ツアーの客たちは、各々勝手な足取りで坂を上り神殿を訪れる。アポロンの神殿は長さ60m、幅23mほどの巨大なギリシア式神殿であるが、そのほとんどが失われ、今見ることができるのは基底部と、六本ほどのドーリス式の円柱だけである。しかし、この雰囲気には独特のものがある。物音ひとつしない、人工物の見えない、ほとんど荒れた岩山で、所々アクセントとして糸杉が生えている谷底に向かって、今から2500年前には世界で最も雄弁に世界に向かって語りかけていた神の声が、今や沈黙を以て相対しているのである。しかし神殿の遺構の沈黙は、まさに神韻縹渺として、却って雄弁に神の実在を主張しているようにも思える。
この神殿の正面を飾っていた柱を背に朝日がのぼるさまを見ることができれば、さぞかし荘厳であろう。
スタートレックの最初のシリーズに出てきた耳のとがった宇宙人"スポック"は、バルカン星人という、論理性を重んじ、瞑想的で、深い精神世界を持つ種族であるという設定だった。映画のシリーズで描かれていた彼の故郷というのは、まさにここのイメージをビジュアル化したものであるということがわかる。
神殿のすぐ隣には5000人が収容できる円形劇場がある。ここで、競技会が行われていた期間、アポロンに捧げるピュティア音楽祭が行われていたのである。
その円形劇場の裏手の急な坂道を上ったところに、古代の競技場がある。紀元前6世紀から、ここでオリンピックの前年に4年おきに競技会が開かれていたわけだ。トラックの長さは178m。競技場の構造は、片方のRの部分の観客席がなく、ここから選手たちが出入りしたのであろう。この馬蹄形の構造は、オリンポスの競技場と同じであり、時代を下ってローマのチルコ・マッシモにまで受け継がれている。つまり大勢の観客を収容するための競技場の構造はギリシャにルーツがあるということがわかる。
自分たちが信じる神のために捧げ物として芸能や体育競技を行うというのはどこの民族でもやったことだが、なぜギリシアのそれが有名で後生にまで残ったかというと、それを自分たちのだけのものにせず、広く外国の人々を受け容れその価値を共有したからだろう。逆からいうと、敵対する者が休戦して競技会に参加するような、お互いが納得できる普遍的価値を持たせるために、信仰を利用したのだと言うこともできるかもしれない。
神託についても、神官が介在していたので、その中身は操作が可能だった。このデルフィが交通の要所にあって、さまざまな情報の結節点であったということを主張する学者もいる。つまり神託には政治的な配慮が働いたのかもしれない。神託という形をとって、主権国家間の利害の調整をはかっていた可能性もあるだろう。私には、民主制を創造した古代ギリシアの人々は単純に神のお触れを盲目的に信じていたとは思えない。
もちろん盲目的に神託の結果を信じ、その結果国を滅ぼしてしまう人もいたし、反対にソクラテスのように「最大の知者はソクラテスである」という神託に対する疑問から思考をスタートとして、「無知の知」に至る人もおり、政治的な利用だけではなく神託に対する態度はさまざまだったと思う。
この神殿に掲げられていた「汝自身を知れ(グノーティー・セアウトン)という言葉は、文法上の規則がよく分からないが、「答は常に自分自身の中にある」という意味であるような気もしないでもない。