この国のニュース番組では、バックにずっと音楽が流れていて、それが扇情的な音楽だったりするので、ニュースにある先入観を与えかねないような演出になってしまっている。これはちょっとまずいよね。
旅行していて感じるのは、日本だけにいては分からない、何かしら世界規模の認識の台座があるということだ。
ここでニュースを見ていると、やはりパレスチナのテロ騒動は身近で重大なことに感じるし、アメリカのニュースもやっぱりテロの話ばかりやっている。そういう中で日本のニュースをサイトで眺めていると、あまりにもお気楽で幼稚な感じがしてならない。
ヨーロッパの人々は、外国とより身近な感覚でつながっており、現在起こっている危機を自分のものとしてとらえる健全な感覚を備えている。世界がつながっているという感じは、どこに行ってもドルが使えるという事実によって簡単に把握することができる。ユーロの統合も、例えばヒースローではユーロが使えるし、非ユーロ諸国であるチェコでもプラハの街の真ん中ではユーロを受け取ってもらうことができる。ユーロが強い通貨になれば、ヨーロッパの統合はますます進むことになるだろう。それは彼らの国際感覚をますます磨くことになる。
もし日本人もそうした世界規模の認識を共有することができれば、日本人は視点を大きく転回することができると思う。「われわれはいまアジアの中で、どのような立場で何をしなければならないのかということを戦略的に考えることができるようになるはずなのにな」と思わずにはいられない。
昨日のバスツアーのガイドの説明がよかったので、ガイドブックを持っていない私としては、ガイドブックがわりにアテネ市内観光もツアーに参加することにする。ホテルのフロントに頼めばすぐ手配してくれるし。
8時15分、朝飯を食べてフロントに降りてくる。また兄ちゃんがバスまで連れて行ってくれる。バスに乗り込むと東洋人が話しかけてきて、「お前はどこから来たんだ。俺はサンサンリカから来た」という。そんな国の名前は聞いたことがない。いったいどこなんだと思っていると、隣の人が「サウスアフリカだ」と通訳してくれる。
このツアーも、おばさんガイドであるが、考古学を勉強している人らしい。期待できる。
バスはまず、ホテルの対面のゼウス神殿に横付けする。
遺跡の入り口では、相変わらず愛想のいい犬が出迎えてくれる。われわれが歩くと、犬もしっぽを振ってついてくる。この神殿はゼウスの神域に、紀元前6世紀後半にペイシストラトスが建設を始め、BC82年にはスッラがここに来てコリント式の円柱を持ち帰り、ローマ建築に大きな影響を与えたとされる。紀元2世紀、ローマ時代にやっと完成された、108の円柱に支えられている立派なものである。その隣にハドリアヌスの門というのがあることからわかるように、ローマ帝国が作り上げたものである。ということは、ローマの時代になっても、ローマ人たちは自由都市アテネに敬意を表していろいろな建築物を作ったのだろう。
そして、かなり広い空き地となっているこの遺跡から眺めるアクロポリスの丘の眺めは素晴らしい。初めてしげしげとアクロポリスを眺める。
ギリシャの人々は、町に近い小高い丘に神に捧げる宮殿を立て、本当にそこに神が住んでいると信じていた。そして最終的に、他の国から攻められたときに最後まで立てこもって戦う場所と考えていたので、アクロポリスは要塞化されている。町から見ると、あたりを睥睨するかのように立っているこの神殿は、やはり独特の印象を与える。
ツアー客たちは、満足するまでこの神殿をカメラに収め、再びバスに乗り、2分ばかり走ったところで止まる。1896年に作られた、第1回近代オリンピックのために建てられたスタジアムである。
みんなゾロゾロとアリーナの中を歩いている。古代オリンピックは紀元前776年から、紀元後436年まで4年ごとに行われた。その間、争い事は中止された。そして19世紀の終わりになって、再びこのオリンピックを復活させようという話になり、「近代オリンピックの第1回はアテネで開催しよう」という話がまとまって、アベロフという金持ちが金を出して、古代の競技場のスタイルを取り入れて6000人が収容できる競技場を設計した。そしてそれを、アテネの古代の競技場の遺跡の跡に建てたのだそうだ。
競技場の入り口には、第1回オリンピックの輝かしい優勝者の名前が、碑文に刻まれている。たいへん美しい競技場である。道路の反対側には、その時に撮影された競技の様子の写真が拡大されていた。たいへん興味深い。2004年のオリンピックのスタジアムは町から少し離れたところに建設されているが、このスタジアムも何かの競技のために使用される予定なのだそうだ。
みんなバスに戻って、ここからはバスで市内を観光する。
アテネがギリシャの首都になったのは、1834年のことだそうだ。1840年代に、国会が開催されるようになった。
1774年に王制がなくなり、国王はイギリスに亡命した。オリンピックスタジアムの近くには、大統領や首相の公邸がある。校庭の前では衛兵が、大げさな身ぶりで行進していて、交代の時には式典が見られるが、交代式を見たいと思えば、ここよりもシンタグマ広場に面した無名戦士の墓の方が便利だ。
それからしばらく行ったところにある大学や図書館の建物は、1860年代に建てられたもので、ギリシャ時代の神殿の建築様式を復活させた新古典主義の建築である。正面にはソクラテスとプラトンが椅子に座ってふんぞり返っている。