「パヴィアの修道院(Certosa di Pavia)」(8月8日)
Certosa(チェルトーザ)とは、カルトゥジオ会の修道院をさす言葉で、イタリア各地にありますが、ミラノの少し南、パヴィアにあるここは世界遺産にもなっている有名な建築物です。
ミラノ発の帰国便が夜9時過ぎ出発のため、ヴェローナからマルペンサ空港に移動する途中で立ち寄りました。付近の道路がかなり改築されていたためレンタカー会社で借りたカーナビがうまく機能せず、迷子になって田舎道をしばらくうろうろさまようことになりましたが、2時過ぎに到着してみるとまだ昼休みで門が閉まっており、門前のカフェや駐車場で何組もの観光客が時間をつぶしていました。
2時半の開門とともに中に入り、聖堂の中を見物していると、しばらくして白と黒のカルトゥジオ会のカソックを着たエチオピア人の修道士があらわれ、鉄格子で仕切られた聖堂内陣や修道院内部を案内してくれました。20人ほどの観光客に混じってぞろぞろとついて回ります。説明はイタリア語だけなので半分もわからないのですが、あとで英語のガイドブックを買って内容を確かめました。
修道院というと質素で禁欲的なイメージがありますが、ミラノ大公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ夫妻によって建造が開始された聖堂建築はすさまじいほどに豪奢華麗で、驚くほかありません。ファサードはミラノのドゥオモ(大聖堂)と同じように大理石でできた聖人たちの彫刻とレリーフで飾り立てられ、内部の天井は、ラピスラズリなどの貴石を使ったモザイクで彩られ、壁一面もフレスコ画や彫刻・レリーフで埋め尽くされています。側廊や翼廊にある多数の祭壇も色彩豊かなフレスコ画、モザイクなどと精巧なレリーフ・彫刻類で飾り立てられています。
「神の家」である大聖堂は、どの街でも最も立派な建築物で、その街の富を誇示するかのようにさまざまな美術で飾り立てられているものですが、建築のスケールはともかくとして、この一修道院付設の聖堂ほどに内部装飾の豪奢なものは、なかなか他に類を見ないと思います。この建築物が建てられた14世紀末から15世紀の社会の生産性を考えると、ヴィスコンディ家という権力者に対する富の集中度は恐るべきものがあったといえるでしょう。
日本でいえば東山文化の時代。この教会の空間を埋め尽くさずにはおかない装飾ぶりとは、だいぶ趣味の違いを感じます。しかし、少し時代は後になりますが、もし安土桃山時代の豪華絢爛たる遺構がそのまま今日に残っていたとすれば、同じような感慨を催したのかもしれません。