フェッラーラ
ボローニャの産業遺産博物館が休館だったので、ヴェローナへ行く前にフェッラーラに立ち寄ることにしました。
今回の旅は、フェデリーゴ・ダ・モンテフェルトロゆかりのウルビーノから始め、マラテスタ家の城も見たので、ルネッサンス期の君主にして傭兵隊長でもあったエステ家やゴンザーガ家の城も見る旅にしようと、思いたったのです。
ボローニャからA-13を北北東(パードヴァ方面)へ50kmほど走ったところにフェッラーラはあります。アドリア海からも内陸へ50kmくらいのところで、ロンバルディア平原を横切ってきたポー川のデルタ地帯が始まる場所。ルネッサンスの面影をとどめる市街とこのデルタ地帯が合わせて世界遺産に登録されています。
因みにウルビーノ、これから行くヴェローナ、マントヴァも世界遺産です。
エステ家も公爵(Duca)だったので、その居城はパラッツォ・ドゥカーレと呼ばれてもよいように思われますが、フェッラーラでは、カステッロ・エステンセ(エステンセ城)と呼ばれています。周囲に濠をめぐらし、跳ね橋で中にはいる作りは、たしかに、宮殿(パラッツォ)というよりは、カステッロ(城)という方がふさわしい武張った感じがします。
建物自体の規模も、ウルビーノやマントヴァの同業者のものより小じんまりとしています。
グラダーラで、ペーザロ伯の妻として登場したルクレツィア・ボルジア1480-1519)が、3番目の嫁ぎ先としてやって来たのがこのフェッラーラです。エステ家のアルフォンソ1世の妻となった彼女は、ルネッサンスの文化花開くこの地で、サロンの女主人として優雅な生活を送ったようです。そのようなルネッサンス期の文芸の保護者として最も有名な女性、イザベッラ・デステ(1474-1539)はアルフォンソの姉、つまり義姉にあたります。
因みに、イザベッラ・デステの妹、ベアトリーチェ・デステは、ミラノ公ルドヴィーゴ・スフォルツァへ嫁ぎ、イザベッラの娘、エレオノーラ・ゴンザーガはウルビーノ公フランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレ(フェデリーゴ・ダ・モンテフェルトロの孫)に嫁しています。スフォルツァ、ゴンザーガ。エステ、モンテフェルトロ/ローヴェレという北イタリア傭兵隊長君主4家は、しっかり姻戚関係を結んでいたわけです。君主の子女の結婚を支配する原理は、まさにマキアヴェリズムでありました。
ルクレツィア・ボルジアも、父(教皇アレクサンデル6世)と兄(チェーザレ・ボルジア)のマキアヴェリズムに翻弄された悲劇の女性という見方が今では一般的ですが、ドニゼッティのオペラ《ルクレツィア・ボルジア》が書かれた時代には、「ボルジア家の毒薬」をあやつる稀代の悪女、という伝説的なイメージがまだ強かったようです。原作を書いたヴィクトル・ユゴーは、そうしたイメージをたくみに利用しながらも、ルクレツィアを、子を思う母として苦悩する人間的なヒロインにしたてあげています。ドニゼッティの音楽も美しい曲が多いのですが、ヴェルディが作曲すれば、もっとユーゴーの強烈な人間ドラマをコントラスト豊かに表現できたのではないか、と思わないでもありません。
因みに、ボルジア家といえば、映画《第3の男》でオーソン・ウェルズが吐くあまりにも有名なセリフも思い出されますね:「ボルジア家のもとでのイタリアの30年は、戦争、殺人、恐怖、流血に満ちていたが、彼らは同時にミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチそしてルネサンスを生んだ。スイスでの500年のデモクラシーと平和は何を生んだ?鳩時計だ。」
この英語のセリフが日本語の字幕になると、「ボルジア家の30年の圧政は、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ルネサンスを生んだ」という風に短縮されてしまうので、ボルジア家がイタリア全土を支配していたかのような印象を与えます。実際には、ボルジア家が支配していたのは教皇領だけで、当時「イタリア」という国概念はありませんでしたし、ミケランジェロのパトロンはボルジア家のライバルだったメディチ家やローヴェレ家でした。いずれにせよ、アレクサンデル6世とチェーザレというボルジア家の男たちの怪物的ワルモンのイメージが強烈なので、この時代の代表者として使われてしまうわけです。
それはさておき、フェッラーラ城の話に戻りましょう。
ここは、先述しましたように一見軍事目的優先の「城」であるように見えますが、各居室の天井は優雅な装飾がほどこされています。これらの部屋の床に何年か前に訪れたときはなかった仕掛けが施されていました。30度から40度くらいの角度を持たせた大きな鏡が置かれていて、真上を見上げなくても、美しい天井の装飾画を鑑賞することができるようになっているのです。20以上ある部屋の天井を丹念に見上げながら見て回ると首が痛くなってしまうのは確かなのですが、鏡の像を覗き込んでいても、やはりもう一度天井の「実物」を見上げて確かめたくなってしまうのが人情というもので、この装置にどれだけの価値があるといえるのかよくわかりません。どこかの国の田舎の自治体にもありがちなことですが、設置費用を考えると、無駄なことにお金を使っているように思われます。
ここで生きた歴史的人物たちの日常生活をイメージできるような展示がもっとあっていい、と思いました。
それはともかくとして、以前に比べると、清掃が行き届き、トイレが設置され、順路などの表示もしっかりとされるなど、文化遺産を観光資源としてとらえ、観光客が快適に観て回れるようにしよう、という配慮が行きわたっていることは確かです。
マントヴァのパラッツォ・ドゥカーレの方が、規模が大きく、豪奢な装飾の部屋も多いのですが、このエステンセ城の方が、天井の装飾に関しては、それぞれの部屋の意匠が個性的でヴァラエティーに富んでおり、それでいて建物全体の統一感はとれているので、観て回るのにちょうどよい感じがします。
城の前の広場のカフェで昼食にします。広場の石畳は、丸石を敷き詰めたものなので、ごつごつして少し歩きにくいのですが、そこを器用にバランスをとりながら自転車で行き過ぎる人たちが結構います。いわゆるママチャリです。そういえば、ロンバルディア平原で古い街並みをとどめた都市、このフェッラーラや、ヴェローナ、マントヴァなどでは、住人たちは生活の中で自転車を多用しているようです。丘の上に作られたウルビーノやシエナでは、街中で自転車をあまり見かけません。とんでもない急な坂が結構あるのです。その代わり、街の外の丘陵地帯では、本格的なロードレーサーのいでたちをしたサイクリストたちをよく見かけます。トレーニング中のプロもいるかもしれませんが、自転車をスポーツとして楽しむ人たちが多いのでしょう。たしかに、マルケやトスカーナの美しい丘陵地帯を自分の足で疾走するのは、車を運転する以上に楽しいかもしれません。
カフェでは、温めたパニーニとサラダを食べました。イタリア式の少し固めのひらべったいパンに生ハムやチーズをはさんだパニーニは、冷たいままでも、温めても、ドライヴインや駅のカフェなどどこで食べても、まずハズレがない、イタリア旅行におけるランチの定番といっていいでしょう。本当は地元の赤ワインを合わせると完璧なのですが、運転がひかえている私は、おいしそうにグラスを傾ける妻を横目で見ながら、発泡性のミネラルウォーターで我慢します。
サラダの方は、これもイタリア式で、バルサミコ酢、エキストラ・ヴァージン・オリーヴオイル、塩の壜がどんとテーブルに置かれ、客は自分で好みの味にドレッシングして食べます。日本でフレンチ・ドレッシングと呼ばれるものが、アメリカではイタリアン・ドレッシングと呼ばれ、さてイタリアでは、というと、あらかじめ調合してあるドレッシングというのは、大きなホテルの朝食バッフェ以外ではほとんど見かけません。高級レストランになると、自分で調合することは許されず、あらかじめ厨房であえてあるか、目の前でウェイターがあえてくれることになります。
いろいろな種類のドレッシングを瓶詰めにして売るのは、アメリカのハインツあたりが始めたことなのでしょうが、イタリア人にしてみれば、なぜそんなものが売れるのか、よくわからないのではないでしょうか。私にもよくわかりません。
フェッラーラを出てA-13を北へしばらく走ると、カーナビのお姐さんが、次の出口で高速を降りろと言います。指示通りに降りて、一般道にはいり、しばらく行くとS-434という国道に入りました。有料のアウトストラーダではないのですが、信号がない自動車専用道です。パードヴァを経由するアウトストラーダを使うより、ずっと近道でヴェローナに行け、しかも高速料金がかからない。さすがカーナビは良いルートを知っています。
ところで、その有料の方の高速道路。日本の場合、料金所のゲートは、「ETC」と「一般」の2種類が原則ですが、イタリアの高速道路の料金所のゲートは3種類あります。日本の「ETC」にあたる「TELEPASS」と「現金」のほかに、「カード払い」というのがあるのです。この「カード払い」のゲートでは、昔のハイウェイカードのような磁気式プリペイドカードを使うのが原則のようですが、通常のクレジットカードも使えるのです。しかし、なぜか、現金払いのゲートに比べると格段に空いています。人はおらず、機械にカードを食べさせるので、ちょっと不安になりますが、今までトラブったことはありません。おつりのやりとりも不要で、すぐにカードは戻ってきて、「Arrivederici!(さようなら)」という女性の声とともにバーが上がります。現金のゲートが長蛇の列のとき、思い切ってこのゲートに入り、日本のVISAカードを入れてみたところ、ちゃんと受け付けてくれました。なぜ、現地(ドイツやオランダからの車が多いかもしれない)の人たちは皆現金のゲートに列を作ってまで行くのか、よくわかりません。
イタリアのドライブでは、クレジットカードが結構便利に活躍します。ミラノ市内では、有料駐車場のゲートでもクレジットカードが使えました。通常は、ボタンを押して入場時間が記録されたカードを受け取るとバーが上がり、中に車を停め、出る直前に精算機やキャッシャーで時間単位の料金を払って、支払い済みのカードを入れると出口のバーが上がるという仕組みなのですが、入り口で直接機械にクレジットカードを食べさせると、その入場時間を機械が覚えていて、出口の機械に再び同じクレジットカードが挿入されると、その時間との差により料金が計算され、そのままカードから引き落とされる、というシステムです。専用の駐車券のようなものが不要になり、キャッシャーに立ち寄る必要もないので、利用者、経営者双方にとって便利なシステムです。
出口のバーが本当に上がってくれるのか、ちょっと心配でしたが、ちゃんと作動しました。1か月後に、日本のクレジットカードの口座をみると、7.8エウロ、854円が引き落とされていました。日本でいえば銀座1丁目くらいの都心の地下駐車場で3時間前後停めた料金としては、まあこんなものでしょう。