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ボローニャ歌劇場来日公演(2011年)《エルナーニ》(9月18日、東京文化会館)

武田雅人

 ボローニャ来日公演で、キャスト変更が一番少なかった演目、しかも、当初予定されていたテノールのサルバトーレ・リチートラは亡くなってしまったのだから、他の歌手たちのキャンセルとは事情が違います。その意味で、この日の東京文化会館は前日の《清教徒》の時のようなピリピリとした雰囲気はなく、開幕前に挨拶に現れたエルナーニ総裁も、心なしかリラックスしている感じでした。
 そして、冒頭でいきなり、そのリチートラの代わりにやって来たロベルト・アロニカのアリアがあります。少し音色にざらつきが感じられたもののリチートラと遜色ない力強いスピント声を響かせて堂々たる歌唱、無難に歌いきりました。これでますます会場は落ち着いた感じとなり、前日のベッリーニの「優美」とはまったく違うヴェルディの「熱気」の世界に入っていきました。アロニカを私は、2007年ヴェローナ《ラ・トラヴィアータ》のアルフレードで聴いています。その時は、いかにもアルフレードを歌うリリコの美声という印象しか残っていませんでしたが、今回はずいぶん力強いテノールに変身していました。

 そのあと、今度は主役ソプラノが登場してすぐに名アリアを歌う場面になります。考えてみたらヴェルディは歌手にとってはずいぶん過酷なスタートを強いる曲を書いたものです。この<Ernani!Ernani, involami...>は、私がもっとも好きなソプラノのアリアのひとつです。ヴェルディ大好き人間の私ですが、上演回数の少ないこの作品をナマで聴くのはこれが初めて。
 それだけに、ディミトラ・テオドッシュウがこのアリアを歌うのを聴くのをとても楽しみにしていました。テオドッシュウは、これまでにも何度も来日公演を聴いており、力強さとアジリタ技術の両方が必要なヴェルディ初期のヒロインをきちんと歌える数少ない現役ソプラノのひとりであることがわかっていたからです。結果としては、悪くはないのですが、やはりまだ喉が温まっていなかったのか、テオドッシュウの声にはいつもの力強さと切れが十分には感じられませんでした。
 また、これはプログラムのインタビュー記事の中で彼女自身が語っていたことですが、エルヴィーラの音楽は「音域として高くも低くもないのに、実は声帯をもっとも酷使する部分が長く続くのです。」と言っていることです。このため、全体のペース配分を考えて最初は抑え気味でスタートした、ということなのかもしれません。
 前半のテンポも、このアリアの演奏としては通常のテンポよりも速い感じがしましたが、同じプログラムのインタビュー記事の中で、故リチートラが、「マエストロ・パルンボは、歌手の状態を非常によく把握している指揮者で、こちらの声が一瞬でも出しづらそうに響いたなら、すぐさまアップテンポに持っていってくれる」と語っているので、あるいは、そうした事情があったのかもしれません。
 また同じ記事の中で彼女は、「このアリアの後半部分の楽譜にはスタッカートが実に多いのですが、その表現方法が今風ではないのか、私が共演するマエストロたちはあまりこのスタカートを聴きたがらず、レガートで歌うように求められることが多い」ということを言っています。しかし、この日の彼女は、マエストロ・・パルンボと折り合いがついたのか、これらのスタッカートをかなり丁寧に歌っていたように思います。それが、ふたん聴きなれた過去の名ソプラノたちの録音の演奏スタイルとかなり違って聴こえて、私にはすこし違和感となったのかもしれません。

 もともと《エルナニ》の原作を書いたヴィクトル・ユーゴーの意図は、当時のフランス王シャルル10世に対するあてつけのために、フランス王フランソワ1世のライバルであった神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロ1世)の名君ぶりを描くことにあったのだといいます。オペラにおいても、実は国王ドン・カルロにアリアがふたつ与えられ(他の主役はひとつずつ)たうえ、コンチェルタートでも重要な役割をしめています。バリトンを重視するヴェルディの作品の中でも異例といっていい地位をこのオペラのドン・カルロ役は占めているのです。

 ロベルト・フロンターリは、《セヴィリアの理髪師》のフィガロなど軽めの役から出発して次第にヴェルディの重い役を歌うようになる、というレオ・ヌッチなどと同じようなキャリア作りをしてきたバリトンです。そして今、このヴェルディ・バリトンの中でも格別に重みのある役を堂々と歌いこなせる域に達していることがよくわかる演奏でした。
 カーテンコールで観客の拍手喝采が一番大きかったのが、ドン・シルヴァ役を演じたフェルッチョ・フルラネットでした。現役歌手としてはこの作品を上演するベストキャストといっていい顔ぶれの中でも、ヴェルディのオペラに登場してきたキャリアの差でしょうか、やはり存在感は図抜けていました。1949年生まれの62歳という実年齢が、この役のイメージによく合っているということもあります。持ち前の通りのよい低音を朗々と響かせながらも、老いた男の頑なさと、そうならざるを得ない怒りと哀しみを、うまく表現していたと思います。

 上述したように、私が《エルナーニ》の上演をナマで聴くのはこれが初めてですが、デル・モナコ、コレッリ、ベルゴンツィ、バスティアニーニ、カップッチッリ、シェーピ、クリストフら、綺羅星のごとき昔の名歌手たちが歌うこの作品のライブ録音は何度も繰り返して聴いてきています。
 そのため、どうしても現役歌手たちには点が辛くなってしまいますが、それでもナマで聴くこの作品は、想像以上に素晴らしく、私が大好きなヴェルディ作品の血沸き肉踊るような熱気に興奮し、骨太なカンタービレの美しさを存分に楽しむことができました。それは、やはり、指揮者のレナート・パルンボの力によるところが大きかった、と思います。
 10年前に藤原オペラの《マクベス》を聴いたときにも感じたことですが、パルンボの指揮は、煽り立てるところはなりふりかまわず煽り立て、ヴェルディ作品の特質であるコンチェルタートの面白さを堪能させてくれるのです。そして、上述の歌手たちの証言にあったように、歌手の生理をよく理解したテンポの設定、テキストとスコアをよく読みこんだ解釈のたしかさ、など、オペラ指揮者としてのたしかな腕をもった音楽家だということがよくわかりました。

 ベッペ・デ・トマージ演出、フランチェスコ・ジート美術・衣裳、ダニエーレ・・ナルディ照明による舞台は、非常にオーソドックスでわかりやすいものでした。紗幕の使用や、フランドル派絵画のような光の当て方など、「西洋時代絵巻」を思わせるような手法は、既に使い古された手法ではありましょうが、安心感があります。
 ただ、昨日の《清教徒》ほどではないとしても、合唱団の動きが少なく、静止画のように扱うのは、無難ではあるものの少し物足りないようにも感じました。また、最終幕冒頭の合唱では、結婚披露宴に呼ばれた客人や廷臣たちが全員仮面をつけて登場し紗幕の向こう側で歌うという演出は、悲劇的な結末を予感させるためのものなのでしょうが、それまでの台本に忠実なオーソドックス演出方針とは違和感があり、ここだけ演出家の「意図」を出してしまい、しかもそれがあまりにもわかりやすい子供だましのような稚拙さを感じさせるものになってしまっていたのは、ちょっと残念なことでした。

 2つの公演を聴いて

 私は《カルメン》のチケットは買わなかったので、今回のボローニャ来日公演はこれで終わりです。カウフマンのキャンセルにより雪崩を打つように相次いだキャンセルに翻弄された公演でしたが、終わってみれば、期待どおりの楽しみは十分味わうことができました。
 主催者側も、通常は有料になる立派なプログラムを来場者全員に配布し、プログラム引換券を配っていたお客には別におみやげを用意するなど、大変な気の使いようでした。

 同じような状況になった6月のMET公演では、世界の三大ハウスの面目にかけて、スターにはスターの代役を呼んでくるという対処のしかたで、日本のファンをさすがとうならせたものですが、今回はそれとは違う、まだ日本には無名の適材を掘り出してくるというやり方で、伝統ある欧州の中堅ハウスとしての意地をみせてくれた、と思います。
 さて、バイエルンの評価はどうなりますか。 





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