運営者 だけどヴェルディも無限旋律の方向に進化してきたんじゃないですか、レチタティーヴォから。
加藤 「レチタティーヴォを解消して、ドラマとしてひとつながりの音楽にしたい」という気持ちはすごくあったと思うけど、ヴェルディとワーグナーが決定的に違うところは、ヴェルディは台本を他人任せにしなければならなかったところにあるんです。
台本作者の流儀というのがあって、例えば「トロヴァトーレ」を書いたサルヴァトーレ・カンマラーノだと、ヴェルディよりもキャリアが長くてプロフェッショナルなので、効果的な場面の作り方を最優先しちゃうんです。
運営者 それはベルカントの時代の方法論ですよね。
加藤 そうそう、伝統的なイタリアオペラの作り方で作ってたから。
手塚 つまりヴェルディは劇場人だった。
加藤 ロッシーニと比べると、歌手の権限を制限したりしたんだけれど・・・
武田 ヴェルディはそうした形式から離れて、もっとリアルなドラマを表現したいと言っていた・・・
加藤 トロヴァトーレを書いているときですら、ヴェルディは「番号オペラは廃止したい」と言っていた。1曲1曲で終了するとドラマとして、オペラが成立しないからです。「全部が一つながりの曲だといいんだけどね」と言っている。
だけど台本作者はカンマラーノなので彼に台本を任せたら、伝統的なものになるに決まっています。
だけどそれで書いたヴェルディの音楽は素晴らしいわけで、そういう台本からでもいい曲を書くことができるのは天才的だと思います。
手塚 ヴェルディは「「オテロ」」で、どこかワーグナーと交差しているような気がするなあ。「オテロ」のは途中で拍手を入れる場所がないし。観客に拍手させないように音楽が作られている。
加藤 番号形式じゃないからです。
手塚 「アイーダ」まではそうじゃない。
武田 いや、「オテロ」だって拍手しちゃうよ。
加藤 それは邪道です。
運営者 せいぜい「柳の歌」くらいだろう。
武田 「柳の歌」の後とか、「アヴェ・マリア」の後とか、イヤーゴの歌の後とか拍手してもいいんですよ、別に。
ヴェルディはワーグナーに近づこうと思って「オテロ」を作ったわけじゃないんです。
手塚 でも、ワーグナーが使っていた手法はかなり取り入れていると思うけど。