11月のはじめに、熊本県山鹿市にある八千代座で行われた「坂東玉三郎舞踊公演<京鹿子娘道成寺>」を観てきました。玉三郎がこの大曲を踊るのはこれが最後になるかもしれないと本人が言っているので見逃せない、ということのほかに、この江戸時代の芝居小屋の面影を伝える八千代座にも興味がある、というのが大きな理由でした。
温泉町でもある山鹿は、熊本市から北へ30kmほど、有明海からも30kmほど内陸にはいった三方をなだらかな山に囲まれ南は肥後平野に連なる緑豊かな盆地に位置します。
八千代座はその市の中心部に、1910年(明治43年)、地元の商工会が劇場組合を作り1株30円で出資者を募って建設したのだそうです。昭和40年代にはレジャー多様化の波におされて一時閉鎖状態となりました。そのまま老朽化が進行するのに心を痛めた地元の有志が立ち上がり、「瓦一枚運動」で資金を募り徐々に復興、昭和63年に国の重要文化財指定を受けるまでになります。
八千代座での坂東玉三郎舞踊公演は、平成2年に「八千代座80周年復興記念」として市民の手作りで始まりました。公演の成功が追い風となり、平成8年から平成13年にかけて大修復工事が行われて、今日の姿に整備されました。工事期間中以外はほぼ毎年公演を重ねて、今回が19回目、来年にかけて行われる百周年記念行事のオープニングという位置づけです。
劇場は、木造2階建で、730席。平土間はもちろん桝席ですが、その他の席も一部椅子席があるものの殆どがゴザ敷きの上に座布団がおいてあり、その座布団に席番号が書いてあるスタイル。平土間の上は一間四方ほどの堂々たる格天井で、それぞれの格子には、創建当時の大スポンサーであったらしい呉服屋、米屋、醤油屋、酒屋、海産物店などの色とりどりの広告絵が描かれ、中央にはアール・ヌーヴォー風の植物的曲線美をもつ真鍮製の豪華な電球シャンデリアがぶら下がっているのが、なんともキッチュ。
劇場正面は妻入り形式で切妻の正面には箱型の芝居櫓が組まれその下に二階席の廂、一階上がり廊下の廂という具合に二層の廂が道路と並行に張り出す構造。鼠色の瓦に白い漆喰壁のその姿は、櫓や幟が立っていなかったら大きな造り酒屋か旅館のように見えないこともありません。一階正面は縁側のようになっていて、靴を脱いで上がります。脱いだ靴はビニール袋に入れて手に持ち、袋に入りきれない女性のブーツや大き目の手荷物は荷物番に預けます。ひとり分の座席は座布団一枚分の空間しかないので、余計なものは持って入れないのです。
木戸を潜って薄暗い入れ込みに入ると、私たちの席は二階とのことで案内係の指示に従って、左手にあるかなり急な木製の階段を登ります。廊下も階段も黒光りのする古い木材なので歩くとミシミシ音がしそうなイメージがありますが、実際には修復がいき届いているのか、がっしりとしていて音はたてません。
二階正面席は三段のひな壇のようになっていてそれぞれの層の最前列の前が欄干になっています。それぞれの段は少し舞台に向かって傾斜していて席が3列あり、欄干寄りの最前列は座布団のみ、2列目は座布団の下に枕のような腰あてがあり、3列目はベンチのように腰かける形なので、後ろに行くほど高くなってはいるのですが、二階席ですから舞台は見下ろす形になるので、前の人の頭越しに舞台前列を見通せるほどの段差はありません。私たちの席はほとんど真正面ですが2段目の2列目。私の真ん前の席は和服の御婦人で、背筋を伸ばして正座されているので、当方の頭の位置をずらして肩越しに観る状態になりました。立錐の余地がないというほどではありませんが、かなりぎっしり詰め込まれた雰囲気。しかしそれが却って場内の熱気を高めているところもあり、小さな小屋ならではの親密感が漂います。
上からのぞきこむと、通常は桟敷席が置かれる平土間の両サイドもここでは一般の座布団席(後列は腰かけ席)でかなり詰め込んでいます。背後に廊下はありますが前には通路がないので、下手側前列の席にはお客に花道を歩かせて入れこんでいます。靴を脱いであがる形式だからこそできるやり方です。平土間の桟敷に行くは、仕切り板の上を平均台のようにバランスをとって歩かなければなりません。プログラム売りの係員がそこを器用に渡りながら巡回しています。ここの舞台には花道のほか、人力で動く回り舞台やスッポンなど、本格的な芝居小屋としての装置が備えられているそうです。
当日(11月3日)は、午後2時からの公演で、演目は「京鹿子娘道成寺」のみですが、その前に「口上」がありました。口上といえば、襲名披露の時の幹部役者がずらりとならぶイメージがありますが、ここでは玉三郎ひとりが裃を着て現れます。小さな小屋なので特別に声を張る必要もなく自然な感じで語りかけ、客席もすなおに反応するので、独特の一体感が醸し出されていきます。今回が八千代座での19回目の公演になること、来年の20回目がちょうど八千代座百年にもなる記念すべき年になること、ここで昨年の「鏡獅子」、今年の「娘道成寺」のような大曲を上演できるようになるとは最初は夢にも思わなかったこと、自分として思うところもあり(彼として「最後の公演」とは明言しませんでした)「娘道成寺」をここで踊ることには無量の感慨があること、ここまで来るまでの地元関係者の皆さまの努力に改めて敬意と感謝を表したいこと、13日の千秋楽を終えると上海に渡り昆劇の「牡丹亭」を通しで上演する予定であること、会場となる蘭心大劇院は客席数約700でちょうどこの八千代座と同じような規模であり同じようにお客様と近い距離で演じられることを期待していることなど、どちらかというと訥々と、噛んで含めるような感じで語られました。
「京鹿子娘道成寺」の公演は、脇役の所化(小僧さん)の数こそ8人と小ぶり(大劇場の場合は20人くらい出てくる)ですが、義太夫と長唄という2セットの三味線つき合唱団がつく本格的なもの。若手中心ながら、鳴り物には部長として田中傳左衛門家元も参加しています。昨年から制作に松竹が参加するようになったことでこれだけのスタッフが動員できたのでしょう。所化役を弟子筋の歌舞伎役者2名以外は花柳流の若手舞踊家が勤めているのも舞踊公演ならではの趣向といえましょう。上田さんに聞いたところによると、日本舞踊の発表会などに大部屋役者が応援で出演することもあるそうなので、持ちつ持たれつなのでしょう。
いったん幕がおりたあと、通常の歌舞伎公演ではやらないカーテンコールが行われました。
玉三郎の「道成寺」は、今年2月に菊之助と踊った「二人道成寺」を観て以来ですが、ひとりで踊るのを観るのは平成15年の南座以来、本当にひさしぶりです。アットホームな小さな小屋ということもあり非常にのびのびと演じているように思えました。「二人」のほうが途中で休めるので体力的には楽であるように見えますが、一方で、肉体的に若さにあふれ「時分の花」もある若手役者と並んで踊るのは、精神的な緊張感はむしろ大きかったのではないか、ということが改めて感じられます。それにしても、遠路はるばる片田舎までやって来た人々が詰め込まれた江戸や明治の雰囲気を残るキッチュな芝居小屋の中で、女形舞踊のショーケースのような大曲を最高峰の玉三郎が踊る、その妖しいまでに非日常的な美しさを観ることは、本当に舞台芸術を観ることの楽しみが凝縮した極上のエキスを味わうような陶酔感があります。
私たちのようにわざわざ東京から飛行機で飛んできた玉三郎ファンがもっと詰めかけているのかと思っていましたが、周囲で交わされる会話を漏れ聞いていると、むしろ地元近辺や九州・西日本一円からやってきた歌舞伎など観たことがないという人々が殆どのようで、「男が女を演るなんてキモチが悪い、思うていましたが、あんまり綺麗なんでびっくりした」などという素朴で微笑ましい感想が飛び交っていました。
公演中に、「引き抜き」で瞬時に衣裳が変わるところでも「うまく綺麗に決めたな」という喝采よりは「初めて観た」という感じの驚きのどよめきのほうが大きかったような気がします。これは決して優越感や「上から目線」で申し上げるのではないのですが、なるほど、「重要文化財の芝居小屋の中で当代一の女形の至芸を観る」というある意味とても豪奢で贅沢な体験を、なにげなく消費してしまう「地方」がある、というのも、わが国の非常に豊かな文化のありようではないか、と思いました。