この「ナブッコ」は、非常に現代的な演出だ。幕が上がると序曲の間に、右手前に絨毯が敷いてあって、そこに子供が3人出てきてバレーを踊っている。じゅうたんの上には木馬が置いてあり、左手にはガラスケースが置いてあって、ユダヤ教の7本燭台がその中に入っている。ほとんど図像学の世界である。
ヨーロッパではよくありがちな無国籍、時代超越的演出で、ヘブライの民がネクタイを締めて出てくる。背景に、何文字かわからない文字が下からせり上がってきて徐々に積み上がっていくのは、「ナブッコ」が雷に打たれたときにその文字が溶け崩れていくことで「ナブッコ」の権威の失墜を表すということが分かるのだが、それ以外は全く理解不可能である。
演奏は極めて抑制がきいていて、決して全開しない。淡々とリズムを刻み崩さない。面白みがない。驚きがない。だけど危なげなくうまい。導入部のトロンボーン4本の音だけでしびれてしまう。特にソロで伴奏する部分はドキリとさせられるところもある。2幕のアブガイッレのアリアは別にいいとは思わないが、場内の喝采を浴びていた。
例の"きんつば"(「行けわが思いよ、金色の翼に乗って」)は、ヘブライの民は旅行カバンを持った流浪の民風で、どうもこの辺がゲッツ・フリードリヒ崩れという感じだが、この100人近い合唱団がみんな舞台の上に寝転がって歌い始める。なんだこれは。それが徐々に起きあがっていくと、歌にクレッシエンドがかかっていくという趣向。最初は何なんだと思わせるし、ちょっと引いてしまうが、合唱がすばらしいのでまあ許すかという気になる。そういう感じの演出なので、やっぱりアンコールもない。イタリア人は嫌がるだろうな。
第3幕2場になってやっとオーケストラが乗ってきた、歌わせるようになったという感じ。
つまるところ、この演出ではどんな演奏でも合わないところに、指揮者もかなりスクエアな人なのでなんだか分からない「ナブッコ」になっているのだと思う。一番の問題は演出で、木馬のような子供のおもちゃ以外は何も物をおかない平面的な舞台なので、すべてがウソ臭く見える。登場人物の感情表現も演出でフォローしていないので、感情表現も芝居の進行も、セリフと歌手の演技力に頼ってしまっている。このオペラは筋が複雑だし、下手をすると荒唐無稽に思えるところもあるので、そういう無理な部分がすべて剥き出しになってしまっている。照明もつまらない。
そういうふうにマイナスの部分が目につき始めると、歌手がうまく思えるのも実はPAではないのかと疑わしく思えてくる。
というわけで、ややへんてこな「ナブッコ」であった。ただ「ナブッコ」はもっと複雑な音楽だと思っていたので、非常によく整理されていてあっと言う間の2時間半だった。やっぱりそういうところは納得させられる。
指揮 A.グァダーニョ
ナブッコ A.マイケルス=ムーア
ザッカリア A.マイルズ
ちゃんと10時に舞台がはねるようになっている。オペラ座を出てケルントナー通りの裏手にあるレストランに入る。オーストリアワインとビールと、スープを頼み、メインには私が世界で一番うまいと思っている料理、グーラシュを食べる。まあ今ひとつの味かな。しかしここは、前来たときも入ったような気がする。そのままホテルに帰る。