2時、耳に残ったウィーン・フィルの残響を噛みしめながらホテルの部屋に歩いて戻ってくる。
ホテルの部屋で本を読んだり、パソコンをいじって掲示板に書き込みをしたり。
4時30分、着替えて外に出る。オーパンリンクの交差点の角の屋台でホットドックを食べる。細長いパンの縦に穴を開け、からしをつけたブルスト(ソーセージ)を突っ込むという単純なものだが、ソーセージの表面の焦げ具合いがまことに香ばしい。
5時、オペラ座の幕が上がる。今日はワーグナーの「パルシファル」をドミンゴが歌う。当然満席だ。
5時間もあるので、体力勝負である。ホテルのおばさんは前から6列目の中央通路寄りという、とんでもない席を取ってくれた。こんないい席でオペラを見たことなんかあっただろうか。
演出は非常に古典的なものだった。第1幕の森の中は、13本ほどの大きな木が舞台に登場。そこから、聖杯城に向かう舞台転換は、グルネマンツ に連れられた「パルシファル」が舞台の回りをぐるぐる回っているうちに、木が舞台の背景にずっと退がっていき、反対に舞台の奥に十字架が現れて前方に迫り、舞台の中央に別の巨大な十字架がせり上がってきてディゾルブして聖杯城になるという、うまく舞台の奥行きを活かした演出になっていた。第2幕でせり上がってくる花の乙女たちも、ちゃんとバレリーナを織り交ぜて50人ほどの女性たちを舞台に登場させており、満足できるものだった。
ウイーンフィルのオーソドックスな演奏も見事で、金管の咆吼をガンガン聞かせてくれた。うれしいねえ。
もう久しぶりにワグナーの世界に浸り切ることができて満腹だった。満足満足。
字幕は一言一句省略せずに表示される。昨日の「ナブッコ」と対照的だ。
ドミンゴもまだまだいけそう。もっとも、この芝居は第1幕ではほとんどタイトルロールは歌う必要がない。第2幕以下も歌うところが他のワグナー作品に比べれば少ないので、ドミンゴにとっては楽だろう。むしろ演技力の方が大切で、第2幕の熱演が、クンドリによって知恵を授けられ、阿呆から知者になったパルジファルを際立たせることになる。ジークフリートよりむつかしいかも。
「パルシファル」は若者の役なので、ちょっとしんどい気もするが、とにかく第2幕は熱演。流石はスーパースターの貫録で、有無をいわせず演じきっていた。実際、彼こそ本物のスーパースターである。何が歌手の価値を決めるかと考えると、どのような客層をに支持されているかではないだろうか。それでいくと、このオペラ座に集っている、熱狂的に彼に拍手送る人々は申し分がない社会の上層の貴顕たちである。
第1幕の終わりは、キリストが最後の晩餐でワインを飲んだ"聖杯"(十字架にかけられ槍で突かれた彼の血を受けた)の力で、騎士団が生命の糧を得る儀式を描いており、荘厳な祈りのシーンで幕を閉じる。どうも「トスカ」の第1幕の幕切れとは違って、何やら拍手しにくい感じだなと思ってると、幕が下りてから拍手をしかけた人に対して他の客から、"シーッ"と叱責が浴びせられていた。どうやらこのオペラでは第1幕の終わりは拍手をしてはならないらしい。
このオペラは、ちょっと変わったオペラというか、これはオペラでもない。"舞台神聖祭典劇"と言われていて、本来はバイロイト劇場でしか上演してはならないものなのだそうだ(でも、パルシファルの息子がローエングリーンだったりする。だから白鳥が出てくるんだな)。しかも、全幕拍手をしないないというのがワグナーの希望だったらしい。
プログラムにはドイツ語と英語で、「第1幕の終わりには拍手をするな。2幕と3幕の終わりには、拍手で出演者に対する感謝を表してもよい」と書かれているから恐れいったものである。去年バイロイトで上演された時にはアメリカ人の観客が盛大に拍手をして相当な顰蹙を買ったのだそうだ。わたしゃこのオペラはそんなに好きでもなかったので、そのような慣行があったとは知らなかった。この劇の祈りは深い。ワーグナーが、過去の罪の許しを請うているかのようだ。終生、他人にものを押しつけることしかしなかった彼は、最後の自分の祈りまで人に共有することを押しつけたのだろう。
指揮 P.シュナイダー
演出 A.エファーディンク
アンフォルタス B.ヴァイクル
グルネマンツ K.リドル
パルシファル P.ドミンゴ
クリングゾール W.バンクル
クンドリ V.ウルマーナ
今日は、ビールを飲んでやろうと思って、オペラ座の隣のブロックにあるアウグストゥス・ケラーに行く。ここも前に来たことがあるが、アコーディオン弾きがはいっていてウィンナワルツや「第三の男」を引いているという、ハイリゲンシュタットのホイリゲみたいな店だ。ブロイビール、エーデルワイスワイゼンビア、ラドラービアを500ミリリットルずつ飲む。スープとウインナシュニッツェルを頼んで、さらにソーセージも頼んで腹に詰め込む。