アギアスの像 また同じ入口に戻ってきて、そこから300mほど歩いたところにあるデルフィ博物館で、ツアーのみんなに追いつく。ガイドのおばさんが展示品についてかなり細かく説明をしてくれる。この美術館は小さいが、展示されているものは非常に重要で、価値が高いものばかりであると思う。なによりも、その古さに圧倒される。
展示物の最初のものは、地球のヘソ(オンファロス)と呼ばれる石である。この地が地球の中心であると考えられていたので、その概念を彫刻したのであろう。その次に目を引くのが、紀元前6世紀のナクソス島のスフィンクスだ。スフィンクスはエジプト起源のものだが、それがナクソス島に伝わり、そこの住人がデルフィに奉納したわけだ。スフィンクスの口がニッコリとアルカイックスマイルで微笑んでいる。この像がデルフィのシンボルになっている。
別の部屋に、顔を象牙で作られ、24金で装飾された立像がある。その隣にアポロンに捧げられた、やっぱり紀元前6世紀に作られた牛がある。なんか良く聞こえなかったが、アマゾネスの話もしていた。伝説ではなく、実際にトルコに住んでいた部族らしい。そのほか、昔の考古学者が収集してきた紀元前17世紀ぐらいの発掘物なども展示されている。気が遠くなりそうな話だ。
他の部屋に並んでいる9体の立像をうちの8人は、ピュシアス競技会の勝者だという。そのうちの一体アギアスの像は、競技が終わった直後のやや疲れた表情を表しているものだそうだが、頭と全身の比率が7.5:1、肩幅と頭の比率が3:1という、非常に均整のとれた美しさを持つものとして知られている。
アレクサンドロス大王の胸像もある。非常にやさしい表情をしているのだが、その理由は、彼が多くの民族を征服した後、征服した民族を懐柔するために自分のイメージを良くしようと、ことさらに優しい表情で作ったからだそうだ。実際のところは、やはり征服者というのは恐れられるものであった。
最後の部屋に、ブロンズ製の若者像がある。ガイドのおばさんは、「この像こそが皆さんがデルフィにまで見に来る値打ちがあるものです」と力説する。
紀元前5世紀に、シチリア島の領主ポリュザロスが競技会の戦車競争で優勝し、その賞金を総てかけて作りアポロンに捧げた(と聞こえたが、異説あり)、四頭立ての戦車に乗った若者の像なのだそうだ。それだけでは一体何が素晴らしいのかさっぱり分からないが、みんなの怪訝な表情を見てガイドは「もっと近づいて注意して顔を見ろ」と言う。
この像は非常に精巧な工芸品なのである。ブロンズは鋳造されるので、顔の表情を作るのが難しい。他の展示品はすべて彫刻であって、ブロンズ製ではないことからもそれがわかる。しかも目は象牙で象眼されている。唇の部分は鉄で作られ、酸化してやや赤い色を帯びるように工夫されている。そしてその顔の表情は、まっ先かけてゴールに飛び込んだ優勝者の得意満面の瞬間を見事に表現している。
この像と一緒にあった4頭の馬だが、足と手綱の一部分しか残っていない。
ガイドは「コンスタンチヌス帝がローマ帝国内の優れた美術品を集めた時に、コピーしてコンスタンチノポリスに持っていった。それを今度は、ベネチア共和国が十字軍で取ってきて、今はサンマルコ広場の端っこで見ることができる」と言っていたので、それはおそらくサンマルコ寺院の正面に据えられている4頭の馬の像のことを言っているのだろう。すごい話だ。
サンマルコの馬がデルフィに捧げられた物だったという話は、日本では全く知られていない。帰ってから調べたが、英語のサイトでもそのように書かれているものは発見できなかった。これは事実なのか、そういう説があるのかは、確認する手だてはない。
しかしそう信じた方が楽しい。この馬は2500年かけて、イタリア(ローマで作られたという説も)~デルフィ~コンスタンチノポリス~ベネチア~パリ(ナポレオンによる略奪)~ベネチアと旅したことになる。実に興味深いことだ。