ただし1カ所だけ、前回行き損なった所がある。セセッシオン(分離派会館)である。とりあえずお約束のことだけしておこうと思って、ケルントナー通りを歩いてシュテファン大聖堂まで行って聖堂内を見物し、そこから引き返して地下道へ潜り、セセッシオンを目指す。
セセッシオンはてっぺんに黄色のタマネギを載っけた、ウィーン世紀末を代表する建物(のひとつ)である。正面には「時代にはその芸術を,芸術にはその自由を」と書いてある。クリムトが代表を務めた、ニューウェーブとも言える芸術集団であり、ここはその発表の場であり根城であった。
現在でもここで新進の前衛芸術家たちが発表会やらインスタレーションやらを行っている(私にはついていけない世界だ)。実はここにいったい何があるのかはよく知らないのである。5.09ユーロ。入ってパンフレットを見ると、クリムトが書いた壁画が地下にあるようだ。とりあえず行ってみる。200平方メートルほどの部屋の、壁の上部をぐるりとフレスコ画が巡っている。これはワーグナーによるベートーベンの「第九」解釈に基づいた、「第九」のイメージを描いたものなのである。制作年は1902年。実に見事な想像力と美的感覚だ。
入口の左手の壁から、第一楽章、幸福の享受と、人間の弱さからの受苦。この"幸福"については、女性が空を漂っているイメージなのだが、その目をつぶったいかにも幸福そうな表情はクリムトの真骨頂である。衣服や肌の色は白のままで、最小限の部分しか色彩を使わず、清浄な幸福感のイメージを見事に表現している。
第二楽章は敵対する脅威と、病気、狂気、死という3つのゴルゴン女神、官能と誘惑と浮気を、第一楽章とは一転した密度で描いている。第三楽章もここに含まれるのだろう。
第四楽章は、詩情のみが扉を開く真実の幸福と、絶対的な愛の理想の王国である。文化的所産である詩が、地上のすべての苦悩を解決し幸福への道しるべとなるという、非常に理想的かつ楽観的、観念的な解決、要するに啓蒙思想なわけだ。しかしクリムトの筆致はあまりにも雄弁で、この世界に逃げ込みたいという誘惑を振り切るのはなかなか難しそうだ。最後の部分は、恍惚の表情を浮かべる女性合唱団の前で男女が抱き合い、その周囲に幸福な空間が醸成されている様を、実体化して表現している。
まったくすばらしい空間だ。見るに値する絵画ということができるだろう。
1階と2階は、展示スペースになっていって、ビデオやMDを使った何かの現代芸術の展示をやっていた。
セセッシオンを出て、やることもないのでぶらぶらと歩いていく。セセッシオンの隣はウイーン工芸大学。ヒットラーも受験した。もしこの学校がヒットラーを合格させていれば、第二次世界大戦の災厄は起こらなかったろうし、この街もナチスの支配やそれに続く4カ国統治を経験せずにすんだことだろう。
その近くに、シラー広場があって、さっきの「第九」で理想の王国の扉を開いたシラーと、妙にふん反り返ったゲーテが、「オレの方が偉いんだ」と言わんばかりに、距離をおいて睨み合っている。
そこからしばらく歩くと王宮で、モーツアルトの有名な像が、曇り空をバックにして白い顔を益々白くして見る者を寒がらせている。この立像の前にはト音記号の形に花が植えられていいるのだが、この冬には花はきれいさっぱり取り去られていて土がト音記号の形にむき出しになっている。
要するに、寒々としている。
なぜこの国に、哲学や美術音楽といった文化が花開いたのか。それはまず、ハプスブルグの富があったから。富は市民意識を生むはずだ。市民意識はさらなる商工業の発達と、高い独立心を生む。この小さな国は、それを受け継いでいるのだろう。みんな誇り高い。全員が「ウチの家系は貴族の○○家とつながっている」と思っている。だから他人に愛想良くできるし、その反面右翼も台頭する。「自分は貧しい」と思っている限りは、プライドなく人に依存するだろう。だが、「自分が主役だ」という意識があれば、どの分野でも世界を制することができるのである。
この向かいにある美術史美術館にでも行って、「ブリューゲルやルーベンスでも見ようか」とエントランスに入ってみると、土曜日の午後3時ということで、芋の子を洗うような騒ぎである。これは並んで入ったとしても、ゆっくり画など見ていられる状況ではなさそうだ。
あきらめて外に出て「どこに行こうかな」と地図を見ながら考えていいると、やけに丁寧な話し方をする若い男が、「さっき美術館で肩を押してしまって申し訳ない」と謝ってくる。別に謝られて怒る必要もないので、「いえいえ全く構いませんよ」というと、「日本人ですか」と聞かれて、「観光ですか、王宮の宝石を見ましたか」とうるさく話しかけてくる。なんなんだ一体この男は。おおかた観光客相手にガイドを申し出て法外な金を取ろうというハラなのだろう。「わたしゃこの町については大抵のことは知ってる」と言うのだが、そうするとあそこには行ったかこれは知っているかと食い下がってくる。何というやつだろう。「ほっといてくれ、1人でうろつきたいんだ」と言うと、「ああ、あなたはこの町についてはよく知っていて、ただ自分の印象をリフレッシュしようとされているんですね」とバカ丁寧に言って離れていった。ちょっと変な詐欺師もいるものだ。