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MET来日公演《ランメルモールのルチア》を観て(2011年6月12日東京文化会館)

武田雅人

 待ちに待ったメトロポリタン歌劇場の来日公演を観ました。3月のフィレンツェ歌劇場公演が途中で中止になってしまって以来、久しぶりの本格的な海外歌劇場公演です。原発問題が収束しない中、主役クラスの来日メンバーに一部入れ替わりがあったものの、トップクラスのメンバーを揃えた豪華な引越し公演が本当に実現したのは、とても喜ばしいことです。関係者の努力は大変なものがあったことでしょう。
 その6月12日の《ランメルモールのルチア》公演は期待にたがわぬものでした。

ルチア:ディアーナ・ダムラウ
エドガルド:アレクセイ・ドルゴフ
エンリーコ:ジェリコ・ルチッチ
ライモンド:イルダール・アブドラザコフ
アリーサ:テオドラ・ハンスローヴァ
アルトゥーロ:マシュー・プレンク

指揮:ジャナンドレア・ノゼダ
演出:メアリー・ジマーマン
美術:ダニエル・オストリング
衣裳:マーラ・ブルーメンフェルド

 全てにおいて私が今までに観た《ルチア》の中でも最高レベルの公演でしたが、とりわけ素晴らしかったのは、主役のダムラウと指揮のノゼダであったと思います。ジマーマンのユニークな演出も強烈な印象を与えました。
 ジャナンドレア・ノゼダの指揮については、2009年2月にニューヨークでベスト・キャストの《イル・トロヴァトーレ》を聴いた時のヴェルディ演奏が生ぬるい出来だったので、ちょっと懸念していたのですが、この日のドニゼッティは文句なしでした。ベル・カント・オペラの方が体質に合っているのかも知れません。伸ばすところはたっぷり伸ばすルバート奏法は、非常に優美で情感にあふれ、引き締めるところは引き締めて、劇的な緊張を小気味よく煽りたてます。そうした様式感の確かな指揮に支えられて、ドイツ人のダムラウが、持ち前のテクニックを存分に発揮して正統的なベル・カント歌唱を聴かせてくれることができたのだと思います。

 さて、そのダムラウです。今最も注目されているコロラトゥーラ・ソプラノといっていいでしょう。その超高音や超絶技巧もさることながら、ピアニッシモの響きの美しさ、カンタービレの歌いまわしと間の取り方のうまさ、確かな演技力など、総合的にいって最高レベルのルチアでした。今回の公演が圧倒的な名演となったのには、上記のノゼダの指揮や、ジマーマンの雄弁な演出の力も大きく寄与しているはずですが、彼女の実力自体がこのジャンルで現役トップの位置にあることも確かであると思います。
 ただし、あまりにも総合的なパフォーマンスが眼も眩むようなものであっただけに、彼女の素の歌唱技術や声の力が、過去の名歌手と比べてどのあたりに位置づけられるのかは、正直言って評価しきれなかったという感じです。それだけ、今回の指揮も演出もそして彼女自身の演奏(演技)姿勢も、この作品を単なる華やかな技巧をひけらかすプリマドンナ・オペラとしてではなく、愛に執着する女の業と狂気に焦点をあてた夢幻的な美のドラマとしての表現を目指していたのだ、と思います。
 日本では「道成寺」や「班女」、「保名(これは男性ですが)」など、恋ゆえの執着と狂気を美としてとらえるのはお馴染みの世界でありますが、ベル・カント・オペラの狂乱シーンをここまでつきつめて演じるのは珍しいのではないか、と思います。

 こうなってくると、やはり、ジマーマンの演出のことに触れないわけにはいきません。まず、登場人物の衣裳や写真屋が登場するシーンをみると、ウォルター・スコットの原作では18世紀の初めとされている時代が、このプロダクションでは19世紀前半に置き換えられていることがわかります。原作の小説やオペラが作曲された時代ということになります。
 作曲と同時代への置き換えは、最近よく行われる手法です。「時代物」のドラマであっても、人物の思考や行動様式には原作者や作曲者の時代の考え方が反映されているはずだ、とみるのはひとつの考え方ですね(余談ですが、たとえば、真山青果の「元禄忠臣蔵」をチョン髷姿ではなく昭和10年くらいの衣裳で上演してみたら、あの理屈っぽいセリフがうまく合うかも知れません)。
 ヒロインのルチアを政略結婚の犠牲となる受身の女性というよりは、もっと積極的に愛に執着して物狂いになる女性ととらえると、産業革命も市民革命も既に起きており、ロマン主義が勃興している時代、しかしながらまだ女性はまだ旧来の因習にも囚われている時代としての19世紀前半というのは、背景として一番ぴったり来るようにも思われます。

 また、第1幕に泉のほとりでルチアが歌うアリアに出てくる女の亡霊の話をジマーマンは重視しており、実際に女の亡霊を登場させます。この亡霊は第2幕冒頭でもエンリーコの居室の奥にたたずんでいて、幕が上がるとともに静かに退場します。そして、第3幕の幕切れではルチア自身が亡霊となってエドガルドの前に現れ、エドガルドを自殺に誘います。生きている時のルチアが黒髪であるのに対し、亡霊となったルチアは、泉に出る女の幽霊と同じような金髪になっています。
 これらは何を意味するのでしょう。泉の女の霊がルチアに獲り憑き、ついには二人の恋人達を獲り殺してしまった、というのでは、どうも安っぽい怪談話になってしまいます。実際、そのようにとる人もあって、亡霊の登場にはニューヨークでも賛否両論があったようです。
 私は、最終幕の幕切れは、従来からなんとなく間がもたない、蛇足に近い場面だなと思っていました。通常のベル・カント・オペラのフィナーレの常識からいっても型破りです。プリマドンナが登場せず、エドガルドがほとんど一人舞台でアリアを歌いながら自殺をするだけだからです。ここに、ルチアの亡霊を登場させたのは画期的で、この場面の「蛇足」感を払拭し、エドガルドの死も、単なる「女々しい男の自殺」ではなく、ルチアの強烈な愛の対象であった男にとって当然の帰結である、と観客の腑に落ちるうまいやり方だ、と思いました。そして、前の場のルチアの狂乱の激しい表現とあわせてみると、女の執念の凄まじさも強烈に印象づけられます。

 それでは、この最終幕結末の伏線として、第1幕で泉の女の亡霊まで視覚化して登場させる必要があったのか、というと必ずしもそうではなさそうです。しかしながら、ルチアがあそこまで狂乱し、執念のかたまりとなるには、別の女の執念までも受け継ぐことによりエネルギーが蓄積増大していたのだ、とする方が、これもなんとなく腑に落ちる感じがします。
 それに、これはルチアというひとりの女の特異な例ではなく、女一般が持つ業とか性(さが)のドラマだと一般化するためには、泉の女の例も必要であった、といえるのかもしれません。演出家が女性であるからこそ、ここまで強烈な表現ができたのであって、もし男性がこのように演出したとすると、彼は奥さんやガールフレンドから口を聞いてもらえなくなるでしょうね。  

 というわけで、今回の舞台は、高水準の演奏に加えて演劇的な意味でも、総合的なインパクトが強烈な公演であったといえます。ただし、それがゆえに、音楽に集中できない場面もなきにしもあらずでした。
 たとえば、ルチアとアルトゥーロの結婚式にエドガルドが乱入して来て6重唱となる場面。写真屋が登場して、登場人物たちを次々とカメラの前に連れてきてポーズをとらせます。それ自体は面白いのですが、肝心のオペラ史上最も有名な6重唱が、写真屋の動きに気をとられているうちに、いつの間にかに終わってしまうのです。人物たちの動きが非常にうまく音楽にのって流れていくので、まるで音楽の方が「従」で、劇のバックグラウンドミュージックとして流れているかのようになってしまいました。

 エドガルド役は、キャンセルしたジョゼフ・カレーヤの代わりに急遽来日したドルゴフ。伸びと艶のある典型的なリリコの美声で、好演でした。姿もなかなかハンサムで、次世代のスターとしての花があります。ただし、私のエドガルドのイメージからすると、アルトゥーロとの対比もあるので、もう少し音色が暗めのテノールの方がよいような気はします。ジマーマン演出のコンセプト、女の執念に獲り殺される二枚目、というイメージにはぴったりでしたが。
 エンリーコのルチッチは、2008年のMETライブビューイング《マクベス》でタイトルロールを歌うのを聴いて以来、ナマで聴くのを楽しみにしていた歌手で、期待どおりの響きのよい声を聴くことができました。ハンサムではありませんが、この役にははまりです。高音がくぐもってしまうところもありますが、ヴェルディを歌わせても安心感のある立派な胸声を持っています。
 ライモンドのアブドラザコフは、この役にはもったいないくらいの本格的なバッソ・カンタンテ。2010年2月にニューヨークで聴いた《アッティラ》のタイトルロールでは、少し軽い感じもありましたが、もちろんこの役では、何の不足もありあません。スラブ系らしからぬ柔らかな美声とスタイリッシュな歌いぶりは、シェピ、スカンディウッツィに続くイタリアン・バス正統派の伝統を受け継ぐ主役バスの最右翼といえましょう。
 姉さん女房のオリガ・ボロディナは、喉の不調のため今回《ドン・カルロ》のエーボリを歌うのをキャンセルしましたが、たぶん一緒に来日しているのではないか、というのが低音好きの私の妻の意見。あれだけ美声で男っぷりもいい亭主を日本にひとりで行かせるのは心配に違いないから、というのですが...。

 ブランデーグラスなどの縁を濡らした指でこすると出てくるあの金属的な美しい響。グラスの中に水を入れて音程を調節したものをいくつも並べて演奏するのをグラス・ハープといいますが、それをベンジャミン・フランクリンがハードな楽器にしたて、アルモニカArmonicaと名づけました。グラス・ハーモニカとも呼ばれます。ゴブレットグラスを横に倒して直径のおおきものから小さいものへ順に並べたようなかたちで横串のシャフトで駆動し、指のかわりにグラスの方が回るしかけです。下に水がありいちいち指をぬらさなくてもこすれるようになっているようで、和音もひけます。名称未設定1.png
Tony Cenicola/The New York Times(2007年10月5日New York Times掲載記事より)

 上記はその楽器をMETのロビーで弾いている奏者のセシリア・ブラウアーの写真です。
 私は、ネトレプコ主演のDVDの狂乱の場の音を聴いて、METの《ルチア》公演ではこの楽器が使われているらしいと思っていたので、実物を見るのが楽しみで、第3幕が始まる前にわざわざ3階席からオーケストラボックスまで見に行ってみました。METの楽団員にとっても珍しいらしく、弦楽器の女性たちが興味深げに奏者のブラウアーに話しかけていました。
 ドニゼッティが1835年にナポリでこの作品を初演するとき、当初はこの楽器を使用するつもりでした。ところが、劇場側と奏者が契約のことで揉めた結果、アルモニカは使われないことになりドニゼッティは楽譜を書きなおしてフルートに演奏させることにした、とのことです。 METが2007年に新演出で《ルチア》を上演することにしたときに、この当初ドニゼッティが構想した響きを再現しよう、ということで、アルモニカの使用が決まったそうです。ブロアーはもともとピアニストで、METではチェレスタ(鉄琴の音がする鍵盤楽器)の奏者として30年以上ピットにはいっているベテランとのこと。(以上、ニューヨークタイムズの記事による)

 第3幕の狂乱の場では、背景に大きな青い満月が描かれ、舞台中央の半螺旋状の階段を白い花嫁衣裳を血で染めたルチアが降りてきます。その歌いだしの愛の思い出にひたるメロディーが、このアルモニカの天上的な、しかし少し神経症的でもある音で奏でられるのです。フルートよりもずっと印象的な場面になりました。
 有名なコロラトゥーラの速いパッセージの掛け合いがあるカデンツァの場面は、さすがにこのゆったりした響きの楽器では無理なのでフルートが担当していました。

 なお、今回、私の席は3階L2列5番(舞台寄り)(C席4万円)でした。見渡したところ、かなり空席がありました。特に、1階のサイドと後方はまとまって空いている席が多く、せっかくのすばらしい公演なのにもったいないな、と感じた次第です。
 なんといっても、若い人にはなかなか手が出せない価格レベルであることが大きいと思います。空席を出すくらいだったら、直前に大幅ディスカウントのチケットを大学生、高校生限定で放出する、くらいのことをしてもよいのではないかと思います。次世代のファンを作り出すためであったら、自腹を切って来ている旧来のオペラ・ファンも怒ることはないと思います。 
 今回、KDDIが冠スポンサーで、結構豪華なプログラムが無料で配布されていたのは非常によいことだと思いました(本場のMETでは、プログラムはもっと薄っぺらいものですが、常に無料です)。また、字幕の訳がこなれていてとてもレベルが高いと思いました。


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『メトロポリタン・オペラのすべて』著者 池原麻里子氏インタビュー へ進む





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