二期会の公演を久しぶりに聴きました。
昨年相次いだ海外の有名ハウスの引越し公演、そして11月にニューヨークでグレギーナ主演の《ナブッコ》を聴いた後でしたから、正直あまり期待していなかったのですが、驚きました。S席18,000円は絶対値としては決して安い金額ではありませんが、引越し公演のチケット代に比べれば3~4分の1です。それでこれだけの水準の演奏を聴くことができたのですから、コストパフォーマンスが高い結果でした。
話題の「超新星」、24歳の指揮者バッティストーニが期待どおりであっただけでなく、ほぼ「国産」(一部アジア産)のソリスト・・合唱の出来も、イタリアで何度もこのオペラを聴いている私にとって満足度の高いものだったのです。
指揮:アンドレア・バッティストーニ
演出:ダニエレ・アバド(補:ボリス・ステッカ)
美術・衣裳:ルイージ・ペレーゴ
オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団
ナブッコ:上江隼人
ザッカリア:ジョン・ハオ
アビガイッレ:板波利加
イズマエーレ:松村英行
フェネーナ:中島郁子
アンナ:江口順子
アブダッロ:塚田裕之
ベルの祭司長:境信博
バッティストーニは、ベルカント・オペラや古典を得意とするガブリエーレ・フェッロに師事したとのことでしたので、バランス重視の精緻な演奏をするタイプではないかと思っていたのですが、ヴェルディに必要な熱気を十分に表現できる指揮者でした。
一方で、あまりあからさまなルバートはせず、インテンポでスタイリッシュにまとめる傾向が強いのですが、そのインテンポにぐいぐい引っ張る力があるところが「トスカニーニの再来」といわれる所以かもしれません(チェリスト出身であること、暗譜で指揮するところなども「巨匠」と共通しますが)。
一言で言えば「熱いけれどもクール」とでもいいましょうか。聴きどころのひとつ、第3幕のヘブライ人奴隷の合唱<Va pensiero...(ゆけ、わが思いよ、黄金の翼に乗って)>も速めのテンポでさらりと走り、この曲が持つメロディーラインの美しさと実質8分の12拍子の流れるような抒情をきちんと表現することを重視した演奏でした。
しかしながら、私の個人的な好みからいうと、もう少しテンポを揺らしたり(たとえば<Oh mia patria>のOhでルバートする)、ダイナミズムをつけたり(たとえば<perche muta dal salice pendi?>で指示どおりにはっきりsotto voceで歌わせる)するケレン味のある演奏であってほしい、とも思います。
なお、<Va pensiero>は「お約束」のアンコールが行われ、1回目は合唱が舞台中央に密集した状態、2回目は舞台全体に広がった状態で歌われました。スカラ座ばりに最後のピアニシモをオケの音が消えたあとも引っ張る余韻が美しく、どちらもすばらしい出来でしたが、やはり後者の方がより感動的だったように思えます。
歌手陣は、意外にもといっては失礼ですが、私好みの重い声の持ち主が多く、楽しめました。特に、ソプラノの板波利加とテノールの松村英行は、それぞれメッゾおよびバリトンから声域をあげた経歴があり日本人離れしたドラマティックな響きの声。そして、特に良かったのが、中国出身のバス、ジョン・ハオ。これはどこでも通用する本物のバッソ・カンタンテで、上述のMET公演でカルロ・・コロンバーラが四苦八苦していたEやFの高音もびしっと決めてくれました。メッゾの中嶋郁子も明るめの声ながら良く響いていました。
声の重さという点で多少問題があったのが題名役の上江隼人。4人の重量級を向こうに回して王者の貫禄を示すには少しパワー不足。特に第1幕の登場場面からフィナーレのコンチェルタートにかけてはひとりだけメリ込んだ印象がありました。しかしながら、様式感の確かさ、イタリア語のディクションや歌唱技術は申し分なく、後半の雷に打たれてからのショボクレかたはブルソン並みで、うまさは際立っていたと思います。
板波利加は上述のとおり声の重さは申し分ないのですが、第1幕ではまだ喉が温まっていなかったのかアジリタが不器用な出来。この種の声にありがちなことなので仕方がないと思っていましたが、第2幕以降はそこそこ敏捷性も発揮、悪くなかったと思います。
ダブルキャストを組んでいる若手の岡田昌子の方は、写真でみる限り容姿が良く、師匠の林康子からアビガイッレにぴったりというお墨付きをもらっているということですから、さらに期待が持てるかもしれません。日本人でもヴェルディのヒロインができる人がこれだけ出てきたのはよろこばしいことだと思います。
とにかくソリスト全員にいえることは、顔はともかくとして声だけ聴いているとイタリア語のディクションや様式感をふくめてまったく違和感がなく、本場のイタリア人歌手と比べても遜色がないということです。この顔ぶれで《マクベス》や《アッティラ》も聴いてみたいものです。
それにしても、これだけ「国産」のレベルがあがっているのに、どうして新国立があれほど「外タレ」にこだわるのか全く理解できない、という思いを改めて持ちました。
プロダクションはパルマのテアトロ・レージョから借りてきたもので、演出のダニエレ・アバドは、あのクラウディオ・アバドの息子とのこと。
ジャンカルロ・デルモナコと同じように親の七光りで演出をさせてもらっているのでは、という感じで、特に音楽の邪魔にはならないものの、才気も感じられません。
特にいただけないのは衣裳で、主役級は旧約聖書時代の格好をしているのに、合唱団は現代のユダヤ人の姿。しかもヘブライの民の時はまだいいものの、バビロニアの人々や兵士の役で出るときも男性はそのまま黒い背広に白いシャツ、頭にはキッパ(丸帽)や黒い山高帽を載せ、タッリート(ユダヤ教の礼拝用房つきショール)をはおったままなのです。無宗教の日本人にはわからないのかもしれませんが、まさにミソもクソも一緒、ニューヨークでこんな演出をしたら大変なブーイングな出そうな無神経さです。パルマではまさかここまでひどいやり方はしていないと思うのですが、どうだったのか気になります。
この公演のプログラムの中では、加藤浩子さんと香原斗志さんが、この作品をリゾルジメント(イタリア独立運動)に火をつけた愛国オペラとしてとらえる従来からの通説に異を唱え、ヒットしたのはこの作品そのもの力によるものだという考えを述べておられます。従来から私もそう思っていたので、わが意を得たり、と感じました。