『ドン・カルロ』ゲネプロ (愛知県芸術劇場 6月2日)
メトロポリタン・オペラのピーター・ゲルブ総裁は、晩年のホロヴィッツのマネージャーをやっていて、吉田秀和が日本公演のときに朝日新聞に書いた酷評を翻訳して本人に見せて、手綱を締め直した人なんだそうです。その後、ソニークラシカルの社長をやって2006年から、メトロポリタンオペラの総裁をやっているらしい。
今日もゲネプロの間中ずっと、照明や細かいことに指示を出していました。幕間に「あなたはハードワーカーだと聞いたが、何でそんなに働くんですか?」と訊ねてみたら、「だって日本公演が成功しないと困るからね」と、さも当然そうに言われました。さすがビジネスマン出身だけあって、マメなことです。
『ドン・カルロ』は長大なオペラですが、とにかくMETと違って小さな愛知県芸術劇場の舞台に合わせるために、演出家は走り回って合唱団の位置を直しているし、指揮のファビオ・ルイージも歌手の声が聞こえるようにオーケストラの音量を細かく調整していました。
この演出は古いもので、現在のMETでは使われていないそうです。この日本公演の後、取り壊してしまうと聞きました。ですから初めてこのセットに乗った人もいるようで、合唱の立ち位置など戸惑っていました。そのために演奏は何度も中断し、ゲネプロが終了するまでに6時間弱を要しました。
これだけ長いオペラなのに、省略されることも多い第1幕もきちんとやっているのだから、長いはずです。でもゲルブ総裁に聞いてみたら、「最近はメジャーな歌劇場ではみんな一幕もやっているよ」との返事でした(てゆーか、こんなことを総裁に聞いていていいのでしょうか?)
このオペラは、最盛期のスペインを舞台として、フリードリッヒ・シラーが書いた戯曲を元にして作られたもので、ですから絶対王政と、自由主義の対立といったやや啓蒙主義的な味付けもありつつ、国家のために引き裂かれる男女の義理と人情の板挟みや、宗教と王権の対立などの要素をてんこ盛りに盛り込んだ、きわめて内容の濃いオペラです。
そしてとにかく深刻です。第一幕の中盤以降は、すべての登場人物が現実に満足せず悩んでいます。つまりとってもヴェルディの世界です。
幕が開くと、巨大な王家の紋章が描かれていて、ロイヤルオペラかと思ってしまいますが(スペインハプスブルクの正しい紋章かどうか知りませんが)、第1幕の幕が下りるときには、これが主人公の2人の運命の上に重しとしてのしかかっている国家の重みを暗示するするものとなりますし、その後の幕で新たに登場する人物の上に覆いかぶさる、世界を支配する巨大国家の重さを表すものになります。
とにかく複雑で深刻な内容を、この脚本は見事に整理していて、主要な登場人物が順序よく登場するので、とても親切だと思います。
まず最初に登場するのが、主人公のドン・カルロとエリザベッタで、ドン・カルロは当代最高のテノールと人気の高いヨナス・カウフマンが歌う予定だったのですが、ヨンフン・リーへ変更されました。この人はこの日の朝にローマから名古屋に着いたばかりなので、本日のゲネプロは代役の代役の人でした。「歌手は大事にしなくちゃ」とゲルプ総裁は言っていました。
ですから、この韓国人がカウフマンの代役にふさわしい人なのか、人物の小さいドン・カルロに似合っている人なのかどうかは私にはわかりませんが、エリザベッタのマリーナ・ポプラフスカヤは張りのある歌声で素晴らしかったですよ。本来のキャスティングでこの役を歌うはずだったバルバラ・フリットリは「ラ・ボエーム」のミミに回ったので、客席でポプラフスカヤが歌うのを聞いていました。
第2幕では、ロドリーゴの ディミトリ・ホロストフスキーが登場します。こちらはまさに、武人上がりの気が強くて有能な忠臣という感じでこの人の当たり役です。いいですね〜。でも歳とりませんか?
この人とカウフマンの二重唱は夢の共演だったでしょうが、残念なことです。
第2幕第2場ではエボリ公女のエカテリーナ・グバノワと、国王フィリッポ2世のルネ・パーペが登場(実はこの日はすごい二日酔で、ホロストロフスキーに諫められたらしい)。後半でディミトリ君との低音の二重唱でしびれさせてくれます。
第3幕第2場の火刑場での4重唱も盛り上がります。いいですねえベルディですねえ。
さらに第4幕第1場では、国王の見事なアリアの後に大審問官のステファン・コーツァンが登場。この人イイ! ずいぶん若いらしいですが。
そういう実力のあるソリストと、合唱の掛け合いで、お腹いっぱいになるオペラです。確かにカウフマンならなおさらよかったでしょうが、わたしはこれで満腹ですね。
あと、なんかみんな演技がうまいですね。第2幕第1場、サン・ジュスト修道院で、国王夫妻が入場してきたときのエリザベッタの表情だけで、冷え切った夫婦関係がうまく表現されているように思いました。悩む演技ってかんたんなのかなあ。まったくもって豪華な衣装も見所です。
そういうわけで、座って聞いていただけで疲れて、ゲルブ総裁に挨拶して帰りました。METの引っ越し公演のホールからうちまで地下鉄2駅で20分以内で着くというのはいかがなものか……。
メトロポリタンオペラ2011年日本公演 『ラ・ボエーム』ゲネプロ (愛知県芸術劇場 6月1日)
今回、さまざまな理由でキャストに大幅変更があったメトロポリタンオペラ2011年日本公演、まさか私が最初のレビューを書くことになると思いませんでした。行ってきました、愛知県芸術劇場ゲネプロ。
いやあ〜、素晴らしかったです。
私が一番印象に残ったのは、ファビオ・ルイージの指揮ぶりです。とても繊細で、テンポも自由に動かして、美しいメロディラインを盛り上げるだけ盛り上げていました。『ラ・ボエーム』はそういうのがとてもいいと思います。かなり楽しめました。
歌手も指揮に乗って気持ちよく歌っているように見えました。ミミは当代随一の人気ソプラノ、 アンナ・ネトレプコ からバルバラ・フリットリへ変更になりましたが、フリットリもとっても日本にファンが多い歌い手だそうで、素晴らしい表現力豊かな歌唱を見せてもらいました。風采が美しいのもいいですよね。前回ドレスデンで見たミミは、黒人のビア樽みたいなおばさんで、とうてい死にそうに見えなかったので、今回はとても安心して見られました。人様のことは言えませんが、体形だけでいうと今のネトレプコ よりもミミっぽいのではないでしょうか。特に第3幕の、雪の中の4重唱は、ルイージの指揮によって素晴らしく濃密な音楽を作っていたと思います。
ロドルフォの ピョートル・ベチャワも申し分なかったです。てゆーか、この人の「ルチア」を4カ月前にウィーンで聞いたような。東京でもやるんですね。あと4幕の、哲学者の「古い外套よ」も、思わず聞き惚れてしまいました。
演出はおなじみのゼッフィレルリ演出で、実に完成された演出です。私はウィーンで見ましたが、愛知県芸術劇場はとても舞台が小さく、特に第2幕はかなり苦労してセットを舞台の上に載せているようでした。二階建てなんてとんでもない話です。
ムゼッタが馬車に乗って登場するのですが、馬がセットを引っかけて壊してしまったらしく、舞台が中断していました。それを見ていた裏方さんが、私のすぐ後ろからわめき散らしながら通路を舞台のほうに駆けていって、思わず笑ってしまった。この幕のムゼッタはかなり重い衣装を着ているので、待っているのも大変だろうなあと思いました。
まあそれにしても、さすがMETと思わせる水準で、かなーり満足できました。
幕間にMET在日代表の井上さんが「紹介しようか」と言ってくれたので、「どこかで見たハゲだな」と思ってたら、MET総裁のピーター・ゲルブでした。ライブ・ビューイングに出てきますからね。名古屋くんだりまで来て、全部ゲネプロを見てスタッフと打ち合わせしてるのには驚きました。そこで「奥さんが指揮するトスカを1月にウィーンで見た」と井上さんに伝えてもらったら、「どうだったか」と聞かれたので、私も大人ですので「すばらしかった」と一応言っておきました。
誠実な人柄とプロ根性を見せてもらいました。これが世界のMETのトップか・・・
METを観たら、METを読もう!
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