ワレリー・ゲルギエフが率いるマリインスキー劇場管弦楽団公演が、11月8日から18日にかけて、南は熊本から北は札幌まで日本各地で行われています。11日間に10回の公演というタフなスケジュールで、全ての公演をゲルギエフが振るとのこと。現代有数のカリスマ指揮者である彼が目玉の公演ですから、当然といえば当然ですが、その超人的なスタミナには毎度のことながら驚かされます。
ひと世代前のカリスマ指揮者、カルロス・クライバーなどが聞いたら目を回しそうですが、呼び屋さんにとっては何ともありがたい存在に違いありません。
今回のツアーでオペラの演奏はこの1日のみ。しかも、今を時めくナタリー・デセイが主演ですから、サントリーホールは満員の盛況でした。
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
管弦楽:マリインスキー歌劇場管弦楽団
合唱:新国立劇場合唱団
グラス・ハーモニカ:サッシャ・レッカート
ルチア:ナタリー・デセイ
エドガルド:エフゲニー・アキーモフ
エンリーコ:ウラジスラフ・スリムスキー
ライモンド:イリヤ・バンニク
アルトゥーロ:ディミトリー・ヴォロバエフ
ノルマンノ:水口聡
アリーサ:ジャンナ・ドムブロスカヤ
最近世界の主要歌劇場での活躍が目ざましいデセイですが、私がナマで聴くのはこれが初めてです。第一印象は、リリコ・レッジェロ系のソプラノとしては普通の声だな、という感じでした。サントリーホールという響きのよい場所でありながら、グルベローヴァのように声そのものが華やかに広がるわけでもなく、デヴィーアの直進性や、セッラの透明感のような個性のある存在感は感じません。
それでも、テクニックや表現力はこれら先輩歌手たちにひけをとるものではなく、アクート(超高音)が抜群の安定感をもち、衣裳をつけた本舞台では演技力という武器も加わることを考えると、メジャーな舞台で重用されていることは納得できます。
ただし、昨年のMET来日公演で聴いたディアナ・ダムラウのルチアと比べると、いささか地味な印象は否めませんでした。もちろんダムラウの方は、衣裳をつけた本舞台で、ジマーマンの個性的な演出に助けられていた、という面もあるとは思います。
今回の公演の「狂乱の場」は、METの時のような「狂気」と「女の執念」に特別の焦点をあてた演奏ではなく、オーソドックスなプリマドンナ・オペラのそれでした。
その中で、ひときわ印象に残ったのが、サッシャ・レッカートによるグラス・ハーモニカの演奏です。演奏会形式なので、舞台の最前列で演奏している様子がよく見えたのですが、MET公演で使用されたベンジャミン・フランクリン考案のグラスを横に重ねて電動式のシャフトが回る「アルモニカ」とは異なり、タテ型のガラスの筒がマリンバの共鳴管のような形で並んでいて、奏者は上面のグラスの縁を水をつけた指でこすって音を出します。
METの公演では、ゆっくりしたメロディーの箇所のみアルモニカで演奏し、ソプラノと掛け合いになる速いパッセージのカデンツァはフルートが担当していましたが、レッカートの場合は、驚いたことに速いパッセージも目まぐるしく手を動かして全部弾いてしまうのでした。フルートさんは出番なし、です。
タテ型の楽器のは、グラスが3列に並んでいて密集度が高いので、1列のヨコ型よりも対応はしやすいのかもしれませんが、それにしても見事な手さばきでした。
レッカートの楽器MET使用のアルモニカ
ドニゼッティが初演で意図した(実際には劇場側と奏者の契約問題がこじれてフルートに置き換えられた)グラスハーモニカの演奏形態はどちらだったのかわかりませんが、ガラスが振動するクリアながら少しピリピリとした神経症的な音色が、狂気の場面にはよく合います。
デセイ以外のソリストは、水口をのぞくと全て旧ソ連圏出身でマリインスキー劇場で育てられた歌手たちですが、これまでの同劇場来日公演に出演したソリストたちに比べると少し小粒であるように感じました。演奏会形式の場合は、オケも同じ舞台の上で演奏するため、どうしても音量的に歌手が非力にみえてしまうということもあったかもしれません。
エドガルド役のテノールはプログラムに掲載されていたセミシュクールが体調不良で来日中止となり、急きょ代役となったアキーモフ。1996年からマリインスキー劇場のソリストをつとめているというから既に中堅というべき歌手。パヴァロッティ並みの巨体に似あわぬレッジェロの優しい声で、張るところでは結構声量もあるようなのですが、歌い方がひたすら柔らかく、有名な6重唱の場面などではいかにも逞しさが足りず、物足りない気がしました。最終幕のアリアは悪くなかったと思います。
バリトンのスリムスキーは様式感も確かで声もまずまず力強いものを持っていて、第1幕冒頭のアリアなどはなかなか聴かせてくれましたが、6重唱の歌い出しはアキーモフに合わせたのか、やはり怒っているようには見えない優美な歌い方。もしかしたら、ゲルギエフの指示なのかもしれませんが、いくらベル・カントであるからといって、結婚式に彼氏が乱入する場面をあのように優しく始めるのは私の好みには合いません。
フィナーレのストレッタではぐっと白熱して煽り立てたゲルギエフの指揮ぶりや、ルチアの歌が加わってからは徐々に緊張感が高まったことから判断すると、指揮者の指示というよりもやはり歌手の資質によるものだったのでしょう。
ゲルギエフの指揮は、さすがです。定評あるロシアものはもちろんのこと、イタリアものも、これまでヴェルディ、ロッシーニなどを聴いてきましたが、今度はドニゼッティ。本当に何を振らせてもうまい、といえます。特に上述した第2幕フィナーレの部分などは、ドニゼッティの中でも最上の音楽を堪能させてくれ、興奮することができました。
しかしながら、全体としては、心なしか、手兵のオケのわりには、いつもの異常なほどの緊張感と切れ味がなかったようにも感じられます。もしかすると、大分、熊本、大阪、福井と休みなしに転戦してきた疲れもあるのかもしれません。
最初はノーバトンで振っているのかと思いましたが、よく見るとボールペンより短いくらいの小さいタクトを右手の人差し指と親指でつまんでいます。それにより細かい表情を指示しているのでしょう、他の3本指がひらひら動くので、10本指で振っているかのように見えたのでした。