レオ・ヌッチの「デビュー45周年記念」と銘打った来日リサイタルは、東京公演が11月14日の水曜日にあたってしまったので、日曜に行われる大阪公演の方を聴きに行ってきました。帰りの新幹線の中で、早速この感想文を書いています。
サンケイホールブリーゼは、変貌著しい大阪駅前、西梅田の複合ビル、ブリーゼタワーの7階にあります。)壁面が黒いシューボックスタイプで、客席は2層で912席。交通至便で、ビル内にはショッピングモールと飲食店も同居しており、便利な施設です。
リサイタルは、とにかく70歳とは思えないヌッチの強靱な声のパワーとスタミナ、それにショーマンシップに脱帽、大阪まで聴きにいった甲斐があるものでした。
前半のプログラムは歌曲で、ヴェルディの<詩人の祈り><ああ優しい人よ><嘆きの聖母よ>、トスティの<私は死にたい><君なんかもう><魅惑><マレキアーレ>の7曲が歌われました(加藤浩子さんのブログによると、今回のヴェルディの歌曲は非常に珍しいもので本邦初演、3曲目にいたっては世界初演だそうです)。
間に2回、声を休めるために、ヴェルディとトスティの曲をピアノのパオロ・マスカリーニが編曲したものが器楽のみで演奏されました。
後半は全てヴェルディのオペラのアリア。《二人のフォスカリ》《ドン・カルロ》《ラ・トラヴィアータ》《仮面舞踏会》《エルナニ》から、まさにばりばりのヴェルディバリトンのアリアばかり5曲、これも間に2回、ヴェルディ・オペラを編曲したインスゥルメンタルを挟んで演奏されました。
そして、アンコールは、《リゴレット》の<悪魔め、鬼め>、ブッチ=ベッチャ作曲<ロリータ(スペインのセレナーデ)>、《イル・トロヴァトーレ》の<君のほほえみ>、デ・クルティスの<忘れな草>、ナポリ民謡<オー・ソレ・ミオ>の5曲という大サービス。よほど調子も良かったのでしょう。最後まで声は衰えることがありませんでした。
伴奏がちょっと変わっていて、イタリアン・チェンバー・クィンテットというピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ハープの五重奏団。オペラアリアでは、ピアノ単独の伴奏よりずっといい雰囲気が出ていましたが、トスティの歌曲には、少し違和感がありました。
もともと私は、トスティの歌曲をオケ伴にするのが好きではありません。シューベルトの歌曲をオケ伴で歌う歌手はあまりいないのに、どうしてなのだろうか、と思ってしまいます。今回は、室内楽であって、フルオーケストラではないのですが、やはりピアノ伴奏のような親密なインタープレイがないように感じます。
ヌッチが右手で指揮をするような仕草で歌うのも気になりました(あとで聞くところによると、この形式をとるのはこの大阪公演が初めてで、今後世界中のリサイタルで実施していくのだとのこと。まだ、十分に呼吸があう段階ではなかったのかもしれません)。そのために、もっとカンタービレで流れるように歌われるべきところが、テンポの刻みが強調されて、極端に言えばマーチのように感じられたのです。
ただし、問題は、伴奏の形態だけにあるわけではないようです。ヌッチの演奏スタイルそのものが、オペラチックすぎて、歌曲にはあっていないのかも知れません。感情表現が大ぶりで、曲の終わりをオクターヴ上げて思いきり声を張ったりします。
同じヴェルディバリトンであっても、カップッチッリやブルソンが歌うトスティには、もっとしみじみとした味わいがあったものです。この3人の中では、ヌッチが一番技巧派というイメージがあるのに、意外な結果でした。ただし、これはトスティの歌曲に対する私の個人的な思い入れや好みによる印象です。ヌッチのワンマンショーを聴きにきたお客にとっては十分に楽しめる演奏であったことは間違いありません。
オペラアリアの方は、もう、このエンジン全開の歌いっぷりがはまり、会場全体が興奮に包まれました。通常アリアだけを歌う場合、オペラ公演の時とは違って、それぞれの役や状況にどれだけ気持ちを入れられるかという点が難しいところだと思われますが、ヌッチの場合は、それぞれの役を完全に自家薬籠中のものにしているため、歌いだすとすぐにそのオペラのシーンが眼前に現れます。
ただし、一方では、指揮者や共演者がいないだけに「やりたい放題」という面もなきにしもあらずで、これは私の好みの問題かもしれませんが、ヴェルディのバリトン諸役に要求される「耐える男の美学」を表現するスタイリッシュで抑制的な歌唱スタイルからは多少逸脱していたような感じもしました。フォスカリ、ジェルモン、リゴレットなど父親系の役が良く、カルロ一世、ルーナ伯爵のような恋敵系では少し物足りなさを感じるのは、年齢の問題だけでなく、そうした彼の歌唱スタイルが関係しているのかもしれません。
しかしながら、どちらかというと後者(恋敵系)の役どころであるロドリーゴとレナートは、声のパワーとあざといばかりの演技、表現がうまくマッチしていて、見事であったと思います。
プログラムには彼のおはこである《リゴレット》の記載がなかったので、アンコールでやってくれるだろう、と思っていたら案の定で、やはりこの<悪魔め、鬼め>が絶品でした。
前半の怒りの表現と後半の哀願、嘆きの声、表現のコントラストなど、やはりこの人以上のリゴレットはいないという気がします。以前から私は、リゴレットという役を「ヴェルディ・バリトンの交差点」とみなしています。「恋敵系」が得意なエットレ・バスティアニーニ系と「父親系」が得意なカップッチッリ系のどちらもが名録音を残している中で、この役に限っては、ヌッチにとどめを刺すのではないでしょうか。
1981年9月スカラ来日公演で《セヴィリアの理髪師》のフィガロを颯爽と歌うヌッチを聴いて以来、私の中ではそのイメージがずっと強く、ヴェルディ・バリトンといえば当時全盛のカップッチッリとブルソンしか思い浮かばなかったのですが、その後1991年7月にヴェローナで《リゴレット》を聴いて、いつのまにかヴェルディ歌いに変貌したヌッチを知るいたりました。そして、1993年6月ののボローニャ来日公演シャイー指揮の《リゴレット》でのヌッチは圧倒的で、上記のように「極め付き」というな感想を持つにいたり、今日に至っています。
その後、ヴェローナ、ミラノそして数々の来日公演で聴いた他のヴェルディ諸役もそれぞれに見事でしたが、私が聴いた彼のベストは2004年ヴェローナでのリゴレット。第2幕フィナーレのジルダ(エレーナ・モシュク)との二重唱後半部をアンコールしてくれたことが忘れられません。今回のアンコールで歌われた<Non ti scordar di me…É(私を忘れないで)>を聴きながら、そんなことを想い出していました。
アレーナの舞台袖の石段を駆け上がって聴衆と握手しまくったあの時も、そして今回も、彼はエネルギッシュで、サービス精神にあふれ、芸術家ぶらない大歌手でした。本当に聴く者をハッピーな気分にしてくれる人だと思います。
なお、アンコールの最後の2曲<Non ti scordar di me>と<O sole mio>では、終わりのリフレインの部分でヌッチが手を耳に当てて客席にも歌えと促し、客席からもそれに応えて歌声が起こりました。もちろん私も歌ってしまいましたが、男女半々くらいの客席から聞こえてくるのは殆どが女声でした。終演後の出口へ向かう人の波の中から歓声が起こったので、そちらを見ると、イタリア人のおばさんがにこにこしながら「Si, son sua moglie…É(ええ、彼の妻よ)」と言っていました。ヌッチ夫人も気さくで暖かい人のようです。