8月1日から9日にかけてイタリアに行ってきましたので、ヴェローナ音楽祭の話題を中心にご報告します。1日にミラノに入り、2日から5日までトスカーナのシエナに滞在。この間は、地元出身の名バリトン、エットレ・バスティアニーニのお墓参りをしたほかは、トスカーナの丘陵地帯をぶらぶらしただけなので省略、5日にヴェローナに移動してからのお話しをします。夏のアレーナ・ディ・ヴェローナ・オペラ・フェスティバルに私どもが行くのは1991年以来、8回目になります。そのたびに報告記を書いているので「またか」とおっしゃる方も多いとは思いますが、まずはこの音楽祭について少しご紹介しましょう。
ヴェローナの夏の音楽祭は、1913年、ヴェルディ生誕百年を記念して、街の中心に残る古代ローマの競技場「アレーナ」(現存する円形競技場としてはローマのコロセウムなどについで世界で3番目の大きさ。AD30年頃、つまり第2代ティベリウス帝の頃、市郊外に建造、後に市内に移築された。収容人員25,000。ただしオペラ上演の際は3分の1くらいが舞台やオケピットに使われるので、15,000人くらい。)で《アイーダ》を上演したのが始まりで、以後、戦争の期間をのぞいて毎年6月末から9月はじめにかけて、ヴェルディを中心とした本格的オペラ4~5演目とバレー、特別コンサートなど約50公演が打たれるものです。
野外ながら非常に音響がよく、出演者のレベルも高い(イタリア・オペラのスター歌手で、ここで歌ったことのない人はほとんどいない)ので、単なる観光イベントではなく、第一級の音楽祭といえるものです。ここ10年以上、ダニエル・オーレンが毎年中心的な指揮者として出演し、オーケストラや合唱も練り上げているので、むしろ、スカラやフェニーチェと肩を並べる常打ちのオペラハウスといってよいかもしれません。今年は第87回のフェスティバルで、《カルメン》《アイーダ》《トゥーランドット》《セヴィリアの理髪師》《トスカ》のオペラ公演のほか、「プラシド・ドミンゴ・ガラ・コンサート」が行われています。私どもは、以下の3演目を観ました。
1.8月5日《アイーダ》
<出演者>
アイーダ:フイ・ヘー
ラダメス:ピエロ・ジュリアッチ
アムネリス:アンナ・スミルノワ
アモナズロ:アンブロージョ・マエストリ
ランフィス:マルコ・スポッティ
国王:オルリン・アナスタソフ
使者:エンツォ・ペローニ
巫女:アントネッラ・トレヴィザン
指揮:ダニエル・オーレン
演出:ジャンフランコ・デ・ボジオ
振付:スザンナ・エグリ
歌手陣に強い声を持つ有力な若手が揃い、お馴染みオーレンの熱気あふれる指揮により充実した演奏。舞台も1913年の音楽祭開始当時のエジプト趣味にあふれる舞台を再現したもので、豪華かつ非常にオーソドックス。ヴェローナらしさが満喫できる夏の一夜でした。
中でも当夜の収穫は、私としては初めて聴く中国人ソプラノのフイ・ヘー(Hui He)。Heは何、河、荷、和など多数の字があてはまり、Huiにいたっては会、回、輝、恵など無数に近いのでよくわかりませんが、人名としては「何慧」あたりの漢字表記になりそうな気がします。因みに中国語ではHeの発音は「ヘー」よりも「フー」に近い聞こえ方をするのですが、場内アナウンスで「ヘー」と呼んでいたのでここでもそのように表記します。
フイ・ヘーは、音楽祭のサイトによると1972年上海生まれ(西安生まれと書いてある別のネット情報もある)、2002年にブッセートの「ヴェルディの声」コンクールで第一位(審査委員長のレイラ・ジェンチェルが絶賛)となり、同年パルマの《トスカ》でイタリアデビュー、続いてアルツィーラ、アイーダ、アメーリア、トスカ、蝶々さんなどを各地で歌い、2006年に《トスカ》でスカラにもデビュー、これまで主にヴェルディとプッチーニを中心に活躍しているようです。
これらのキャリアでもわかるとおり、リリコ・スピントの強い声を持っており、過去に同じ場所、役で聴いたフィオレンツァ・チェドリンスにひけをとらない力と輝きを持っていると思いました。(因みに今年のヴェローナでは、チェドリンスはなぜかフイ・ヘーとのダブル・キャストで《トゥーランドット》のリューに出演しています。)フイ・ヘーは、高音のコントロールにすこし不安があるものの、歌いまわしもなかなか上手で、オーレンが細かく指示を出していることもあって巧みなフレージングでヴェルディのスタイルを出していました。
充実した声の持ち主がそろったソリストたちの中でも一頭地を抜いていたのがバリトンのマエストリ。巨体に似合った朗々たる声でアイーダを叱咤する第3幕は圧巻でした。
その圧倒的な声量の前で少し霞んでしまったのがテノールのジュリアッチ。アレーナでは常連で、なかなか逞しい中音域を持ついいリリコ・スピントだと思っていたのですが、今回は思ったほど声が伸びず、まずまずの出来という印象。以前よりさらに太ってしまったようで見た目もいまひとつ。ただし、印刷されたプログラムでは当夜のラダメスはフラッカーロが予定されており、ジュリアッチはなんらかの理由で急遽登板となった可能性があり、準備不足だったのかも知れません。
スミルノワは今年秋のスカラ来日公演にも登場する予定のロシア人メッゾ。YouTubeなどでチェックした限りでは発声が含み声でスタイルもイタリア的でないという印象があったのですが、実際に聴いてみると発声はあまり気になりません。中高音で張るところは非常に強い声でよく通るので、そこそこ悪くない出来だったと思います。ただし、肝心の低音域があまり豊かではなく、アイーダとの声の対比がはっきりしません。第4幕前半の見せ場での表現力もまだまだで、緊張感が足りない感じがしました。
バスのふたり、スポッティとアナスタソフはそれぞれ強さと深みを持つ声で不足感はまったくない演奏でした。
とにかく例によってオーレンが飛んだり跳ねたりしてぐいぐいと引っ張るので、全体として非常にめりはりの効いたレベルの高い演奏となり、ヴェルディの力強い音楽を十分に楽しむことができました。
地元ヴェローナ生まれの演出家デ・ボシオによる1913年の音楽祭開始当事の舞台を再現したプロダクションは、これまでにも何シーズンかアレーナで上演されているいわば定番。主催財団が破産寸前といわれるなかで、新たなプロダクションを制作する余裕がなかったのかも知れませんが、この舞台そのものはアレーナのすり鉢状の石段という背景をうまく生かしたオーソドックスなもので、多数のエキストラや本物の馬も登場する絢爛豪華な凱旋シーンは、まさに祝祭的なスペクタクル。何度もここで《アイーダ》を観ている私にも不満がない演出でした。。