武田 ヴェルディは、一般常識はあった人だと思います。
加藤 相当性格は悪いと思うけど。
武田 加藤先生が行かれたカーサ・ヴェルディに、彼の墓があるんだけれど、ジュゼッピーナ・・ストレッポーニとヴェルディの墓が並んでいて、その向かいにちゃんと最初の妻であったマルゲリータの墓も、テレーザ・・ストルツの墓もあるわけですよ。イタリア人はそういうところは粋なもので。
手塚 ベルルスコーニだってすごいじゃない。今新婚だよ。20代の新妻と。
片山 そういう意味では、ヴェルディはプッチーニと比べた場合、三角関係がもつれていないよね。
運営者 付き合った女性がよかったんだと思う。
加藤 プッチーニはたくさんい過ぎ。
運営者 ヴェルディが最後に作ったのはオペラではなくて、音楽家の老人ホームである憩いの家(カーサ・ヴェルディ)ですよね。ワーグナーはそれに比べると・・・
加藤 バイロイトだからね。
手塚 ワーグナーは基本的に理想論、観念論の世界にいたわけですが、それに対してヴェルディは現実論の世界にいったんだと思う。
ところで「アイーダ」の初演のころに、ヴェルディが「オーケストラボックスには蓋をしたほうがよい」と書いている書簡があるそうですよ。バイロイトみたいだよね。ヴェルディはオーケストラの編成をだんだん大きくしていったわけで、編成が大きくなれば音色はヴァリエーションが増えてよくなるけど、大編成のオケが舞台の前にズラっと見えると会場の雰囲気が悪くなるし、当然歌の邪魔になってしまう。
武田 そうなると、ベルカント・オペラ向きの歌手ではなくてもっと力強い歌手でなければ派手なオーケストラにはかなわなくなってしまう。
加藤 「オテロ」の初演で歌ったタマーニョという人は、グレゴリー・クンデと似たキャリアの人だったらしい。
フランチェスコ・タマーニョのオテロ(1903-04録音)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19637092
だから最初はロッシーニのセリアから出発して、ベルリオーズなどのフランスオペラをやってからヴェルディを歌うようになったそうです。だからそれは真のベルカントとは多少違うけれど、やたらヴェリズモでもなかっただろうと思うんです。
手塚 そういう意味では「オテロ」はあまりにもマリオ・デル=モナコのイメージが強すぎるんでしょう。
例えば最近、ベートーベンを古楽器でやっているような感じで「オテロ」を当時の感じでやってみたらおもしろいなあ。客席千人ぐらいの劇場じゃないとできないでしょうから採算が合わないかもしれないけど・・。
片山 だからそれを4000人入るメトロポリタン歌劇場でやるということはそれなりの声がいるということですよ。