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2009年スカラ来日公演9月12日《ドン・カルロ》(東京文化会館)

武田雅人

フィリッポ2世:ルネ・パーペ
ドン・カルロ:ラモン・ヴァルガス
ロドリーゴ:ダリボール・イェニス
エリザベッタ:ミカエラ・カロージ
エボリ公女:ドローラ・ザジック
大審問官:アナトーリ・コチェルガ
修道士:ガボール・ブレッツ
テバルド:カルラ・ディ・チェンソ
天の声:イレーナ・ベスポロヴァイテ

指揮:ダニエレ・ガッティ
演出・装置:シュテファン・ブラウンシュヴァイク
衣裳:ティボー・ファン・クレーネンブロック

 ソリストの粒がそろっていて、聴きごたえのある演奏だった。4幕のミラノ版をベースとしているものの、第3幕の終わりに、フィリッポがロドリーゴの死を悼む部分が付け加えられている。これは、ヴェルディが初演のリハーサル中に時間がかかり過ぎるというのでカットした部分で、このオペラでは結局陽の目をみなかった楽曲だが、後にレクイエムの「ラクリモーザ」のメロディーとして復活しているので、耳には馴染みがある。ヴェルディとしても愛着があったからこそ後に《レクイエム》でとりあげたわけで、こうして復活させるのは悪い試みではない、と私は感じた。

 実力派ぞろいのソリストの中でもとりわけ圧巻だったのは、エボリを歌ったベテランのドローラ・ザジック。最近ひざを悪くしているらしく立ち居振る舞いは緩慢だが、声の迫力は相変わらず凄い。コッソットに似ていてメゾにしては明るい声だが華やかな力があり低音もよく響く。第3幕第2場の有名なアリア<呪われしわが美貌>は、最高音のCisもびしっと決め、久しぶりに鳥肌が立つようなスリリングな声を聴く喜びを感じることができた。彼女の演奏は、最近では今年2月METの《トロヴァトーレ》、07年8月ヴェローナの《アイーダ》でも聴いているが、全盛期に比べると少し声や表現力に衰えてきたかな、という印象を持っていた。しかし今回は調子がいいようだ。90年代にMETで聴いた時と変わらない。

 エリザベッタのミカエラ・カロージも悪くない。2001年のヴェルディ・イヤー以降に出てきた新世代のヴェルディ歌いで、来日するのは今回が初めてかもしれない。私は04年と07年のヴェローナで彼女が《アイーダ》の題名役を好演するのを聴いている。つまり、今回ダブルキャストを組んでいるバルバラ・フリットリよりも強い声のソプラノなわけで、あらためてこうして聴いてみると、エリザベッタという役はアイーダを歌えるスピント系の歌手が合っているという感を強くした。低音がきちんと響くので、王妃の威厳と内心の苦悩というものをヴェルディの音楽が表現していることがよくわかる。フラゼッジョの様式感、高音での弱声のコントロールも確かなものがある。見た目もなかなかの美人だがエリザベッタ役にしては少し年増の色気がありすぎる感じで、その点では清純派のフリットリに一歩譲るかもしれない。

 ルネ・パーペは、十分な声と表現力で好演していたが、第2幕の有名なアリア<王妃は私を愛していない~ひとり寂しく眠ろう>では、まるでドイツ・リートを歌うような精緻すぎる声のコントロールと歌唱スタイルには多少の違和感が残った。ヴェルディの音楽はもっと直截に大きな流れにのって朗々と歌いきってしまった方がよい。
 アナトーリ・コチェルガは、中低音域の声量はパーペを圧倒するほどで、大審問官(通常「宗教裁判長」と訳されるが私はあえてこちらの古風な直訳を選ぶ)の貫録十分。ただし、最高音のファ(F)がいかにも苦しく十分に響かないのが残念だった。
 第3のバス、修道士(カルロ5世)のブレッツも、堂々たる声で不足のない歌唱。今回の演出では、幕切れでは王冠をかぶって登場しカルロ5世の亡霊であることを明示する。
 4幕版のこのオペラでは、ドン・カルロは題名役とはいえ、ソロでの見せ場がほとんどない損な役回り。特に今回の演出では、ロドリーゴの死の場面などではおろおろと英雄的な親友の死をみとるだけの格好の悪い姿をさらす。ロベルト・アラーニャあたりのわがままテノールであれば、例えスカラとの関係が悪くなっていなかったとしても、絶対にやりたがらない役であろう。
昔METで、ラモン・ヴァルガスは、アラーニャが蹴ったマントヴァ公爵の役を引き受けたことがある。ヴァルガスはそういう気のいいところがあるらしい。強力な声がそろった今回のソリスト陣の中では、リリコの彼の声は、響きはいいとはいえ、アンサンバブルの中で少し弱く感じる。そうしたところも含めて、王子カルロのキャラクターにはぴったりといえるのかもしれない。これは決して彼を馬鹿にして言っていることではない。ヴァルガスのヴェルディ歌いのテノーレ・リリコとしての実力は、例えばファビオ・ルイージ指揮の《アルツィーラ》全曲盤(PHILIPS)を聴けばわかる。声もテクニックも一流であるからこそ、主人公の弱さをさらけ出すことができたのだと思う。

 ロドリーゴはスロヴァキア出身のバリトン、ダリボール・イェニス。99年にウィーン国立歌劇場にデビューして以来、世界各地の一流歌劇場でモーツァルトやベル・カント・オペラを含む幅広いオペラの主要なバリトン役を演じてきているだけあり、よく通る声と確かなテクニックを持ったいい歌手である。しかしながら、このポーザ侯爵の役については、エットレ・バスティアニーニを理想とし、ヴァイクル、カップッチッリ、フヴォロストフスキーらの歌唱を実際に聴いてきた私には特別な思いいれがある。
その意味では、いくらうまくてもイェニスの声には、ヴェルディ・バリトンの声自体がもつ悲劇性と重みが残念ながら足りないのだ。しかしながら、一方で、彼のような万能の優等生的なバリトンがこの役を歌うと、「夢想家」としてのポーサの性格がはからずも浮き彫りになるような気がしないでもない。このオペラの中では、おもな登場人物たちが皆、心の中に個人的な愛憎の悩みを抱えている中で、ごちごちの保守派の大審問官と改革派の彼だけが、そうしたこととは無縁に自分の生き方を貫いているように見える。そのポーザが単なる夢想家ではなく、高貴な英雄に見えるためには、通常のバリトンの域を超えた偉大な声が必要となるのかもしれない。

 ただし、ポーザのイメージを矮小化してしまったのはイェニスにだけ責任があるわけではなく、ブラウンシュヴァイクの過剰な演出によるところも大きい。プログラムに記載された演出家の弁を読むと、シラーの原作で描かれているカルロとロドリーゴの少年時代のエピソードをブラウンシュヴァイクは重視している。遊び仲間だったロドリーゴが重大な過ちを犯したとき、彼が鞭で罰せられないようにカルロが「身代わり」になってかばった、ということである。
二人の堅い友情の絆が少年時代に遡るものだということ、およびカルロとエリザベッタがフォンテンブローで出会いいったんは愛を誓った間柄であることを示すため、今回の演出では、カルロ、ロドリーゴ、そしてエリザベッタの子役による分身をしばしば登場させる。しかし、子供の時に受けた恩義のために、今度はロドリーゴがカルロの「身代わり」となる、ということでは、ポーザ侯爵の高邁な理想をまさに矮小化してしまうものであるし、フォンテンブローのシーンを舞台奥で子役に演じさせるというのも、あまりにも観客をなめた説明過剰である。
しかしながら、この悲劇がすべてカルロの幼児性から引き起こされたのだ、と解釈するなら、カルロが登場するシーンに必ず子供の分身が現れるというのも、全く的外れではない、面白い演出だ、という見方もできるのかもしれない。

この壮大なオペラの背景には、フランドルの独立をめぐる新教と旧教の対立、王権と市民階級の対立、スペイン内部の王権と教会の対立、スペインとフランスの対立などが複雑に絡み合っている。ところが、シンプルな白い大理石の枠と黒い背景の舞台装置、そしてその背景に時折フォンテンブローを象徴する緑の森があらわれ、子役によるマイムが演じられるこの演出では、もしかしたら、もともと、そうした複雑な歴史的背景はすべて捨象して、カルロをめぐるエリザベッタ、フィリッポ、エーボリとの四角関係、およびロドリーゴとの友情という個人的な人間関係に的をしぼる、という「矮小化」が意図されていたのかもしれない。

ガッティの指揮は、バレンボイムほどには、ヴェルディの音楽を「矮小化」するものではなかった。かといって、やはり、今までのスカラ来日好演でアバドやムーティがみせたような、あるいは2001年12月のMETで私が聴いたゲルギエフ指揮の《ドン・カルロ》のような、雄弁で熱気にあふれたヴェルディ演奏になっていたか、というと少し物足りなさが残る。これは好みの問題かもしれないが、私がイメージするヴェルディの音楽は、ミラノのドゥオーモやシスティナ礼拝堂の壁画に見るような、構築的でスケールが大きい肉体を持っているべきなのだが、今日聴いたものはどちらかというと印象派の名画に近く、光に満ちて美しいもののくっきりとした輪郭が感じられないものだった、という気がする。

 備考
 今回、購入したのは2公演ともA席。《アイーダ》はNHKホール3階R2列目中央よりで58,000円。《ドン・カルロ》は東京文化会館1階L6列目で一番壁ぎわで52.000円。どちらも音響は悪くなかったと思うし、見づらいこともなかった。NHKホールの方が席数が多いのに単価が高いのは、ゼッフィレッリ演出でエキストラが多いうえ、バレーもはいるので登場人物の人件費が違うのかもしれない。指揮者と作品の知名度も違うから差をつけたのか。
音楽だけの演奏レベルと時間あたり単価をくらべると《ドン・カルロ》の方がずっとコスト・パフォーマンスが良かったことになる。





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