6時前、電車はウイーン南駅に到着。トリムと地下鉄を乗り継いでホテルに帰ってくる。預けていたトランクは、ちゃんと部屋に入れてくれている。部屋でシャワーを浴び、着替えて、オペラ座の前でまたホットドッグを食べてから7時半にオペラ座へ。当日券売り場で、予約していたチケットを受け取る。
今日は「仮面舞踏会」なのだが……。予約してから気が付いたのだが、これはバレエ版の「仮面舞踏会」である。ヴェルディ作曲と書いているのだが、この全体を本当にベルディが完成させたのかどうかは私には知識がなくてわからない。
序曲だけがオペラと同じで、第1幕から第2幕まではベルディの他のオペラの音楽のつぎはぎである。
第2幕の重要なパドドゥはマクベス第3幕のバレエをそのまま使っていた。第3幕第3場の「仮面舞踏会」のシーンは、オペラではあっと言う間に間に終わってしまうが、ここが非常に拡大されていて、さまざまなバレエを見せる見せ場となっている。そしてラストのスウェーデン国王グスタフ3世が親友のレナートに撃たれて死ぬ場面は、「マクベス」の短い序曲が使われていた。そういうわけで、なんだかよくわからないものである。
主役のウラジミール・マラーホフは大人気。登場すると、客席から拍手とブラボーの声が投げかけられた。このバレエは去年のベルディ生誕100年で作られたプロダクションだそうだが、この本人が振り付けをやっている。私は見ていないが今年小沢征爾が指揮したニューイヤーコンサートの放送でも「美しく青きドナウ」を振り付けて披露していたそうだ。そして彼は来年からベルリン国立歌劇場バレエ団の芸術監督に引き抜かれて行ってしまうらしい。振り付けは非常にエレガントで、特に手の表情付けがよい。ニンフとサチュロスの踊りが非常に良くできていたと思う。
オペラと違う部分を書き留めておくと、オペラでは、忠臣蔵が塩冶判官や高師直になっているように、オペラではボストン総督リッカルドになっているが、このバレエの設定はちゃんとスウェーデン王室のようだ。
結構かっこいいグスタフ3世像@ストックホルム 具体的に一番違うのは占い師ウルリカの位置づけで、オペラではみんなから尊敬されている大占い師という大物っぽい感じで、登場するのも第1幕第2場だけだが、バレエではジプシーの飲み屋の飯盛女が、片手間に手相見をやっている軽いお姉ちゃんという感じで迫力がない。彼女は第1幕1場の国王のところに、逮捕されて引き据えられてくる。それを国王は目の前で赦免する。最終幕の幕切れにも出てくる。第1幕第2場では、設定がジプシーの飲み屋なわけで、オペラでは国王の前にアリアを歌う兵士が出てくるのだが、それはバレエにはない。
第2幕の、アメリアのアリア「ここは恐ろしい場所……」もなくて、すぐにパドドゥが始まってしまうので今ひとつ面白みに欠ける。国王がレナートにアメリアを託すというところも簡略化されていて短い。さらにその後のレナートが復讐を誓う第3幕第1場と国王がアメリアとの別れを決意する第2場は完全にカットされている。その分第3場で、バレエの見せ場を作る工夫がされていて、プログラムによるとグスタフ3世の宮殿にはイタリアとフランスからトップダンサーが来ていて、この2人が第1幕と「仮面舞踏会」の場面でいろいろなバレエを披露するという設定になっているようだ。
私はバレエはあまり見ないのだが、言葉を使わずに非常に細かい感情や芝居の進行を表現することができるものだ。演奏も申し分ない。非常にぜいたくな時間を楽しむことができた。
幕間は第2幕と第3幕の間にあった。ロビーに出てぶらぶらしていると日本人のおじさんがいたので声ををかける。「レコード芸術」なんかに原稿を書いているというウイーン在住の音楽評論家だった。
「小澤征爾のニューイヤーコンサートの評判だが、地元のマスコミは絶対に称賛している。しかし音楽愛好者をたちがどう思っているかというと、それはまた別の問題である」とのこと。
それはよく理解できる。オーストリアでは右派勢力が政治的に台頭したため、人種的な問題については非常にナーバスになっている。日本人がウィンナワルツを演奏することについて非難などできるような状況にはない。しかし彼らは本音の部分ではアジア人にワルツが演奏できるなどとは夢にも思っていないはずだ。外国の支配を受けた経験のある民族は、2つの姿勢(裏表とも言う)を持つようだ。表面は柔軟に相手を受け入れるように見えて、実は固い芯の部分を変更することは絶対にない。京都人のようなものだ。
小澤征爾はテレビのインタビューで、「僕はワルツを踊ることはできませんからね」と答えていたそうだ。「これが言えてるいるから小沢は大丈夫だと思う」と彼は言っていた。
街の中心のケラーでスープタイプのグーラシュとウィンナシュニッツェル、ビールをがぼがぼ呑んで、シュナップスも頼む。