3月11日(金)の東北地方太平洋沖地震が発生から2日後の日曜日。まだ生々しい被災のニュースが時々刻々報道されている中での来日公演初日の幕開けとなりました。主催者としても悩んだ末の決断であったろうと思いますが、膨大な費用をかけてわざわざ海外から引越し公演でやってきた大一座がすでに準備万端整っているわけですから、簡単に取りやめるわけにはいかなかった、ということでしょう。
考えてみると13日当日は、前日までの首都圏交通機関の混乱がほぼおさまり、翌日(月曜日)からの計画停電による混乱が再び始まるまでの間のぽっかりあいた平穏な一日で、横浜山下公園の会場からは、晴天のもとにのどかに広がる春の港の風景を眺めることができました。
定刻になり、指揮者のズビン・メータはマイクを持ち、通訳を従えてオーケストラピットに登場しました。まず、劇場を代表して、一昨日の大災害に心を痛めていることを語り、そうした大変な状況の中来場してくれた聴衆に感謝の念を述べました。そして、被災地に苦しんでいる人々とその苦しみをわかちあい、その方々のために演奏する、といった言葉で短いスピーチを締めくくりました。
トスカ:アディーナ・ニテスク
カヴァラドッシ:マルコ・ベルティ
スカルピア:ルッジェーロ・ライモンディ
アンジェロッティ:アレッサンドロ・グエルツォーニ
堂守:ファビオ・プレヴィアーティ
スポレッタ:マリオ・ボロニェージ
シャルローネ:フランチェスコ・ヴェルナ
看守:ヴィート・ルチアーノ・ロベルディ
指揮:ズビン・メータ
演出:マリオ・ポンティッジャ
美術・衣裳:フランチェスコ・ジート
合唱指揮:ピエロ・モンティ
児童合唱:東京少年少女合唱隊
神奈川県民センターに来るのは本当に久しぶりです。みなとみらい線の日本大通り駅から歩いて5~6分なので便利になりました。2,400席の大ホール、3階の前から7列目でしたが、NHKホールなどに比べると舞台がとても近く、見やすい構造です。ただし、オーケストラピットの真上にある反響板がちょうど3階席と同じ高さで45度の角度で正対しているので、オケの音がいやに大きく聴こえます。冒頭から金管が派手に鳴る《トスカ》の幕開きは、思わずおっとのけぞるような圧力を感じました。
しかし、この日のソリスト達は、そうしたかなり騒がしいオーケストラの音を突き抜ける立派な声の持ち主が多かったので、却って輪郭のはっきりした、いかにもヴェリズモ風のドギツイ音楽が楽しめたような気もいたします。
メータの指揮も、もともと色彩感の豊かなプッチーニの音楽をさらにこってりコントラストを強くしたような表現を目指していたように思われます。ギンギラの強くてわかりやすい表現が大好きな私好みの演奏といえます。翌週の東京文化会館でのヴェルディがどのように聴こえるか、楽しみになってきました(その後、フィレンツェ市長から帰国命令が出て、3月16日以降の日本公演は中止になってしまいました。原発のリスクを懸念したのでしょうが、残念です)。
ソリストの中で特筆すべきは、テノールのマルコ・ベルティです。私は今までにも、ヴェローナの《トロヴァトーレ》や《アイーダ》でその力強い声を聴いています。本格的なリリコ・スピントの重い声なので、好不調の波が激しいところがあるという印象を持っていますが、この日は好調でした。特に、第2幕、マレンゴの戦いでのナポレオン軍勝利の知らせを聞いた時に叫ぶ<Vittoria, vittoria!>は絶品で、胸がすくような高らかで輝かしい雄たけびをホールいっぱいに響き渡らせました。
第1幕の<たえなる調和>、第3幕の<星は光りぬ>といった聴かせどころもまずまずの出来で、これよりうまい歌唱を聴いたことはいくらでもありますが、とにかくその声そのものを聴く快感でなんとか押し切ってしまえるだけのパワーがあるので、あら捜しをしてもしようがない、と納得してしまうところがありました。
ライモンディも、この程度の役柄であればまだまだやれる、という感じで、悪魔的なスカルピアを公演していました。多少ネコ背になってジジむさい感じにはなっていますが、持ち前の端正な姿は「一見紳士風の好色な卑劣漢」というイメージをよく表しています。もともと、フィリッポやフィエスコなどの正統派バスの主役を歌っていたころから、このスカルピアやエスカミーリョのようなバリトン役もレコーディングしたりしていた人ではありますが、最近はむしろこちらの方を本業としているようで、プログラムにも堂々とバリトンと出ていました。
トスカを歌ったルーマニア出身のソプラノ、アディーナ・ニテスクも、典型的なリリコ・スピントの美声で、声の力強さと響きの豊かさは申し分ありません。容姿にも恵まれています。しかし、残念ながら、あれほど感動の薄い<歌に生き、愛に生き>を聴いたことはあまりありません。フレージングがぎこちなく、ブツブツと流れも途切れがちです。
特に問題なのは、最後のクライマックス「perche, perche, Signor,」のあとの「Ah!」を途中で切ってブレスを入れてしまったことです。この「Ah!」は、途中で音程が変わって2段階になっているのですが、当然流れるようにスラーをかけ音程が低くなった後半は声を絞るというのが伝統的な歌い方です。うまい歌手になると限りなくピアニシモに声を絞って長く響かせ、押さえたむせび泣きのようになるので、おのずから悲痛な心情が聴き手にひたひたと伝わり、思わず涙を抑えきれなくなるところです。
私にとってこの場面は、歌舞伎の「先代萩」で政岡がわが子の遺体を抱いて「でかしゃった」と言うシーンと並んで、しかるべき演者による上演であれば、ほとんどパブロフの犬の如くに涙をこぼしてしまうところなのですが、今回は全く涙腺が刺激されずに淡々と通り過ぎてしまいました。また、ニテスクは、演技の面でも、わかりやすい演出を目指すポンティッジャの指示に忠実に従ってはいるのでしょうが、個々の動作の意味を本人が自覚していないのか、あまり説得力のある動きになっていませんでした。
サンタ・マリア・デッラ・ヴァッレ教会クーポラ(岡本撮影)
そのポンティッジャ演出、ジート美術・衣裳のプロダクションは、プログラムの記述によると、オペラの普及を目指して若者を中心とした初心者にもわかりやすいオーソドックスな表現を目指した、とのこと。時代設定、装置、衣裳も台本に忠実なものですが、それでいながら単なるマンネリではなく、サンタ・マリア・デッラ・ヴァッレ教会の場面では祭壇上部の丸天井を見上げた形の絵が舞台奥の壁に描かれていたり、ファルネーゼ宮のスカルピアの部屋には木枠に入ったままの大理石彫刻などが無造作に置かれていたり(ローマ共和国が廃され教皇領が復活したばかりで、まだ引越し荷物が片付いていないという、当時のめまぐるしい政治状況を表している?)という具合に「独創性」を発揮した箇所もいくつも散見され、色彩も美しく、全体として好感の持てる舞台であったと思います。
ただし、幕切れのサンタンジェロ城、舞台奥に城壁があるのですが、高さ2mくらいあります。トスカはどこから登って身を投げることになるのだろうか、と思っていると、銃殺シーンの直前になって兵士たちが仮設階段(第1幕で画家の作業足場として使っていたもの)をごろごろ引っ張ってきて城壁にとりつけるのです。わざわざトスカの退路をその場で造ってみせるようで、とってつけた感は否めません。最初からそこに階段を置いておけば済む話なのに、なぜあのようなことをするのか、わけがわかりませんでした。
なお、外国歌劇場の引越し公演でも、子供の役は日本で調達されるのが普通です。今回、第1幕で登場する聖歌隊の少年たちを演じた東京少年少女合唱隊の子供たちは、よく訓練された歌唱だけでなく、演技もなかなか見事でした。
オトナのソプラノが「代役」をつとめるケースも多い第3幕冒頭の「牧童」の役も、この合唱隊のメンバーであるらしい大柄な女の子が歌いました。舞台の袖か裏で歌っているのに、例のオーケストラの音が喧しい3階席まで、きちんと声がとどいていました。カーテンコールには、この少女も制服姿で登場して喝采を浴びていましたが、なぜかプログラムには彼女の名前の記載がありません。分厚いカラー印刷の本プログラムだけでなく、当日配賦するチラシの配役表にもないのです。この役はれっきとしたソリストなのですから、名前を掲載しないのはおかしい、と思いました。そんなことはないと思いますが、もし、名前を出さないのが合唱隊か保護者側の意向であるのなら、その旨を記載すべきだと思います。
サンタ・マリア・デッラ・ヴァッレ教会(岡本撮影)