「ダル・ペスカトーレ」(8月6日昼食)
一昨年、ミシュラン東京版が出て、いきなり3つ星レストランが7つも出て話題になりましたが、ずっと前から発行されているミシュラン・イタリア版では、毎年3つ星は3~4軒しか選ばれず、2009年版でもイタリア全土で3つ星はたった5軒。その中でもここ10数年ずっと星3つを維持し続けているのは、ダル・ペスカトーレ(Dal Pescatore)だけです。
このレストランは、ヴェローナから車で1時間くらいのところにあるのですが、夏の間は休みになっていることが多く、今回初めて行くことができました。場所は、マントヴァとクレモナの中間、ロンバルディア平原のまっただ中、付近に観光スポットなどは何もない田舎町カンエネート・スッローリロのさらに町外れ、畑の中にポツンと数軒が固まる小さな集落ルナーテにあります。ミラノからだと2時間かかるでしょう。まさにミシュラン3つ星の意味「食事をするためだけにわざわざ出かける価値がある」を実感させるロケーションです。
自分で車を運転して行くつもりでしたが、少しだけでもワインを飲むことになるだろうから、と妻が強硬に反対するので、ホテルでハイヤーを手配してもらいました。結果としては、心置きなくワインも楽しめてすばらしいランチになりました。
レストランにつくと、亭主のアントニオ・サンティーニ氏が握手で出迎えてくれます。厨房をあずかるのは彼の妻ナディアと息子のジョヴァンニ。そしておそらくジョヴァンニの嫁とおぼしき女性と弟のアルベルトが、他のウェイターたちとともにフロアで父親を手助けしています。おかしかったのは、このアルベルト君。まだ新米なのでしょうか、われわれが席についてしばらくメニューを検討したあと、たまたま彼がそばにいたので、料理の注文をしはじめたところ、たちまち兄嫁と父親がどこからか駆けつけてきて心配そうに彼の後ろに立ったことです。このように家族経営の暖かさを持った店ながら、一方ではプロフェッショナルなグラン・メゾンとしての風格と心地よい緊張感が隅々にまで行きわたっています。
田舎家風の入り口から中にはいると、磨き抜かれた家具調度とすばらしいデザインの内装が迎えてくれ、まさに別世界に入った感じがします。われわれが案内されたのは、緑したたる中庭に面した大きなガラス窓の前の絶好の席でした。前もってホテルから予約した時間より遅れることを連絡してもらっていたのと、カジュアルな服装の客が多い中で、レストランに敬意を表してジャケットを着ていったのがよかったのかもしれません。
いかにも農場風の建物に囲まれた中庭はかなり広く、芝生にところどころ白いソファをそなえたベンチがおかれ、木立の陰にある泉水では天使の彫刻が水を噴き上げています。夏の日差しを受けた緑が輝いていて、その照り返しが黄色の壁と青い天井の室内を明るく満たし、真っ白なテーブルクロスの上の銀器やグラス、青い縞模様のガラスの花瓶に盛られた黄色と白のバラなどが美しいハーモニーをみせています。食事にはいる前からお客を感動させるセッティングといえましょう。ランチというと安直なイメージがありますが、ここではまさに昼に正餐を楽しむ場所、という感じがします。渡されたメニューにも、6~7皿の食事が並ぶ本格的なコース料理(180ユーロ/人)とアラカルトしか記載されておらず、簡易な昼の定食などは当然のことながら見当たりません。私どもはコース料理はとても食べきれないと判断し、アラカルトをたのむことにしました。
注文した料理は、前菜として妻が「トマトと茄子のコンポスト、オリーブオイル添え」、私が「夏のポルチーニ茸と仔牛のレバー、ローズマリーバター添え」、プリモとして「雌鳥のスープ仕立てのアニョーリ(ラビオリを小さくしたような詰め物入りパスタ)、おばあちゃん風」をふたりでシェア、主菜として妻が「鴨の胸肉バルサミコソースと果物のモスタルダ(クレモナ特産のマスタードシロップ漬)」、私が「牛頬肉のカペッロ(髪の毛状になるくらいに煮込んだもの)と夏野菜」。そのほか、アミューズ(つきだし)に、パルミジャーノチーズを薄く削ってカリカリに焙ったもの、生ハム、それにもう1品(何だったか忘れてしまった)。
ワインは、アペリティフに地元ロンバルディアのスプマンテ(カ・デル・ボスコのFranciacorta Annamaria Clementi)を1杯ずつと、同じカ・デル・ボスコの赤「Maurizio Zanella 2001」を1本。実はそれまで、スプマンテで有名なフランチャコルタのカ・デル・ボスコやベラヴィスタが赤ワインを造っているとは知りませんでした。おそらく日本には殆ど入っていないと思います。
これらがワインリストに載っているので、地元でもあるので試してみたくなり、日本人ソムリエの林さんに相談して、この1本を選んでもらいました。カベルネ・ソーヴィニョンとメルローを使ったボルドースタイルの洗練された味で、複雑な香りとボディの深みも申し分がなく、とてもおいしい赤でした。もちろんリストには地元ロンバルディアのワインだけでなく、イタリア、フランスの銘醸地の有名ワインもずらりと並んでいます。愛知県出身の林さんは、2001年からミラノで修業したあと、2年半前からこの店でソムリエをやっているのだそうです。奥さんは同郷出身のソプラノ歌手とのこと。
ダル・ペスカトーレ(漁師から)という名前のとおり、この店は当主アントニオ氏のおじいさんが地元の湖で捕った魚をおばあさんが料理して出すローカルな簡易食堂から出発しました。したがって今でも地元産の淡水魚の料理がメニューに載っていますが、今では必ずしも魚料理が呼び物というレストランではありません。私どもはバターやソースで味つけする西洋の魚料理はあまり好きではありませんし、赤ワインを飲みたいので、あえてメインは肉料理にしたわけです。結果は、さすがにどの皿も極上の味でしたが、特に、妻がとった野菜のコンポストが才気の感じられる一品でした。トマトとなすを冷たいゼリー状にしたものをパイ生地で包んであり、見た目が涼しげで、口に入れると旬の野菜の旨みがじわりと広がる感じがします。
全体としては、料理の印象はイタリアンというよりもフレンチに近く、フランスのミシュランで評価が高い理由がわかるような気がしますが、このレストランの味になにか飛びぬけたものがあるかどうかはよくわかりませんでした。味というのは個人の好みも大きいので優劣をつけるのは難しい面もあります。場所の雰囲気、サービスの質といった総合点では、たしかに「わざわざ行ってみる価値がある」体験であったといえましょう。