ホテルを出て歩く。広場の裏手あたりに、ユダヤ人地区がある。行ってみると、6つほどの建物が博物館として公開されている。290コルナ。
まず最初の建物は、ホロコーストの記念館で、一階に膨大な数の、収容所で殺されたユダヤ人の生まれた場所と生年月日と処刑された日付が書き記されている。プラハだけではなくその近郊のユダヤ人らしい。見張り番をしていた爺さんが、8万人分の名前だと教えてくれた。
「どうして収容所で死んだ人間の名前がわかるのか」と訊くと、ナチスはきちんとこれらを記録していたらしい。そして収容所を放棄するときに、それらの記録は建物の壁に塗り込められたらしい。それを掘り出して、それを元にして壁に名前を書いたのだそうだ。
ユダヤ人は世界中に離散して暮らしており、宗教を通してつながっている。その連帯感や、戦争の迫害の歴史をとどめようとする執拗さには独特のものがある。世界中を恨みながら、その恨みをエネルギーにして生きている感すらある。これでは嫌われるはずである。
収容所はポーランドにあったものが有名だが、最初に作られたのはチェコなのだそうだ。2階には、戦争中にユダヤ人の子供が描いた迫害の様子を描いた絵や、当時の生活の記録が展示されている。建物を出ると、隣接してユダヤ人の墓が雪に覆われて並んでいる。
その周囲には、シナゴーグがある。考えてみると、シナゴーグには初めて入った気がする。
この辺はユダヤ人街だ。それはどういう印象かというと、とにかく立派なものである。ネオバロック様式の、外壁にきれいな飾りのついたこざっぱりした建物が並んでいる。いかにもお金がありそうな街だ。
この街で貧乏のまま死んだカフカの描いた不条理の中に永遠に迷い込んだような、中世の迷宮都市といった面影は街のどこにもない。ただカフェ・カフカというのがあって、それがここがカフカの町であったことを示しているのみである。その一角に、ゴーレム博物館を発見した。巨人ゴーレムはプラハの話だったのか。ゴーレムは元祖フランケンシュタインで、迫害されるユダヤ人を救うためにラビが作ったとされる伝説の巨人である。
この博物館は、時計などを扱っている店の奥にあり、博物館を見たいと言うと店番の女の子が電気をつけてくれる。ちゃちな作り物ばかりで、ゴーレムの伝説について順を追って描かれた絵が並んでいるだけのたいした展示ではないが、物珍しいものだ。
それからトリムに乗ってあちこちうろうろしてみる。街の中にはGEキャピタルバンクという銀行が目立つ。そういえばこれはウイーンでも幅をきかせていた。
それとカジノが多い。カジノといってもスロットマシンやゲーム機の類のだろうが、大きな駅には必ずスロットマシンのコーナーがあるし、街の中のゲームセンターみたいなところでも現金をかけてやっているのだろう。とても社会主義国家の面影などあったものではない。
nam republikyという街の中心の広場には、domeという美しい建物がある。チェコフィルはどうやらここで演奏会をやっているらしい。1階は非常に美しいレストランとカフェになっている。その横に中世に建てられたゴシックの重々しい大きな門がある。この門の外壁には、天使の彫像がいくつも取り付けられているが、その金色の羽がまことに麗麗しい。
それから市役所に行って仕掛け時計が12時を告げるのを見る。大きな文字盤の上に開けられた2つの小窓に、12人の聖人たちの平面的な姿が順番に現れるというだけの誠にちゃちなものである。
それから駅に取って返し、1時発のブダペスト行きのインターシティに乗る。駅の露店ではバッタもののポケモンを売っていて笑えた。
2時間ちょっと乗ってから、チェコ国内のBieclavという駅で乗り換えなければならない。この先はスロバキアを通ってブダペストに向かうのである。駅で降りると、親切な女性の駅員が、ウイーン行きは20分遅れだと教えてくれる。とんでもなくくそ寒い駅のホームで、みんな震えながら電車が入線するのを待つ。5時、やっと電車が来て、やれやれと乗り込む。