7時起床。まだ夜が明けていない。ホテルで食事を食べてロビーに降りていく。ロビーにいた兄ちゃんに案内されて隣のブロックに停めてあるデルフィ行きツアーのバスへ。大型バスで乗客は20人程度である。明るいところで初めて市内の建物を見たが、建築様式の統一はないし、建て方もバラバラである。道も細いし、地震に弱そうな建物が多い。
デルフィの古代劇場 デルフィはアテネの北東方向に3時間ほど走ったところにある。走り出して15分をもたつと、右手に見える雪の原っぱがマラトンの戦場の跡をだという。ただの雪の平原である。なるほどここからアテネまでが42.195キロなのね。
さらに15分ほど進むと、ちょっとした町があるが、これがテーベである。アテネが没落した後、ギリシャを支配した都市国家だ。そんな面影は少しもない。ただの普通の雪の街である。天気も悪い。どんよりとした空から雨が降ってくる。どうなるんだろう。
その後、ガイドのおばさんはギリシャ神話の話をしてくれるか、なかなか達者な英語で私には聞き取れない部分が多い。これから行くデルフィは、戦争と芸術の神であるアポロンの聖域である。彼はイルカに乗ってやってきて、ここに上陸した。紀元前850年ごろに最初に作られた神殿は月桂樹の木でできていた。現在の神殿ができたのは紀元前4世紀のこと。紀元前522年からは、オリンピックの前年に、4年ごとにアポロンにささげられる競技会と演説会、音楽祭「ピュティア祭」を行っていた。
またこのアポロンは予言の能力があるとされているらしい。だから神託がいただけるわけだ。
私はシスティーナ礼拝堂に行って天地創造を見ても、どこに「デルフィの巫女」が描かれているのかいつも発見できない。神託を伝える巫女「ピュティア」は5歳から訓練された。時代が経つにつれ、おばさんばかりになったらしい。
デルフィのアポロンの神殿の中には火山性のガスが噴出しており、巫女はこれを吸い込んでへべれけになってうわごとを口走る。それを神官が都合のいいように翻訳して、問いを投げかけた相手に伝えたようである。つまり間に人間が介在しているので、答は操作できるということだ。それとあくまでもうわごとなので、解釈には非常に幅があった。どのようにでも解釈できるような返答を与えていたということである。
最初は神託は1年に1度だけ疑問に答えることになっていたが、当時は1年が10カ月でその内の冬の間を除いた毎月の7日に答えるようになった。為政者や商人たちなど、神の啓示を望む訪問者たちは毎年デルフィに船でやってきて、神殿まで歩いて登ってきた(標高800メートルくらいある)。でも、必ずしも巫女が彼の質問に答えてくれるかどうかは分からなかった。運が悪ければいつまででも待たなければならなかったようだ。
宝物庫が建ち並んでいた……。 人々はこのデルフィが地球の中心であり、宇宙の中心であると考えていたらしい。そして神からの言葉を伝えてくれるこの場所は、国家にとって絶好の政治宣伝の場となった。神託によって戦争に勝ったり利益を得られたと思った人々は、争って宝物を奉納した。宝物は裸で置いておくわけにはいかないので、宝物庫も一緒に奉納した。神殿に向かう道の両側には、その各地から献上された宝物庫が立ち並んでいるらしい。