8月13日(金)《トゥーランドット》
トゥーランドット:マリア・グレギーナ
カラフ:サルヴァトーレ・リチトラ
リュー:タマル・イヴェーリ
ティムール:ルイス-オッターヴィオ・ファリア
アルトゥム皇帝:カルロ・ボージ
ピン:レオナルド・ロペス・リナレス
ポン:ジャンルーカ・ボッキーノ
パン:サヴェリオ・フィオーレ
官吏:ジュリアーノ・ペリゾン
ペルシアの王子:アンヘル・ハルカツ・カウフマン
指揮:ジュリアーノ・カレッラ
演出・装置:フランコ・ゼッフィレッリ
衣装:ワダ・エミ
振付:マリア・グラツィア・ガロフォーリ
結局、雨はそのまま翌日の朝まで降り続けました。しかし、昼ごろにはいったんあがって夏らしい青空になります。5時前後に夕立がまた来ますが、9時の開演時間にはすっかり晴れ上がった夜空となしました。
こうなるとアレーナは冷えます。気温は15℃近くにまで落ちこんでいたと思います。ジャケットを着ていても肌寒く、場内では1枚12エウロの赤いブランケットが飛ぶように売れています。飛行機のエコノミークラスで出されるアクリル製の薄いあれです。Made in Chinaとありますから、コストは安いはず。結構もうかる商売かもしれません。
《トゥーランドット》は、今シーズンの5演目のうち唯一のニュープロダクションです。装置のコンセプトは、METの豪華な舞台とあまり変わりはありません。1988年のスカラ来日公演の《トゥーランドット》も、現在のMETと同じゼッフィレッリのプロダクションで、その目もくらむような舞台装置に驚いたものです。
スカラの方はその後、浅利慶太のプロダクションに変わってしまいましたが、METは1987年以来現在まで、ずっとゼッフィレッリのプロダクションを使い続けています。(因みに、来年のMET来日公演でも上演される《ラ・ボエーム》は、1981年初演のゼッフィレッリ版がまだ使われています。)
皇帝の宮殿は、中国の玉(ぎょく)を思わせる緑がかった乳白色の石の柱に黄金の屋根と龍の装飾をあしらったもので、強いライトのもとで燦然と輝いています。黄金の衣装に仮面をつけた廷臣たちや黄金色にかがやく旗を立ち並べる手法も、MET版の舞台と似た雰囲気をもちますが、その宮廷シーンの手前に、弊衣をまとった庶民たちの空間が広く置かれている点が少し違います。
第1幕では、この宮廷の前に城壁をかたどった板(表面に龍のレリーフがある)が張り巡らされ、舞台の前の方の空間だけで、街の雑踏のシーンが展開されます。
殆どの民衆はくすんだ灰色の衣裳で、同じような色の甲冑を着込んだ兵士たちに鞭で追い立てられたりしているのですが、開幕冒頭の合唱シーンでは、なぜかその中に色鮮やかな赤と青のチャイナドレスを着た娘がふたり混じっており、やがて舞台下手に停めてあった人力車に乗り、ドレスのスリットから白い太股を露に見せつけながら舞台中央まで進むと、そのまま乗り捨てます。この色っぽいお姐さんたちの出番はこれだけ。劇の進行には全く関係ありませんが、街の殷賑の猥雑な雰囲気を醸し出す効果はあるようです。
こういう一見無駄で意味のないディテールに手間暇(とお金)をかけるのがいかにもゼッフィレッリです。そのままでは貧乏ったらしくみえる群集シーンに、ちょっと贅沢な無駄という色彩を加えることで、オペラという非日常的、祝祭的な娯楽の楽しさを際立たせてくれるのです。
なお、衣裳は《蝶々夫人》と同じワダ・エミが起用されています。MET版のダダ・スカリジェーリのデザインと全く同じではありませんが、色づかいなど、基本的なコンセプトはかなり似ているように見えます。よく言えば、装置の色調とデザインがMET版と似ているので、衣裳も合わせた、といえるのでしょうが、装置デナイナーが同一人物でも衣裳デザイナーは違うのですから、もう少し個性を主張してくれても良かったのではないか、と思います。
指揮のジュリアーノ・カレッラは、なんといっても、03年と06年のカターニア歌劇場来日公演《ノルマ》で、カターニアのオケ独特の個性的な音色を引き出してベッリーニの優美な音楽を見事に演奏してみせてくれたのが印象に残っています。全くタイプの異なるプッチーニの作品でしたが、絢爛豪華な舞台に負けない色彩豊かで派手な音楽を現出させるとともに、リューのアリアやピン・ポン・パンの3重唱では美しい叙情性を歌い上げることも忘れないなど、ここでも確かな手腕をみせてくれました。
グレギーナは、ヴェローナに何度も登場していますが、7月までの前半の出演が多く、私がここで彼女を聴くのは初めて。また、彼女がトゥーランドットを歌うのを聴くのも初めてなので、期待していました。結論としては、グレギーナの声も強くてドラマティックなのですが、ディミトローヴァやマルトンのような凄みはなく、やはりヴェルディのヒロインの方が合っている、という感想を持ちました。
そうはいっても、第4幕などで、全開で歌ったときの彼女の声はやはり凄いのでのですが、第2幕に歌われる最初のアリア<この宮殿の中で>は、すこしやさしく歌われすぎているという感じがしたのです。ここでは「氷のような姫君」の獰猛なまでの復讐心と苛烈な拒絶の意思が難攻不落の要塞のように屹立していなければなりません。登場してすぐに歌うので、喉が十分に温まっていなかったということもあるのかもしれませんが、
声の力を武器にぐいぐいと直球で押すというよりは、変化球に頼る歌い方であるように見受けられました。グレギーナの場合、マクベス夫人の時もそうですが、地の人柄の良さのようなものが出てしまって、悪女になり切れないところがある、ということがあるようです。
リューのイヴェーリは、日本で何度もデズデーモナを歌うのを聴いていますが、素直な発声とぱっちりした眼をした愛くるしい顔立ちで、イノセントなキャラクターがいかにも合うタイプ。ただし、以前よりも少し太ってきてしまっていて、体型的にイメージの維持が苦しくなりつつあるようです。
リチトラは、ヴェローナの常連であり、来日公演でもしばしば登場するお馴染みのリリコ・スピントですが、私にとってカラフを聴くのは今回が初めてだと思います。第1幕から出番は多いのですが、安定して力強い歌唱を聴かせてくれました。本人としても調子が良いと感じていたのでしょう、第4幕の聴かせどころ<誰も寝てはならぬ>は、大喝采に答えてアンコールをしました。この曲はうまく決まれば本当にテノール冥利につきるカッコイイにアリアですね。
最後に「Vincero!」とH(シ)音を張りあげるところも中音域とかわらない逞しい声で見事に響かせていたので、本人も歌っていて気持ちよかったのではないかと思います。
今回聴いた4演目にはどれもテノールの有名なアリアがありますが、一番のもうけ役はやはりこのカラフではないでしょうか。マンリーコは危険なハイCがあるうえに第4幕では捨て身の恋人の死を無駄にする愚かな姿をさらし、ドン・ジョゼは振られた女に未練たらたらで男らしくない刃傷沙汰、そしてラダメスは単純で愚かしくも玉座を棒に振って奴隷女と心中するのです。それにひきかえ、カラフは知力で勝負して謎をとき、最後までカッコよく氷の美女の心までとろけさせ、しかも奴隷女のリューを冷然と犠牲にして自分は逆玉の輿に乗るわけです。
これぞ男のカガミ!万々歳!すかっといい気分でヴェローナ最後の夜は締めくくられました。