「GRAND OPERA」2010年秋号(音楽之友社)で、「オペラ新名鑑」と銘打って、現役の歌手、指揮者、演出家、演目のランキングをつけた特集をやっていた。
これが、ヴェルディのオペラを愛するファンの立場からみると、どうも納得がいかない内容であった。オペラといっても様々のジャンルがあり、個人の好みが大きいことでもあるので、目くじらを立てることでもあるまいが、これからオペラを聴こうという若い人たちや、海外でのオペラを聴く機会があまりない一般のオペラファンへの影響ということを考えると、多少の危惧を覚える。17人の「専門家」が推薦するアーティストの中には、日本ではまだほとんど知られていない人なども含まれていて、それなりに意味があるが、これが「現在の世界のオペラ・シーンを公平に俯瞰した」ものであるかのような誤解を生む可能性があるからである。
実際には、ヴェルディ好きの観点から見ると、全く公平に欠けるランキングであるように見える。以下に私見を述べてみたい。
まずは女性歌手である。メッゾ・ソプラノのエリーナ・ガランチャが1位とされているのは、ちょっと意外な感じもするがいかにもクロウトっぽい選択で、なるほど今一番注目されているのはこの人か、という納得感はある。
しかしながら、ベスト20に入っているメッゾ・ソプラノをみてゆくと、バルトリ(6位)、キルヒシュラーガー(12位)、バルチェッローナ(15位)、ディ・ドナート(17位)、カサロヴァ(18位)という具合に、ひとりとしてヴェルディ歌いがいない。そもそも名前があげられている111人の女声歌手の中で、アムネリスが歌えそうなのは、かろうじて各ひとりの「専門家」が推薦しているコムロージとディンティーノだけである。アズチェーナ、エーボリ、アムネリスなどを歌う歌手は現代の歌劇場では重要でない、とはまさか「専門家」の先生方もお考えではあるまいが、ザジック、ボロディナ、ジャチコーワ、コルネッティなどの名前が111人の中に入っていないのは、いかがなものであろうか。
ソプラノはさすがに、「ヴェルディも歌う」歌手たちが多いが、ジルダ、ヴィオレッタ、デズデーモナ、アリーチェ以外のヒロインを歌える、すなわちヴェルディ歌いの本流であるリリコ・スピントからドランマーティコの歌手となると途端にさびしくなる。ウルマーナが19位、デッシーが33位、グレギーナが40位、テオドッシュウが43位という具合だ。ここでも、ラドワノスキ、カロージ、グルーバー、フイ・ヘーなどの名がなく、ニッツァの名前をあげている人もひとりしかいないのである。
男声歌手の方は、まだましかも知れない。カウフマン、パーペ、アルヴァレス、フヴォロストフスキー、ドミンゴ、クーラなどヴェルディを得意とする歌手が上位に入っているほか、ヌッチ、リチートラ、フルラネット、スカンディウッツィ、フロンターリなども、(順位が低すぎると思われるものの)ランク入りはしているからだ。
しかしながら、ガザーレ、ライモンディ、コロンバーラ、ガルージンを推薦した「専門家」が各ひとり、というのはあまりにもさびしい。
また、テノールでは、ジュリアッチやベルティ、バリトンのマエストリ、バスのアブドラザーコフ、スポッティなど、ヴェルディ歌いの若手が名前もあげられていないのも不思議な話であると思う。
そのうえ、パーペが4位(11人推薦)なのに、スカンディウッツィが48位(2人推薦)というのも、フィリッポのアリアをこよなく愛する私としては、怒りを禁じえない。岡村喬生さんが「バス歌手にとって一番歌ってみたいアリアはフィリッポの<ひとり寂しく>である」ということを書いていたことがある。パーペとスカンディウッツィの両方のフィリッポをナマで聴いたことがある私にとって、どちらがヴェルディの様式感に合っているかは自明のことのように思えるのだ。
指揮者の部は、歌手の部に比べると違和感は少ない。しかしながら、ヴェルディの演奏という目からみると、こちらも異論がなきにしもあらずである。1位のムーティは文句なしであるが、2位の大野和士、6位のバレンボイム、10位のガッディは、他の作品はいざ知らず、ヴェルディ作品の指揮に関しては、私は評価できない。一方、フリッツァ、ルイゾッティといった若手がちゃんとランク入りしているのはうれしい。しかしながら、アルミリアート、シャイーが各一票というのはさびしいし、ダニエル・オーレンの名前があげられていないのは大いに不満である。
演出家の部は、評価項目に「お騒がせ度(挑発性)」を入れたせいもあり、話題提供性の高い演出家が上位を占めることになった。選者に与えられた枠がひとり5名までと狭いことも影響しているのだろうが、グレアム・ヴィック、ジョナサン・ミラー、ウーゴ・デ・アナ、エミリオ・サヒなど、当然名前があがってしかるべき人たちが抜け落ちてしまっている。
そして演目である。その上位15にヴェルディの作品は《ラ・トラヴィアータ》と《リゴレット》のふたつしか入っていない。
対象とした歌劇場、音楽祭をみてみると、ドイツ・オーストリアはベルリンとウィーンの各都市のオペラハウスを3つとも入れているのを含めて11の劇場を入れているのに対し、イタリアは北イタリアの5つのハウスのみで、ローマやナポリは入っていない。また音楽祭も、ペーザロやマチェラータを入れておきながら、なぜイタリア最大の音楽祭でありマチェラータなどよりレベルも高いヴェローナを入れないのか。各都市の劇場についても、ロシアの歌劇場がひとつもないのが不思議であるし、ベルリン・コーミッシェ・オパー、ウィーン・フォルクス・オパー、イングリッシュ・ナショナル・オペラを入れるのであれば、ニューヨーク・シティ・オペラを入れないのも片手落ちである。これらの不公平を修正すると、ヴェルディの作品は、世界中でもっとたくさん演奏されているのではないか、と思う。
また、《サロメ》がベスト15に入り、ワーグナーが《オランダ人》ひとつというのも意外な結果だが、これは対象期間に固有のたまたまの現象であろう。ヴェルディとワーグナー生誕200年となる2013年に調査すると全く違う結果が出るのだろうと思う。
さて、以上が、私の独断と偏見による「異論」である。あらためて、歌手のランキングを眺めなおしてみると、男女とも、ロッシーニやベルカントを得意にする技巧派と、容姿端麗な人が上位に来る傾向が強いように思われる。結果として、顔や体型よりもまずもって生まれた声がなければ歌えないヴェルディやワーグナーの専門家は下位に追いやられることになった。
20年前であれば、女声歌手のランキングにコッソットの名をあげない「専門家」はいなかっただろうし、エンツォ・ダーラの名前がルッジェロ・ライモンディよりも上に来るということはあり得なかったであろうと思う。ところが、今回は、ミケーレ・ペルゥージやアレッサンドロ・コルベッリが、フェルッチョ・フルラネットやロベルト・スカンディウッツィよりも上位を占めているのだ。世界の潮流が「軽い」方へ流れつつあるというのも確かかもしれないが、特にわが国においてはその傾向が強く出ているような気がする。
上の対象音楽祭のところでも述べたことと重複するが、ペーザロとマチェラータを入れてヴェローナを入れない、という性向は、音楽之友社だけの問題ではなく、日本の旅行社が主催するツアーにも出ている。現実には、15,000人収容のアレーナで50回以上公演を打つヴェローナの方が、圧倒的に聴衆を集めているのだ。出演歌手やマネジメントのレベルも、他の音楽祭とは比べ物にならないし、世界の常設歌劇場の中でもトップレベルに入るものである。そこで毎年のように楽しまれているのが《アイーダ》であり《ナブッコ》なのだ。
ヴェルディの一愛好家としては、これ以上、日本のオペラ好きの傾向が「草食化」してゆくことがないように願わずにはいられない。