バスはシンタグマ広場を横に見て、アクロポリスの駐車場に向かう。駐車場から降りてだらだらと石畳の道を歩くと、アクロポリス公園の入口がある。入場料5.87ユーロ。
そこから階段を多少を上ると、ローマ時代、紀元2世紀に個人の寄付によって作られた巨大な野外劇場"イロド・アティコス"の音楽堂を真上から見下ろすことができる。この劇場は1950年に整備され、毎年夏にはここでアテネフェスティバルが開かれている。マリア・カラス、パバロッティ、ナナ・ムスクーリなどがここで歌ったそうだ。
ここと並んで、古代ギリシャ時代のディオニソス劇場も荒れ果ててはいるが残っている。1万5000人収容。
そこからさらに登ると、アクロポリスの丘の上に到達する。アクロとは高い端という意味で、ボリスは都市であるから、アクロポリスという名前の場所は各都市に存在するのだそうだ。そしてそこには神殿が建設され、周りの都市から攻められたときに立てこもって、戦う最後の砦とされていた。だから要塞としての機能も併せ持っているのである。
アクロポリスは紀元前448年から434年にかけて建設された。「この時代はギリシャにとって最重要の世紀である」とガイドのおばさんはいう。なぜならば民主政が誕生した時代だからだ。
神殿は、東に向けて建てられている。入口は西側にあるので、神殿に参拝するにはぐるりと回りこまなければならないことになる。正面の柱はドーリア式で、何の飾りもない簡素なものだ。この柱が神殿の前後に8本、縦に17本並んでいる。神殿の内部は4つの部屋に分かれていた。エントランスの部分と、アテナイ神を象牙と金によって作った有名な立像のあった部屋、そして神が住んでいる部屋などである。ギリシア人は本当にここに神が住んでいたと信じていたらしい。翼の生えている神などは、翼を切って飛んでいけなくすることで、宮殿に神殿に住みつづけてもらえると思っていたほどであるらしい。
神殿の建設に使われた大理石は、ここから16K北に離れたペンテリという大理石産地から運んだ。大変な建造費がかかったはずだが、それは当時アテネが盟主を務めていたデロス同盟の資金を横流しして賄ったという。
アテナイ神の神殿として信仰されていたのは紀元5世紀までで、その後この町は東ローマ帝国側についた。そして神殿の主神はマリアに変わった。さらに15世紀には、アクロポリスはなんとモスクに変身したそうだ。そして17世紀にはトルコを側の砲弾庫として使用されていた。