バスは土産物屋で一服したのだが、この時ばあさんが1人時間に遅れ、出立が10分伸びた。ガイドのおばさんは、「次の停泊地で出発時間に間に合わなかったら、われわれは先に行くのでタクシーで追いかけること」と冗談で冗談めかしつつ申しし渡した。
次にバスはどんどん坂道を上り、標高1000mにあるという町ARACHOVAで止まった。この街は手作りのカーペットの町である。非常に美しい柄で、しかも土産物屋の主人が見せてくれたのだが、眺める方向によって色が違って見えるという特徴を持っている。非常に面白い。一畳くらいの敷物であれば100ユーロだという。あまりに安いと思ったのだが、それはやはり薄手のもので、厚手のものはそれでも200ユーロ出せば買うことができる。悪くない。さらに安いのも用意してあって、それはアフガニスタン製のものなのだそうだ。
この何軒かある土産物屋のひとつで、手袋を買おうと思った。昔ロンドンでインチキなインド人から買った手袋は、ナポリでなくしてしまった。厚手のものを選んで14.9ユーロを払うとするが、店の方はユーロ札の釣りがない。ドラクマしかないのであわてている。どうしようかと相談しているうちにバスに乗り遅れそうになって、タクシーで追いかけるわけにもいかないので手袋は諦めることにする。
そこから少々進むと、荒涼たる岩山も稜線が、いかにも神々の住む山のように見えてくる。下から見るともろい岩肌に灌木がところどころ茂っているのみで、高い木は生えていない、まさに巍巍たる山容である。それが高いところから見下ろすと、穏やかな山並みに見える。
いよいよデルフィの遺跡に着いた。不思議なことに、晴れている。雪も全くない。2457mのパルナッソス山の南麓標高800m、深い谷に面する斜面に、糸杉に囲まれた遺跡の大理石の白が映えている。
みんなゾロゾロとパスを降りる。ここからしばらくの間はガイドのおばさんが説明をしてくれる。切符売り場の辺りには毛並みのいい猫が何匹か屯していて、旅行者を見るとゆっくりと寄ってくる。5.87ユーロ。
今やわれわれは、古代の人々がここを訪れた時に最初に立ったであろうエントランスと全く同じところに立っている。このアポロンの神殿はすべての人に開かれていた。アポロンはオープンだったので門は設置されなかったそうだ。早稲田の「無門の門」のようなものだ。
最初にある遺構は紀元5世紀のキリスト教徒のバジリカの跡である。そこから神殿に至る参道は聖なる道。その両側には一部屋しかない建物が並んでいる。つまり宝物庫である。ギリシャの都市は自分たちの富をライバルたちに誇示するために、デルフィへの奉納合戦をやっていたのだ。宝物庫の石の表面には、細かい文字でびっしりと神託の内容が刻まれている。
そこから見下ろすと、はるか下の方に別の遺跡が見えるのだが、これは4年に1度の競技会に来た選手たちが、長旅をしてやってくるので、しばらくコンディションを整えるための建物であったという。
一番古い宝物庫は、紀元前6世紀のもの。どの建物も屋根が失われて完全な形ではないが、紀元前4世紀にマラトンの戦いに勝ったアテナイ市民が奉納した宝物庫をだけは、1904年に復元された。この建物の軒にはアポロンに捧げられた音楽が書き込まれているらしい。その実物はデルフィ博物館の中にあるのだが、音階がわからないのでだれも演奏することはできないという。
ここまで案内して、ガイドのおばさんは「皆さんに20分間あげるから、その間に上まで上がって神殿まで見てきてほしい」という。ほんのちょっと坂を上っただけでせいぜいいきを切らしていて、そのくせタバコをぷかぷかやっている。これはどうも長くなさそうだ。