ホテルでゆっくり朝食をとる。
10時半、ホテルを出て楽友協会に向かう。だいたい場所の見当はついている。オペラ座の下の地下道を通ってカールス・プラーツで地上に上る。広場では、世紀末の建築家オットー・ワグナーが作った駅の瀟洒な建物と、教会の建築を見ることができる。JR四谷駅はこの駅のデザインを拝借したものだろう。
人々がゾロゾロと、楽友協会の方に向かっていく。その流れに身を委ねる。楽友協会についてみると、外観を修理中のようだ。この建物ができたのは、1867-69年と書いてある。つまり明治維新の年である。
このホールは世界最高の音響効果を持つホールとして知られている。実は前回来たときは立ち席の切符を譲ってもらって入ったので、その音響を堪能することはできなかった。今回は平土間の前から9列目というすごい席である。これらの席は会員にしか販売されないので、今日来ることができない人が転売したものが二次市場に流れたのだろう。
内装はネオバロック様式だ。ホールのバジリカ形式の格天井の金色の装飾が素晴らしい。それと1階客席の柱飾りの黄金のミューズの像が非常に目を引く。それにしても椅子が固い。長時間座っているのは疲れるだろう。
オーケストラの上から、客席の真ん中あたりまで、横に5列程度ワイヤーが張り渡してあり、そこから何本か集音マイクがぶら下がっている。録音しているのだろう。後で見るとオーケストラの足元にもマイクが幾つか置いてあった。
オーケストラが席について、指揮者のマリス・ヤンソンスが身軽に指揮台に上った。今日のプログラムは、ロッシーニの「泥棒かささぎ」序曲、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」、プロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」という、てんでバラバラのお得な取り合わせである。オーケストラのいろいろな表情を楽しむことができるだろう。
ヤンソンスの指揮は初めて聞いたが、非常に表情豊かであり、かつわかりやすい。ひねった解釈はしていない。直球勝負で魅力的な音楽を作れるのは、人間性の反映か? 私は音楽関係の情報は全くチェックしていないので、情報がない。ヤンソンスというと、「オスロの人ね」くらいしかわからない。
「泥棒かささぎ」では、大きく手ぶりを振るところから、完全に手が下に降りる瞬間もあった。すべての音をきちんと聞かせようとはしていない。金管が他の音に埋もれることもあるようだ。とにかくロッシーニは楽しい音楽になっていた。
メンデルスゾーンは各楽章ごとの表情が非常に豊かである。単にロマンチックなだけでない、中身の濃いメンデルスゾーンを創り出している。私の席からは指揮者が非常によく見えるので、完全に彼の指揮に引き込まれて没入してしまった。思わず第四楽章の最後の部分で感動してしまう。メンデルスゾーンなんか精神性がないと思っていたのに、非常に恥ずかしいことだ。
聞いていると、音楽が自然にオーケストラの間からわき出してくるという錯覚を憶える。人為とは思えない。むしろ天意である。この世界最高のオーケストラからは、「どんな音楽でも演奏できる」という自信を感じる。それは私も知っている。こいつらには何でもできるのだ。不可能はない。すごいことだ。だからここには、絶対的な価値がある。ウイーンフィル自体が求心力を持ち、その価値を中心に、人と金が集まってきているに違いない。その集まってきた人と金を効率的に回す仕組みがあるに違いない。そしてその価値が見事に保たれ続けているのである。だから価値を持っているのはオーケストラ自体であって、ここには指揮者対オーケストラという明確な構図が存在するように思う。
休憩があって、みんなゾロゾロと外に出てコーヒーや酒を飲んでいる。いいんだけど、出入り口が左右に1カ所ずつと後ろにしかないので客がはけるのに時間がかかる。そしてロビーも狭い。古い建物だから仕方ないのだが。
休憩が終わってみんなが当然のように席に戻り、指揮者が指揮台に上がって「ロミオとジュリエット」第3幕の最初の音が鳴ると、一瞬にしてネオバロックの空間が、不協和音に満たされる。驚異的な時間と空間の切断である(抜粋して演奏している)。
「ロミオとジュリエット」は、一転して一音一音大事にしている。すさまじい緊張感。そしてこのホールが持つ残響の豊かさを心ゆくまで楽しむことができる。曲の最後までテンポを極めて遅く取り、金管に十分に吠えさせる。手足の先までしびれるようなスケールの大きな演奏である。もともとよく鳴るオケではあるのだが。
そして最後の第2幕の終曲では渾身の棒を振って、大迫力で締めくくった。これはもう音楽を聴いたというよりは体験したという方が正確である。恐るべき表現力、恐るべきテクニック、このオーケストラは人類が持つことができた最強の楽器としか言いようがない。すごすぎる。
平戸間に座っている連中は、お互い知り合いが多いらしく挨拶を交わしている。それで演奏が終わると、2~3回カーテンコールをやっただけで、みんなさっさと帰ってしまった。これが彼らの評価なのだろう。呆然としている私はバカみたいだ。毎月定例演奏会を聞きに来ている彼らは、普通オーケストラというのはこういうものだと思っているのかもしれない。とんでもないことである。世の中には実に贅沢な人々もいるものだと思う。