T女史 私はいつも「椿姫」を見るたびに思いますけど、どうしてもっとアルフレードに良いアリアを書いてやらないのかなと思いますよね。
武田 「リゴレット」でマントヴァ侯爵のアリアがいくつもあるけれど、みんな軽くてパッパラパーみたいだもん。
「オテロ」以外は、テノールはだいたいおちょくられています。
加藤 いや、おちょくられてはいないと思いますよ。「仮面舞踏会」のリッカルドだってテノールでしょう。ヴェルディの本領は性格表現にあるから。バリトンとバスを確立したのはヴェルディだし。ヴェルディ以前はバリトンとバスは分かれてなかったんですよ。
武田 その後のプッチーニも、バリトンはあまりたいしたことはないし。
片山 「ジャンニ・スキッキ」くらいですか、バリトンが主役なのは。
手塚 ワーグナーだってウォータンもザックスもグルネマンツもそうですが、結構バリトンが作品全体の要を担っている。
運営者 今、ヴェルディの本領は性格表現であるとおっしゃいましたよね?
武田 そうですよ。
運営者 でも、ヴェルディを聞く人は「オテロ」あたりから聞き始めるわけで、そうすると今のドラマから比べて全く遜色がないので、「うん、こういうものか」と思うわけですが、ヴェルディのオペラでもそれ以前のものは、もっと性格表現は薄っぺらいですよ。例えば「マクベス」と「オテロ」を比べると、全然違いますよね。
加藤 でも当時としてはマクベスはすごかったと思いますよ。
手塚 「オテロ」以前のヴェルディは、少なくともストーリーに関しては破綻してるよね。
運営者 「トロヴァトーレ」なんか完全に破綻してるじゃないですか。重要なことは全部幕間に起こってるんですけど。あれだけ偉そうに勇ましく歌って出陣していった奴が、次の幕が上がったらいきなり捕まって牢屋に放り込まれてるんですから。そんな芝居ないってんですよ。
武田 「トロヴァトーレ」は音楽を聴くものだから。
運営者 「さっきヴェルディは性格表現だ」って言ったじゃないですか(笑)。
加藤 効果的な場面を作ることが大事なんです。「トロヴァトーレ」はカンマラーノの台本だからいいんですよ。彼じゃないとああいう台本はできないし。
武田 アズチェーナにあれだけの性格を与えることができたんだからすごいよ。
加藤 だからヴェルディはドラマとして一貫性のあるものを作ることもできたし、性格表現もきちんとしながら、そうした伝統的な分野でも力を発揮することができたんです。
手塚 ワーグナーのほうは、「まずドラマとして一貫性がなければ気持ち悪い」と思っているから、ドラマを作るところから始めて、音楽はその後について行ってるんです。理屈が通っていないと気持ち悪いのがドイツ人。
池原 ヴェルディ作品はシェークスピアやユーゴーをはじめ、その他にもフランス、イタリア、スペインの戯曲などを取り上げているのだから、中には荒唐無稽なストーリーがあっても、それは原作の問題なのでは。
運営者 「運命の力」とか「ドン・カルロ」とか、改訂してるし。