さがない。さらには、モンテローネ登場にも緊張感がない。これはどうしたことなのか?もちろん、責任は指揮者にあるのでしょう。でも、ダニエレ・カッレガーリは、もともとこんなにヘボな指揮者だったでしょうか?
2001年に彼が新国立で「ドン・カルロ」を振った当時の私の感想文にも、「ヴェルディらしい熱気がやや不足気味で、こじんまりとまとまった演奏に思えた」と書いてあるので、もともとムーティやオーレンみたいに燃え上がるようなタイプではないのかもしれません。しかし、昨年(2007年)夏にマチェラータで聴いた《マクベス》では私の感想は以下のように変わっています:「指揮のダニエレ・カッレガーリの手腕はさすがである。熱気のこもった音楽を作っていた。前述のバレーシーンのほか、第1幕、第2幕のフィナーレのコンチェルタートなど、この作品のもつ面白さを十分に引き出していたと思う」。
今回の公演でも、幕が進むにつれて、音楽が充実してきたところをみると、彼のオペラ指揮者としての技術・資質がひどいものではないことがわかります。私は今までに《リゴレット》の公演をおそらく10数回はナマで聴いていますが、今回の第1幕はその中でも最低の出来だったように思えてしまう。
原因はオーケストラにもある、という気がしてなりません。東京フィルは、日本のオケの中でも最もオペラの経験は多い楽団のはずなのですが、この夜はなんだかあまり馴れていないような印象を受けました。気のせいかもしれませんが、ピットの中にはいやに若いメンバーが多いようにみえます。最近の東フィルはこういう構成なのか、あるいは何かの事情で当夜だけ「トラ」が多かったのか。この日はシーズン3回目の公演で、合わせる時間がなかったというわけではないはずなのですが、指揮者、ソリスト、オケの間で何かお互いにやりにくそうな感じがあるような気がしました。
さて、そのソリストの話に移りましょう。題名役はグルジア出身のラード・アタネリ。同じ世代のアルベルト・ガザーレやアンブロージョ・マエストリと並んで私が最も期待している若手ヴェルディ・バリトンのひとりです。10年前にミラノのスカラ座で彼がマクベスを歌うのを聴いて、その硬質で直進性のある声の響きのよさにびっくりしたものです。2006年の「東京オペラの森」公演《オテッロ》でヤーゴを歌いました。最近やっと世界各地の一流歌劇場でも認められてきたようです。今回もその声は健在でしたが、上記のような事情で、オーケストラといったいになって完全燃焼しきれないもどかしさがあり、この役の屈折した複雑な性格を表現するには、やや淡白な歌唱と演技に思えました。
ジルダ役はフランスのソプラノ、アニック・マシス。彼女は、昨年(2007年)夏のヴェローナで、《セヴィリアの理髪師》を歌うのを聴いて、正確なアジリタのテクニックを持ったソプラノ・リリコながら広い会場によく響く力強い声とチャーミングな容姿にすっかり魅了されたものです。今回室内の劇場で聴いてみると、ルチアやアミーナなどベル・カントの技巧的な役柄を持ち役にするわりには、暗めの音色をもったソプラノだと思いました。フランス人らしく意志の強そうなオトナの女という顔立なので、ジルダの役には少し違和感もありましたが、演技力と歌唱テクニックは一流だと思います。似たようなレパートリーの若手美人ソプラノには、アンナ・ネトレプコやステファニア・ボンファデッリなど、ライバルが多いのですが、今後も活躍が期待できるでしょう。
主役3人のうち、上記のふたりはもともと期待していたのですが、テノールのシャルヴァ・ムケリアは初めて聴く人でノーマークでした。前述したように第1幕冒頭のアリアこそノリが悪かったもののその甘く響く美声はなかなかのもので、有望なテノーレ・リリコが出てきたな、という印象を強く受けました。プログラムによると、ウィーンの05/06シーズンでグルベローヴァを相手に《清教徒》を歌い絶賛されたとか。アタネリと同じグルジアの出身。
スパラフチーレの長谷川顕、マッダレーナの森山京子など、日本人キャストも健闘はしていたものの、上記3人の「外タレ」と比べると残念ながら格が違う感じ。特にモンテローネ伯爵を歌った小林由樹の非力さが目立ってしまいました。いつも思うのですが、出番は少ないもののこのオペラのキーロールであるこの役が軽視されているプロダクションが多すぎます。主役のリゴレットが「あの呪い」とつぶやくシーンが繰り返し出てくるわけですから、モンテローネが恐ろしい声で呪ってくれないと、この芝居は成り立たないのです。声が多少割れてもいいから、フルオーケストラの咆哮に負けない血を吐くような叫びを出してほしいところなのに、スマートに歌いすぎていました。
アルベルト・ファッシーニ演出、アレッサンドロ・チャンマルーギ美術・衣裳の舞台は、重厚でオーソドックスなもので、既に新国立では何度も上演されているプロダクション。ファッシーニが05年に物故しているため、田口道子による再演演出。2000年にパルンボの指揮でこのプロダクションを観ているものの、細部はもう記憶にありません。今回、人の動かし方に無駄で無意味なものが多いような気がしました。