夏のヴェローナ音楽祭は、毎年6月の終わりから8月末または9月の初めまでの約10週間の間に4つか5つのオペラが50回程度上演されます。今年は「フランコ・ゼッフィレッリ特集」という珍しい企画で、5つのオペラ演目全てがゼッフィレッリによる演出・装置で上演されました。8月10日から13日にかけて、そのうち《蝶々夫人》をのぞく4つの演目を連続して観たので、報告します。
《アイーダ》、《イル・トロヴァトーレ》、《カルメン》は再演で、私も過去にヴェローナで見ている舞台。《トゥーランドット》は新演出です。
こうして、連続して観てみると、ゼッフィレッリ演出の特徴である群集をうまく使った豪華でスペクタクル性の強い舞台は、まさにアレーナの広いステージにぴったり合っていることがよくわかりました。出演者も今回は特に豪華で演奏水準が高く、ヴェローナの醍醐味を満喫することができました。私ども夫婦は、1991年からの20年間に9回、アレーナ公演を観てきましたが、今年のように全ての演目の粒がそろって満足できるものであったことは、なかなかありません。すっかりリピーター化したヴェローナ詣ですが、昨年に引き続いての2年連続は今回が初めて。敢えてやってきたのは、ゼッフィレッリ演出に魅せられてのことですが、その甲斐があった、というものでした。
最上席(ポルトロニッシマ)のチケットの価格は、平日が183エウロ、週末(金曜日)が198エウロですから、決して安くはありませんが、最近の為替相場(1エウロ=110円前後)で換算して、1枚5万円以上する大劇場の来日公演チケットと比較すると、コストパフォーマンスはとてもいいといえましょう。
160人の合唱団(構成はSが40、MS、A、T1、T2、Br、Bが各20)のほかに、それと同数以上のダンサーやエキストラ、本物の馬などが登場し、大道具・小道具・衣装も豪華絢爛なゼッフィレッリ演出を5演目も上演するのは、大変な費用と労力がかかります。これを成し遂げてしまうヴェローナのマネジメントには脱帽です。
なお、そうした公演を支えるスタッフのなかで、指揮者が登場するときに常に先導して懐中電灯で足元を照らしながらピットまで案内する役を、昨年まではずっと、客席案内係のチーフであるチョビ髭のおじさんが行っていましたが、今年はそれが若い男性にとって替わられていました。あのチョビ髭おじさんはどうしたのだろうか、ハッピーリタイアならいいのだけど、とちょっと気になりました。
野外オペラで一番の心配は雨。この時期、北イタリアの天候は比較的安定しているのですが、今回は久しぶりに「水入り」も経験しました。3日目の《カルメン》です。もうすぐ終わるというカルメンが殺される直前の場面で中止。4日目も昼間は雨が降ったので心配でしたが、夜にはあがり、20℃を下回る涼しい気温の中で「氷の姫君」が融けるのを観ることになりました。
1.8月10日(火)《アイーダ》
アイーダ:フイ・ヘー
アムネリス:ティチーナ・ヴォーン
ラダメス:ワルター・フラッカーロ
ランフィス:マルコ・スポッティ
アモナズロ:アンブロージョ・マエストリ
エジプト王:カルロ・ストゥリウーリ
使者:アンジェロ・カゼルターノ
巫女長:アントネッラ・トレヴィザン
指揮:ダニエル・オーレン
演出・装置:フランコ・ゼッフィレッリ
衣装:アンナ・アンニ(マリア・フィリッピ)
振付:ウラジミール・ワシリエフ
ゼッフィレッリの舞台については、2002年に最初にこのプロダクションを観た時の拙文を引用します:
「舞台を観るとまず目につくのは中央にそびえる巨大な黄金のピラミッドです。真鍮か銅で鍍金された金属パイプ(樹脂製かも知れない)を横にして積み上げた構造で、パイプの間には裏が少し透けてみえるくらいの隙間があり、巨大な籠のようにも見えます。
舞台は石造りのすり鉢状アレーナの短辺3分の1くらいを使った広大な空間ですが、そこに1辺20m近くあるピラミッドが置かれているので、いつもより舞台の奥行きがなくなっています。ピラミッドは回転するようになっており、2面は何もなく、1面には両側に侍神を従えた巨大なウルカノ神の座像、他の1面にはファラオか神の顔が浮き彫りになっています。
第1幕第1場ではピラミッドは何もない2面による稜線を客席に向けて直角にむけておかれているので、他の2面は全くみえずピラミッドは遠景のように存在します。それが回転してウルカノ神三尊像の面が現れることにより神殿の場面が、ファラオの顔の浮き彫りが現れることにより凱旋祝賀の場面が現出するというわけです。ピラミッドとその台座には開閉する口があって適宜人物が出入りできます。そのほか、大道具としては、舞台前面左右横に2頭ずつの黄金のスフィンクスが鎮座し、遠景の石のすり鉢中段にも何体ものスフィンクスそして古代エジプト風の巨大な神像が鎮座しています。それらの像や、人々が持つ旗竿に掲げられる紋章類が、黄金の地に原色の赤、青、緑、黒などで絵柄が描かれていて、とても豪華なのです。」
当時のゼッフィレッリ演出では、ヴェルディ・イヤー(没後百年)に作曲家の故郷ブッセートの劇場で行った演出と同様の考え方が踏襲されて、アクメンと名づけた巫女頭をバレリーナによって視覚化し、第1幕第2場だけでなく各場面に登場させて狂言回しのような役をさせる、というものでした。そのため、ブッセート公演でもヴェローナ公演でも初日には、イタリアの人間国宝とでもいうべき大物バレリーナ、カルラ・フラッチをアクメンに起用した存在感を強調していたものです。
2004年に再び観たゼッフィレッリ版《アイーダ》では、このアクメンの位置づけはだいぶ弱まり、プログラムにも名前が載らなくなりました。今年も、この04年の時と同じような形で、巫女頭役のバレリーナは登場しますが、原作の構造を改変するほど目立つ存在にはしていませんでした。
ラダメスを歌ったフラッカーロは、カルロ・ベルゴンツィに似たタイプのよく通る硬質の声で、おそらく歌唱スタイルもベルゴンツィのようなスタイリッシュで甘さに流れない硬質な表現を目指しているように思われます。しかし、開幕直後の会場がまだざわついた雰囲気の中で歌わなければならないアリア<清きアイーダ>では、それが力みとなって出てしまったような感じで、ごつごつとした無骨一辺倒の歌になってしまいました。ですが、幕が進み、オーレンの指揮と強力な歌手陣のおかげで熱気と集中力が高まるにつれて、そうした固さはとれて、いい意味での剛直な表現ができてきたように思います。
このラダメスという役は、ともすれば単純で愚かなだけの男に見えてしまいがちなのですが、こうしたアプローチによってはじめて、男らしく潔い英雄的な人物に描くことも可能だということがよくわかります。ベルゴンツィがヴェルディ・テノールと称される所以でありましょう。
中国出身のソプラノ、フイ・ヘーのアイーダを聴くのは昨年に引き続いてのことですが、声の力強さ、フレージングの巧みさが増しているように思えます。貴重なリリコ・スピントです。グレギーナまでの凄みはないとしても、過去にヴェローナで聴いたカロージ、チェドリンス、デッシーよりは本格的な強い声である、と感じました。アジアの代表として、これからも活躍してもらいたいものです。(合唱団の中には何人か日本人女性の名前がみられました)。
ヴォーンのアムネリスは、2004年に同じゼッフィレッリ演出で聴いています。声の力強さ、表現力は十分ですが、黒人系の歌手にしては声質が明るく、低音の響きという点では少し物足りないので、コッソットやザジックのような迫力は感じられません。
圧巻だったのは、やはりマエストリのアモナズロ。アレーナで彼の同役を聴くのは、04年、昨年に続いて3回目ですが、いつも感激させられます。第3幕でアイーダに向かって<おまえは、ファラオの女奴隷だ!>と言い放つところの迫力は絶品で他の追随を許しません。現役のバリトンで匹敵できる人はおそらくいないし、レコードで聴けるアモナズロでも、カップッチッリとタッデイだけだろうと思います。
ランフィスのマルコ・スポッティも去年と同じ配役。重厚な響きを持つ若手バスで、04年から私が注目している歌手です。今年も立派な声でした。国王の方のストゥリウーリは、ランフィスもやるようですが、かなり実力が落ちます。昨年のアナスタソフのようにスポッティと拮抗する迫力は感じられませんでした。
オーレンの指揮は、これもいつものことながら、興奮させられる熱いもの。今年は、舞台が絢爛豪華だから、ますますそのめりはりの効いた派手な演奏が引き立ちます。今年特に印象に残ったのは、第3幕でラダメスがアイーダに対して<再び勝利をあげて、その時こそ君との結婚を願い出る>と勇ましく歌うところで、ほとんど歌手の方は見ないで、伴奏のトランペットが刻むタラッタタタタタンターという歯切れのよいテンポを煽り立てる指示を送り続けていたことでした。
なお、アイーダの合唱では、男声の低音部の役割が重要です。アレーナ音楽祭合唱団のバスにはソリスト顔負けの歌い手がいるらしく、第1幕第2場や第3幕の神殿での男声合唱による静かな祈りのシーンでは、日本人にはとても真似のできない重厚なバスの声が朗々と響きわたり、非常に印象的でした。
合唱については、バスだけでなく、全体に非常に力強くよく響いていて、160人という人数だけでなく、ひとりひとりの実力も相当なものであることが感じられます。群衆を動かすことが得意なゼッフィレッリ演出では、高い演技力も要求されます。通常のオペラハウスはお休みの時期なので、一流どころプロの合唱団員が集まっているのだと思います。